あんぱんとAI、そんな世界で求められるたった1つのこと
chatGPTという衝撃
普段デジタルはあまり使わない人も、
スマホといえば、LINEくらいの人も、
最先端のエンジニアも、
大学教授も政治家も、
子供たちも、
1つ思ったはずだ
AIがこれから発展したら、世界はどうなるのかと
GPT?
突如現れたアルファベット3文字。GDPは知ってるが、GPTは初めて聞いた。そんな方も多いだろう。
いま起こりつつある衝撃とはなんだろうか?
もうchatGPTを初めとするそうしたツールを使い始めた人は、漠然とすでにその衝撃にやられつつある。
まだ、それらを使ってない人にとっては、映画ターミネーターの終末の未来世界から来る、漠然とした不安なのかもしれない。
にわかに今年から世界に広まり出したAIが、衝撃たる所以は1つの言葉で表現できる。
今度のAIは、融通が効くんだ。
デジタルや機械ってのは、大体において言うことを聞かない、融通が効かない。プログラムなど、アルファベット1文字違うだけで、3万行書こうが、5万行頑張って書こうが動かないものは動かない。頑張って書いたのに、という努力は通用しない。「あ〜、ちょっとそれ取って」といって、テーブルの上のテレビのリモコンを取ってくれるのは、パートナーくらいものだったが、今度のAIは、融通が効くんだ。
融通というのは、つまり想像だ。想像というのは、つまり進化に繋がる。人間は、常に融通を効かせることで、発展してきた。
x=aとする。なんて、むちゃな等号をまずは、OKと融通することで、すべての数学、物理、化学の発展は起こっている。
融通が効くAIは、想像を始め、自己進化を遂げる。
そこで、再び同じ問いが頭をもたげる。
AIがこれから発展したら、世界はどうなるのかと
AIによってなくなる仕事あるか?
仕事がなくなるかどうか。なんらかの技術によって、なくなってしまうのか?それはなぜ仕事が存在するのかという、出発点を見つめれば、分かりやすくなる。
なぜ仕事が存在するのか。それは、困っている「人」がいるからだ。
つまり、「人間」がいる限り、仕事は存在し続ける。
困っている人が少なくなれば、それを解決する仕事は少なくなる。それがAIなのか、法制度なのか、さまざまな要因はあるだろうが。自然な流れだ。
紙の請求書の処理が大変だ。AIが自動的に読み取り仕訳までしてくれる。AIが、労働集約的な業務を減らして助けてくれる。
AIが、これからは請求書を自動的に読み取り仕分けするようになる。経理担当者の仕事がなくなる。
1と2は、良いことなのか?AIが仕事を奪うという危機なのか?
困る人が少なくなれば、それを解決するべく、仕事として提供する人は自然と少なくなる。
AIで仕事はなくならないし、AIは仕事を奪わない。
あることで困ってた人が、違うことで困るようになるだけだ。人間がいる限り、仕事は必要となる。何がどれだけ発展したとしても、人間が地球上に存在する限り、何か困ることを抱えている。それを解決する筋道、それが仕事となる。
あんぱん
朝起きた時、一番最初に困ること。それは、「お腹が空いた」ということだ。AIに対して、人間の最後に残される強みは、エネルギーを消費する生身の肉体を持っていることだ。儚く壊れやすい生物であること。それが、行き着くところまで行った先に待っている差別化要素だ。
ファクトリーオートメーション。工場における生産工程の自動化、機械化のことである。現在は、そんなオートメーションな工場にも管理責任者として、人間がいる。
では、あらゆるものの生産工程は自動化し得るのだろうか。車、ビル、道路、パソコン、家、お皿、洗濯機、冷蔵庫、机、レアメタルの採掘、物流、そして、あんぱん。
AIとメカトロニクスの発展によって、あらゆるものの生産工程は自動化し得るのだろうか?人間が監督しなくても、AIが自動的に監視することができるだろうか。原材料調達から、設計、生産、完成品の物流、配送まで。それらが実現するには、メカトロニクス、つまり機械的な動きの技術発展を待たねばならないが、自動化し得るのだろうかという問いに対しては、「Yes」となるだろう。あとは、早いか遅いかの違いだ。
介護はどうだろう。AI搭載、最先端のメカトロニクスで動き、全身をスポンジ感触の体で覆った介護ロボットが、それらを担うようになる。そんな世界はやってくるのだろうか。この問いに対しても、答えは「Yes」だ。
ああ、あらゆる仕事がなくなってしまうのか?
この問いに対する答えは「No」だ。
もう一度、立ち返って欲しい。
なぜ仕事が存在するのか。それは、困っている「人」がいるからだ。
例え、ドラえもんのようなAI搭載ロボットが優しく介護してくれたとしても、「ああ、今日は本当の人と話がしたいな、本当の人に介護してもらいたいな」という「人間」がいる限り、「人間」の仕事はなくならない。
例え、老舗のパン屋と同じレベルの味のあんぱんが、ファクトリーオートメーションで作られたとしても、「ああ、今日は手作りの、昔ながらの味のあんぱんが食べたいな」という「人間」がいる限り、その仕事はなくならない。
あんぱんとAI、そんな世界で求められるたった1つのこと
人が、人を求める限り、人の存在意義はなくならないし、仕事もなくならない。
必要とされる人になること。
つまりは、連絡がもらえる人間になること。
必要とされるかどうかは、
とてつもなく技術があるかどうかじゃない
頭が良いかどうかじゃない
暗記力が優れているでもない
財務戦略が出来るからでもない
デザインが綺麗に描けるからでもない
どんな業務も、どんなタスクも、そのうちある程度のレベル、いや、トップ1%程度のレベルまで、AIがやってくれる。AIとの付き合いには、困った人間関係など起こらない。どこまで行っても遠い他人。気を使うことなく、なんでもタスクを投げることができる。
必要とされる人になること。
つまりは、連絡がもらえる人間になること。
もうfacebookには数千人の繋がりがあり、Twitterには数万人のフォロワーがいるかもしれない。マッチングアプリがあれば、刹那的に、目的を絞った人と30分の時間を作り出すことも容易になった。
例えば、何かの仕事を頼みたい時に、それを上手くやってくれそうな人が、2、3人思い浮かぶはずだ。多い人なら、10人以上名前があがるかもしれない。そんな時、一番最初にメッセージを送る人。そんな連絡が来る人間を目指すべきなのだ。最初にメッセージが来る人は、決して、ベストな技術を持ってる人とは限らない。
AIの自動計算が、融通を効かせて世界中を0と1のデータで駆け巡る。それはまるで、毛細血管が体の隅々まで伸びて、うまく体を動かしてくれるかのように、社会のスムーズな活動を支えていくことになる。
AIがこれから発展したら、世界はどうなるのか
連絡をもらえる人が生き残っていく
人がいる限り、人は必要とされる
連絡がもらえる
メッセージが来る
それはこれまでの自分の過去が決める。過去の生き方が決めることになる。能力はほんの少ししか影響しない。
未来、連絡をもらえる人になれるかどうか。それは、今日からの生き方で変えられる。
ああ、私はいま、無性に手作りの、昔ながらの美味しいあんぱんが食べたい。例え、それが型崩れしたあんぱんでも。
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