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姪っ子の誕生日に思う

今日は姪っ子の21回目の誕生日。
そして、この日はあの衝撃的な事件の起きた日だ。たぶんあの日のことは死ぬまで鮮明に覚えているのだろうなあ。毎年言ってるけど。

21年前の9月11日
命が生まれ、命が奪われたあの日。
そんなことはたぶん世界中で毎日繰り返されているのだろうけど、それを目の当たりにしたあの日。
そんな日からもう21年も経つんだね。

そんな「今」に思っていることを書きます。

世の中が不公平でも、不平等でも、誰もが平等に歳をとる。そして、月日の経つのはあっという間。それは歳を重ねるほどに感じることだろう。

だからこそ「今」を大切に生きて欲しい。
「後悔」なんてなるべくしないように。

基本的に私自身は「後悔」をあまり…というか、ほとんどしない。

後悔をしないという人はたぶんすごく少数派なのだろう。だけど、私が意識して後悔をしないのは後悔が無駄なものだと感じてるから。

小さな事であれ、大きな事であれ、日々の生活の中で失敗してしまうこと、間違えてしまうことって絶対にあるもので私もたくさん間違ったし失敗してきたなぁ。

それ自体は当たり前だ。
だって人間だもの。相田みつを的な(笑)

その失敗してしまったことを教訓にし、素直に認めて反省し、誰かに迷惑をかけたときには心と言葉と態度で謝罪の気持ちを伝える。それだけできればもうあとはやり直すだけだ。
俯瞰し迅速にスイッチを切り替える。

だけどさ、あったことを無かったことにして消しゴムで消すように真っさらにすることは絶対に出来ない。人生においてどんな些細なことであっても消すことは出来ないのだ。

どんな瞬間にも発した言葉は口の中には戻せないし、その時その時の自分の行動にも必ず責任があるものだし「その時の選択」により生まれる結果はその先も自分の中に刻まれそれによって起こったことは決して無くすことは出来ない。

結果がもしも期待と違った、とか失敗だったなぁと思うとき、反省は人生において糧になる。
反省することで得るものは多くあるし、その先を考えられるとても前向きな行為だと思ってる。

だけど、後悔することに関して私は不毛な感情だと思う。後悔って怒る事以上にエネルギーの無駄遣いだと思うのですよ。

怒りも私にとっては疲弊しちゃう無駄な感情だと感じるし、だからあまり怒ることはない。
それでも人によっては怒ることでストレス発散になる人やら何かを成し遂げるエネルギーの源になる人もいるみたいだから、そういう人には怒りもまた何かの役に立っているのだろう。

でも、後悔という感情はとても後ろ向きだ。

あの時ああしておけば…とか、あっちを選んでおけば良かった…とか、あんなことして周りの人はどう思うか…とかね、有りもしないifを考えたところで意味は無いし、今更どうしようもないことを考えるのは時間の無駄だしストレスしか生まない。

失敗してしまったときは、既に変えられない過去にエネルギーを消費するのはやめて、そのときにできることをして心のお掃除をするのだ。

自分の心が軽くなるように、わだかまりやもやもやの原因を取り除くことにエネルギーを使う。
前を向くことにエネルギーを使う。

自分の人生をどうやって生きるのか
何を大切にし、何を捨てて生きるのか
何を着て何を食べ、誰と生きるのか
それは自分が決めて行くものだ。
疲れたら休憩して、焦ったら深呼吸して
自分が選んだ道を後悔しない生き方をして欲しい。

決して人生はリセット出来ない。
これはどんな人にも変えられない人生の定めだ。

現実として自分は死ぬまで自分でしかないし、誰かが「貴方らしい」とか「貴方らしくない」とかは決めることは出来ないし、誰かが決めてしまうそれは自分にとっての真実じゃない。

だからどんな自分でいるのかを、自分の宝物を、選んでいく。好きでいられる自分を生きる。それが真実になる。

私の大切な愛する姪っ子。
お誕生日おめでとう。そして、ありがとう。
彼女が生まれてきたことに感謝している。

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