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Grow or Die 成長か死か|45冊目『株式会社の世界史 「病理」と「戦争」の500年』

平川克美(2020,  東洋経済新報社)



ビジネスデザインフォーラム2023

9月に立教大学で、ビジネスデザイン立教会、ビジネスデザイン研究科、ビジネスデザイン研究会が共催のビジネスデザインフォーラムが開催されました。

『名物講義をもう一度、立教のキャンパスで聞こう』というコンセプトで、6名の先生方が90分の授業を行ったのですが(3教室に分かれて2コマずつ)、その中の1つが『混迷する社会』をテーマとした平川克美先生の授業でした。

自分はRBS在学中は例によって※、平川先生の授業を履修し損ねてしまっていましたが、この日は平川先生の授業を受けました。
そして、納得と共感の連続の講義内容に、つくづく履修しなかったことが悔やまれるのでした。

平川先生の本は『小商いのすすめ』と、この『株式会社の世界史』を読んでおりましたが、講義を聞いてもう一度読みたくなりました。

※RBSは魅力的な授業が多く、履修科目を選択するのにとても迷いました。


会社のつくり方

僕は会社をまだ経営したことはありませんが、一生のうちに一度は社長を経験したいと思っています。

会社のつくり方は2つあると思っています。
一つは経験やスキルによって自分ができることを活かして独立し、個人事業主の延長で会社にすることです。
そして、もう一つはあらかじめ組織を設計した上で会社を立ち上げる方法です。

実は僕も会社を作ろうと考えたことがあります。
でもリスクは負いたくないので、先行投資しないで、キャリコンとかイベントの企画とか、経験があって自分にできることを仕事にして細々と受注して食べていけたらいいなと思っていました。

よく、デザイナーなどのクリエイターが自分自身のスキルを活かしてフリーになって、個人事業主登録して、仕事が安定してきたら、場合によっては会社にしてという会社の作り方をしていますが、そんな感じをイメージしていたのです。

実際、僕の身近にもそういうデザイン会社の社長が何人かいます。

僕の弟は飲食業を経営したいと考えていて、準備を進めています。
うまくいって、会社にするなら、僕も関わるつもりです。

知り合いの方が息子と一緒に飲食店を経営しています。
料理がしっかりしているので、なかなか人気があって経営は安定しているようです。
しかし、10年経営して、売上は横ばいだといいます。

客単価の変動は多少あるでしょうけれど、お店の中の席数は決まっていて、回転数も大凡決まってしまいますから、客単価×席数×回転数で決定するお店の売上は、上限までの枠の中で前後するだけです。
つまり、店舗を移転して大きくするとか、2店舗目を出店するとか、積極的に拡大を考えなければお店の成長はないわけです。

デザイン会社も一緒で、営業活動も自ら行い、デザインの実務もこなす社長が一人で仕事をするのであれば、キャパシティの限界があります。
つまり能力以上の売上は期待できないということです。

「料理がしたい」「デザインをしたい」と、自分がやりたいことがあって独立しているので、忙しくて儲からなくても、本人はそれでいいのかも知れませんが、そうした成り立ちの会社の成長にはやはり限界があります。
意図的に成長させようと思わなければ、会社は成長していかないのです。

だから、今度自分が社長をやろうと考えるときは、個人事業主の延長ではなくて、最初からきちんと会社の経営として、数年後の会社規模まであらかじめ想定した上で、事業計画を立てたいと思っています。


株式会社の成長という病

さて、解決すべき社会課題が見つかって、それをビジネスで解決したいと考えて会社を立ち上げたとします。
その場合に利益や会社の経営は手段であり目的ではありません。
とはいえ、会社経営がうまくいかなければ社会課題の解決も何もありません。

そこでやむを得ず、お金を稼げるビジネスモデルを考える必要があります。
ニーズを満たすだけで十分に稼げれば良いのですが、そうでないならば会社存続のために需要をこちらから作り出す必要があるでしょう。

人々が欲しがりそうなモノやサービスを考えて商品化するわけです。
中には無駄なモノや過剰なサービスもあるかも知れません。

自分と世界とが調和的であり、ヒューマンサイズの生活とでも言うべきものがあった時代というものを思い浮かべることが出来る

自分一人が食うだけでなく、家族を養い、さらには従業員を雇用するならば、従業員とその家族も食わせていかなくてはなりません。

物質的豊かさや利便性が人々にとっての本当の豊かさでは決してないと僕も思っていますが、まるでそうであるかのような幻想を人々に抱かせ、強制的に需要を生み出すことをしなくては、会社を経営してはいけないのかも知れません。

会社のあくなき成長への欲求といい、そこには生きるものの摂理にどこかで相反する驕心のようなものがある。
それを私はさしあたり「病」と呼んでいるのである

アパレルメーカーの社長が言ったGrow or Die(成長か死か)という命題は、ある意味で株式会社の生態を言い当てている

過剰生産が目に見える段階になったとき、通常なら生産を制御して定常的な生産組織としての永続性を目指すべきところだが、そのように振る舞うことは株式会社の生来の性格が許さないのだ。
だから、生産が過剰ならば、その過剰な生産物を捌ける新市場を開拓しなければならないと考えることになる、この本末転倒こそが成長という病なのだ

先日、世界の貧困問題の解決をめざして世界中を飛び回っている卒業生(勤務先の高校の)を取材する機会がありました。
彼がバングラデシュを訪問して、バングラデシュのスラムに住む人と接触して感じたことは、かのグラミン銀行でさえ、大きくなりすぎて、その理念が変わってきてしまっているということです。

ある程度の規模までなら会社は、ミッションやパーパスによってコントロールできるのだと思います。
しかし成長という病に罹ってしまったら最後、過剰な利便性による無理やりな需要を消費者に押し付け(もう消費者という言葉を使うのをやめるときですね)、環境を破壊しつくし地球を窮地に追い込む存在へと変身してしまうのです。

株式会社にとって、右肩上がりの需要を想定せず、買い替え需要や、生存を維持するだけの衣食住の需要だけをあてにしていたのでは、株式会社として利益を最大化し、株主に配当し続けることは覚束なくなる。
これは、そのまま株式会社の死につながる問題となるわけである。

病気になることなく、健全に、身の丈にあう成長ができる会社。
そんな会社の社長に僕はなれるでしょうか?

最後までおつきあいいただきありがとうございました。
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