ピエロ

第1章
私は売れないミステリー作家だ。決して自嘲ではない。先日出版された自信作『時の罪』はミステリー評論家達に酷評される始末だ。トリックのミスを並べられ、動機の稚拙さを笑われ、果ては文章の稚拙さを笑われるだけである。そんな私に手紙が届けられた。宛名に「虹浦光一先生」という達筆を見なければ棄ててしまっていたろう。どうせ自分を馬鹿にした手紙だろうと思って。
〈唐突な御手紙に困惑されておると思います。私は虹浦先生のファンです。先生の御本は全て読みました。実は私の生まれた香川県にあります犬鳴島において男女六人が殺害されることを密かに聞きました。貴方のその頭脳で殺人を止めてください。警察は動いてはくれない。頼るべきは虹浦先生だけなんです。

牧田邦明〉
いたずらの類にしか読めない。しかし、本当に殺人を企てその六人を葬り去ろうとしているなら、推理小説家の頭脳で食い止めたいとも思う。まず牧田邦明に会って、知っているならその六人の名前や職業などを聞きたい。私は消印を見た。文京区。しかし、彼が文京区の人間かどうかはわからない。例えば文京区以外に住む者が文京区から出したとも考えられるからだ。殺人者の目を盗むために。
私は友人で探偵をしている高田愁村(たかだ・しゅうそん)を訪ねた。彼の容貌を一言で説明せんとすれば、貧乏神のような顔でナナフシのようにヒョロヒョロした、何処からどう見ても不審者にしか見えない男と言えよう。到底探偵には見えない。彼は神保町に事務所を開いている。
私は行く前に高田に連絡した。しかし、訪ねてみると、相変わらず古書の城壁に守られて読書に没頭していた。
「やあ、来たのか。もう少し待ってくれ、もうちょっとで読み終えそうなんだ」
彼が読んでいたのは川端康成『たんぽぽ』だった。
「また、報酬で古書漁りかね?君も好きだな」
「報酬を何に使おうが、僕の勝手さ。それにこのくらいしか、楽しみがない。それより、その手紙、ファンレターとでも言うのかな?それを見せてもらおうかな」
私は例の手紙を見せた。高田は永年の恋人に会ったような目で黙々と読み進める。5分してのち、高田は
「面白いな。実はね、二三日前に不可解な事件があったのだよ。そこの神保町交番の巡査、川尻と言ったかな。彼が挙動の怪しい男を交番に連れていった。その男は頭が可笑しいのではないかと川尻巡査は言っていた。こう言ったんだそうだ」
『ピエロに殺される』とーーー。
「ピ、ピエロに殺される?」
「うん。川尻巡査は話を詳しく聞きたいから、話しやすいようにコーヒーを淹れに行った。大体5分位だったらしい、川尻巡査が目を離したのはね。川尻巡査が戻ってくると男の姿は何処にもなく、ピエロの人形が置いてあったそうだよ。そしてピエロ人形は悪魔の如く笑い転げたそうだ」
「男は愉快犯か何かで、態と挙動の怪しい振りをし、可笑しい謎めいた言葉を言っていなくなっただけじゃないのか?ピエロ人形を置き土産にして」
「推理小説家の頭脳はそんなものかね?」
「そんなものって、それくらいしか考えられないじゃないか!」
「これを見たまえ」
彼は新聞を私に差し出した。
〈サラリーマン、殺される 傍らにはピエロの人形〉
とあった。被害者の名は…
「ま、牧田邦明」
「同姓同名ではあるまい。間違いなく、君に宛てたファンレターの人だよ」
「ピエロに殺されたのか?」
「さあ、分からん。しかし、悪趣味な趣向ではあろうね。死人の傍らにピエロの人形を置くなんて。死人を嘲笑しているようにしか見えん」
「それだけ、被害者は何者かに恨まれていた、ということか」
「さて、牧田氏の遺書のようになってしまったわけだが、この手紙を君はどうするかね?」
即答だ。
「行くに決まっている」
「そう、じゃあ気をつけて」
「高田、君は行かないのか?」
「冗談だ。行くよ」
こんな時に冗談を言うとは、彼も悪趣味な男だと私は思った。高田は四国の地図を拡げた。

ピエロは静かに7つ目の手紙に封をした。ピエロは笑ったように見えた。役者は揃った。

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