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こちらとあちら/麗和落語〜二◯二四春の陣〜第一陣

日本文学のみならず、世界中の文学作品では外界と対照することによって自身の内界を探求する試みを描いた作品が数多く残されてきました

たとえば夏目漱石は「門」で

山門を入ると、左右には大きな杉があって、高く空を遮っているために、路が急に暗くなった。その陰気な空気に触れた時、宗助は世の中と寺の中との区別を急に覚った。静かな境内の入口に立った彼は、始めて風邪を意識する場合に似た一種の悪寒を催した。

夏目漱石「門」(太字筆者)

と、主人公の内面世界と外界である禅寺の様子を描いています

こうした境界を示す装置は山門に限りません。夢や橋、坂、そして夢なども時として内と外を分かつ装置として文学に描かれてきました


今日はCROWN POPの里菜さん(りなてぃー)が出演している「麗和落語〜二◯二四春の陣〜第一陣」の第一部を鑑賞してきました

女性アイドルが一人で演じる新作落語が三席。そして二人一組となって演じられる噺「二人落語」(こちらも新作)が二席という構成
りなてぃーがその巧みな話芸で描いてみせるのは、「祭囃子」ではシンガーという夢を追いかける女の子歌子(役名失念しました。ごめんなさい教えていただきました)、そして二人落語「秋茄子」では由緒正しい嫁ぎ先の姑を疎ましく思う嫁・秋子

「秋茄子」の方は、姑役演ずるSKE48の高畑結希さんとのやり取りの心地よさが印象に残るお話で、構成に複雑な仕掛けもなくいわゆる「ベタドラマ」のような内容ではありますが、だからこそ終盤のちょっとホロッとするような展開は昭和のホームドラマを彷彿させて胸が温かくなります

そして今の我々が置かれた(CROWN POPの解散が見えている)状況を踏まえると、どうしても印象に強く残るのはシンガーという夢を追いかける女の子が主人公である「祭囃子」の方
今後、配信もあると思うのでネタバレを避けるため筋には触れませんが、りなてぃーが巧みに繰り出す話芸から、りなてぃー(あるいはCROWN POP)と主人公、過去と現在そして未来、我々の内面と外界、現実と夢……さまざまな対比が脳裏をよぎります

主人公・歌子が偶然手にした不思議なある物を境界に、あちらとこちらが描かれいくことで、あらためて夢を追うものを応援する自分自身が客体化されていきます。門や坂、橋がこちらとあちらを分けるように、この道具によって我々はこちらとあちらを意識することとなり、ここまでの来し方と8月9日以降の現実との向き合い方などが言葉にならぬまま、落語の笑いとともに、胸を頭をかけめぐります

前回の出演時同様、今回もカラオケボックスでせっせと一人稽古を重ねてきたというりなてぃーの落語は、その声の通り具合や所作の美しさもあって、目を舞台に預け、耳を声に預けても、一向に疲れることがありません。「祭囃子」の不思議な世界に引き込まれていくにつれ、表情はゆるみ、笑い声があがり、そして胸にセンチメントな想いが堆積していきます

もちろんその語りっぷりはプロの落語家さんに比べれば遠く及ばないものなんだろうとは思いますが、表情を届けること、言葉を届けること、そしてそれらに乗せて想いを届けることは、りなてぃーをはじめCROWN POPメンバーのもっとも得意とするところです
落語という決まった筋を話す世界にあっても、透き通るようなりなてぃーの声からは、夢を大切にする想い、自らを応援してくれる存在を愛しく思う気持ちがひしひしと伝わってきます

あと思ったのは、配信で見た前回の出演時もそうだったのですが、噺のメタ化というのか、息継ぎのようにところどころ、幻想世界から武蔵野芸能劇場に意識を再帰させる機会が多かったですね

これはおそらく演出家さんの好みなのかなと思うのですが、個人的には90年代の学生演劇を見ているようで懐かしいような小っ恥ずかしいような、そんな思いを感じたりしていました。けど、りなてぃーがやるとわざとらしさも感じることなく、素直に楽しく見てられるんですよね(贔屓目です)
素人なりに発声や間の取り方が上手だったりするのかなあなんて感じるんですが、どうなんでしょうね

これからもこういう機会があるのかな
もっともっと素敵な世界を見せてもらえるように、今後の活躍も楽しみにしています。がんばれりなてぃー。楽しかったよぅ

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