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エッセイ  新釈 蛙の起こした波紋

 以下の文章は、何の根拠もない、私の全くの想像である。フィクションとして読んでもらって差し支えない。

        古池や 蛙飛び込む 水の音

 松尾芭蕉の超有名な俳句である。この評価の定まった句に新たな私なりの新解釈を与えようという大胆にして無謀な試みである。
 芭蕉がデヴューした当時の俳壇は、まだ俳句が俳諧と呼ばれ、芸術性、文学性に乏しい言わば言葉遊びを自慢し合うような場所だった。芭蕉はその傾向をよしとせず、俳諧に新風を吹き込んで、俳諧の芸術性を飛躍的に高めようとした。しかし、それは当時の俳壇からしてみれば、不遜な行為で、芭蕉は目障りな存在となった。出る杭は打たれるというやつである。                          俳壇から無視されそうになりながらも、自分の主張を曲げず、信念を貫き通そうとした芭蕉の心意気を自らの手で表したのが、この句なのである。「蛙」というのは芭蕉自身である。小さくて弱い存在である。その蛙が、「古池」という、波風が立たず、水も澱んで濁った俳壇に、改革という一石を投じたのである。小さな蛙の起こした小さな波が、池全体に広がっていく。広がっていかせなくてはならない、という芭蕉の静かな意気込みがこの句から感じられないだろうか。


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