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娘が生まれた日に「王将」で思ったこと

娘が生まれた日のこと。

深夜に病院に向かい、早朝に無事産まれてきた娘が、元気よく体を震わせながら泣いているのを見た時、深く感動した。でも、それはいままで味わったことのない「感動」だったから、そこにうまく言葉は与えるのは難しかった。

助産師さんに抱っこさせてもらって、自分の胸元で娘がふるふると動いている姿の記憶は今でも鮮明だけれど、これまた、ただ感動したとしか言えない。本当に心を揺さぶられたことをうまく表現するのは難しい。

その日は有給を取っていたので、奥さんとしばし感動を分かち合いつつ、そのまま一人で家に帰った。

そこで思った。さて、今日はなにを食べようか、と。

こんな素晴らしい日に食べる夕食なんだから、とびきりいいものにしたいなと思うもの。で、少し考えて決めた。王将行こう、と。

最寄りの駅まで歩いていって、7時半くらいに「王将」に入った。この時間帯はとても混んでいる。店員さんの「奥どうぞー」の声に従って、店の奥の方にひとつ空いていた席に座った。

近くの店員さんに声をかけて「焼き飯と餃子ひとつ、あと生ビール」と注文した。「お車の運転ありませんか?」と店員さんが聞く。「ないです」と答える。

生ビールがすぐ運ばれてきて、ぐっと最初の一口を飲むと気持ちが一気に解放されたような気がした。なんといってもはじめての子なので、無事産まれてくるか心配でしょうがなかった。そして、いざ出産という時に男にできることは残念ながらなにもない。

続けて、焼き飯が運ばれてきた。王将の焼き飯はとても美味しい。油が香ばしくて、ご飯がきちんとパラパラしていて、口の中に入れた後の「余韻」がたまらない。

そして、間髪入れずに餃子が来た。王将の餃子のタレが大好きで、たっぷりとつけて頬張った。肉汁が染み出してきてとてもうまい。タレとの相性が素晴らしい。

そのまま2つ目もたっぷりとタレをつけ、焼き飯の上にとんと乗せて、その勢いで頬張る。続けて焼き飯のタレがついた部分を口にかきこむと、口の中で餃子と焼き飯が混ざりあって至福だ。勢いついてきたところで生ビールを流し込んで、幸福に浸る。

そして、自分に娘ができたことの実感がぐっと湧いてきた。人生のモードがカチと音を立てて変わったような感覚。これからは「自分のためでなく、誰かのために生きるのだ」というのは、口で言うと陳腐だけれど、20代、30代を通じてひたすら「自分をどうするか」ということばかりに格闘し、全力を尽くしてきたので、僕にとってこれは大きな転機だった。

大事なのは、その変化が「日常」に根ざしているということ。そこでは「革命的」なことは起きないし、人から見たら何が変わったか分からないだろう。でも、自分の中では確かにここが分岐点となって、その後の人生が作られていくだろうという確信があった。

最後に残った餃子を口に放り込んで、一心不乱に中華鍋を振り続ける店員さんを眺めながら、なんで自分が今日ここに来たのかわかった気がした。ここから続いてく「日常」こそが僕にとって重要なんだと。

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