TheBazaarExpress28、自分の名前で佐村河内名義の曲を超える作品をつくることが使命、新垣隆編(2016,04,13)

騒動後も自分の”仕事”は変わらない

―――ゴーストライターであったことを告白してから約2年がたちました。この間メディアへの頻繁な登場がありましたが、仕事としては事件の前後で変化はありますか?

いえ、自分としては仕事そのものは変わりませんし、変わりようがないと思っています。もちろん状況的にはいろいろな変化や出会いがありましたが、基本的に私は音楽家として音楽を通して様々な人々とコミュニケーションをとっているつもりです。

変化があったとすれば、以前は一人で作曲する作業がほとんどでしたが、事件後はテレビ出演やCMなど多くのみなさんとチームで仕事することが増えたことでしょうか。ともすればひとり個人では支えきれない仕事の規模になってしまったことが大きな変化だったと思います。

―――事件後、テレビのバラエティ番組等への出演も多数こなしていますが、かったわけですが、どんな経緯があって出演依頼が増えたのですか?

あの記者会見(2014年2月6日)の後、最初にテレビ局の取材を受けたのは14年の4月ころ、CXの「ミスターサンデー」でした。それまでは週刊文春の記者さんたちがある程度ガードしてくれていたのですが、あの時はテレビクルーが自宅まで来て、部屋の中まで撮っていきました。あの番組がテレビと私個人が関わった最初のことで、週刊文春以外で単独取材を受けたのも初めてのことです。

取材のあと、放送の前に送られてきたDVDを自宅で見てびっくりしました。自分の部屋にある小さなブラウン管の中に自分の部屋が映っている。なかなか体験できないシュールな眺めでした。テレビに映る自分を見るのはとても嫌でした。慣れないというか恥ずかしいというか。

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