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ASDについて(3);処世術 3 and 4

ここからは観察眼を使って、ある人の言葉遣い、
考え方を真似ていくプロセスを意識的に行っていきます。

おそらく、中学生くらいから可能になるのですが、
親は全くあてになりません。

小学校までの中で親の提示したモデルを使うと
(親の真似をして周囲に溶け込もうとすると)
周りから猛反発を食らった経験があるはずです。

これは仕方のないところで、親も似たような
言葉は悪いですが「使えないモデル」しか持っていないからです。

この「モデル」という言葉、パソコンでいうところの
OSに値するものと考えてください。

バグだらけのOSを渡された自分たちは、
自力でまともに使えるOSを構築しないといけません。

ぐちゃぐちゃなOSに、どんないいアプリをインストールしても、
まともに動かないのに似ています。

そのOS、モデルになるような人を周囲から探す必要があります。

(3)ロールモデルを探そう

身近に、親よりも年下、自分に近い年齢、一回り上の成人した人いませんか。
周囲の覚えもめでたい、社会にうまく適応できている人。
中学生なら20歳くらいから30歳くらいまででしょうかね。

できれば同性がいいです。

この年齢幅にも意味があって、あまりに年上すぎると価値観がずれてしまって、
周りから受け入れられないのです。

この人の言葉遣い、思考、考え方、動き、などを徹底的に観察します。

自分がこのロールモデルにした最初の人は趣味で知り合った
学校の先生をしていた人でした。
僕は15~20歳。当時先生は30台になったばかりだったと思います。

結構かわいがってもらって、付き合いは大学に入るまで続きました。

今でも人間関係の土台になっているとおもいます。

もちろん、あまり身近な人だとまねしていると
見破られる可能性があります。

それでもまともに動かないOSを持っているよりはずっとましです。

(4)「言葉のコスプレ」をする

この表現は最近思いついたのですが、社会適応ができている人でも、
30歳代くらいまでは幼稚さが残っていて、
不用意な発言をしてしまいがちです。

人間は行動半分、言葉半分で人を判断します。
専門用語でそれぞれ
非言語的コミュニケーション、
言語的コミュニケーションと言います。

前半の行動半分(非言語的コミュニケーション)がボロボロな私は、
言語的コミュニケーション、
言葉遣いを完璧にするしか道が残されていませんでした。

ここで悲しい事実を認識する必要があります。

「素の自分は受け入れられることはない」

この事実を叩き込まないと、「言葉のコスプレ」は
破綻します。

まるで俳優のセリフを、自分の生来持っている、
方言・イントネーションを出してしゃべるとNGになるのに似ています。

この「言葉のコスプレ」、まといはじめの最初はきついのですが、
非常に有効な効果があって、ある種芝居がかった喋りになることと、
定型文のようなものなので、人前で演説するのが上手になります。

あと接客業のピンチヒッターをするにももってこいです。

ASDの特徴で「書き言葉」が叩き込まれているので、
文章を書かせると凝った言い回しを多用する文章が書けるはずです。

定型発達の人も、発達障害の人も、社会適応するときに、
行動を批判されるより前に、

「なんだ、あの言葉遣いは!」って叱られるはずです。

発言された言葉が否定しにくいからですね。

「ああいう風に言ったよね、覚えてるよね」って。

ここまで詰められると

「いえ、言ってません」とシラを切るのは難しい。

そこで、その地雷を回避するために、
ロールモデルの人を観察して言葉を、
言い回しを、イントネーションを真似するのです。

定型発達の人と話をすると、
そこまで考えていないように見えます。
自然にできるからです。

「ふつうは○○じゃない?」

と、我々を奈落の底に落とし込む言葉を発します。
(被害妄想的、誇張表現あります)

かくいう僕も、言葉のコスプレがうまくいかないこともあって、
いままで経験のないことには、どのように反応していいかわからず、
フリーズする傾向があります。
そのときはしどろもどろになるか、一切言葉を出さないという
方法をとってしまうので、

「あいつ、ひょっとして・・・」と思われている可能性があります。

(被害妄想的、誇張表ry)

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