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プロレス&マーケティング第50戦 SANADAは上田馬之助になるべき

この記事を読んで、プロレスファンのあなたが得られるかも知れない利益:内藤哲也の饒舌vsSANADAの寡黙。対象的な2つのプロレスラーの在り処についてマーケティング思考を及ぼしてみる。いっそのこと、SANADAに上田馬之助になってほしい論。

発信がレスラーのブランドを作る(のか?)

1.4東京ドーム大会で、IWGP王座を挑戦者内藤哲也に明け渡したSANADA。

勝利のデ・ハ・ポンが響く中、プレスルームでの敗者インタビューでも、言葉少なだったSANADA。

そんなSANADAに内藤哲也の口撃は容赦ありません。

https://qr1.jp/RfQwUQ

「レスラーは言葉だ。何の発信もしないSANADAは何考えてんだ。レスラーは喋ってなんぼ、あいつはプロじゃねえ」というわけです。

プロレスビジネスの本質とは、レスラー個人個人のブランドをいかに作り上げるかということです

確かに内藤の言うように、レスラーのブランド構築には、喋りが欠かせないし、SNSでの発信は重要な一部になりつつあります。

しかし、あらゆるレスラーがツイッター(現エックス)、インスタ、YouTube、noteなどをやる時代、発信すればいいというわけではありません。

中身が問われているのです。

何時に起きて何を食べた、そんなことしか書いてないレスラーのSNSを見ると、興ざめを通り越して、怒りすら覚えます。

やらないで、本業一筋をアピールしたほうが、まだ良いというものです。

プロレスラーは、全局面でお客さん、世の中と勝負している、この認識がないプロレスラーがいかに多いことか。

長州力がアントニオ猪木を評して「24時間アントニオ猪木をやっている。オレには真似ができない」と言ったことがあります。

https://qr1.jp/Wby3uQ

それは常にファンサービスに余念がないということです。

いつどこでも笑顔でサイン、撮影、握手に応じる猪木に対し、ファンがよってきても「オラ、どけ!」とそっけない長州。

まあ長州の場合は、それがキャラクターと言えばそれまでですが。

SNSの発信もファンサービスの一部と考え、レスラーたるもの一字一句をゆるがせにできません。

沈黙はありか

喋ることも、SNSもプロレスラーのブランド構築に欠かせないと申し上げました。

しかし、プロレスラーのブランドの根幹にあるものは、言葉ではなくて、「生き方」なんです。

生き方から、自然と自分のプロレスラーとしてのこだわり、が生まれます。

コスチュームから、ファイトスタイル、ファン、マスコミへの接し方まで、すべてに生き方が反映するものです。

言葉はそのプロレスラーのあり方と密接に関係している、というよりも生き方そのものが、自然に言葉になると言っていいでしょう。

だから、内藤哲也は実はSANADAの寡黙さをなじっているのではないのです。

レスラーとして、お前は何者なのだ、という本質を問うているのです。

キャラ立ちが今一つのSANADA

ブランドとは、下世話な言葉で言えば「キャラが立っていること」です。

キャラが立つとは、まさに「プロレスラーとして生き方が確立している」ということに他なりません。

SANADAが週刊プロレスや内藤哲也に発信がどうのこうの言われるのは、SANADAのキャラが立ってないことを暗に示しています。

SANADA https://qr1.jp/FbhTr7

SANADAといえば、何、というものが見当たりませんね。

「燃える闘魂」のようなニックネームもないし、代名詞的な技もない。

上田馬之助になれ

昭和の名レスラーに、「まだら狼」こと、上田馬之助がいました。

https://qr1.jp/QHg5Ku

上田は力道山時代の最後の生き残りで、ほぼ、馬場、猪木と同期でした。

レスリングの職人ではあったものの、その地味なファイトと口数の少なさで、「日陰者」と揶揄されることもありました。

その上田が、突如「狂えるインドの虎」タイガー・ジェット・シンのタッグパートナーとして、新日本プロレスのマットに登場したのです。

https://qr1.jp/5hukc8

その時、あの地味な上田馬之助はすっかりいなくなっていました。

無口なのは変わりませんが、試合運びの一つ一つに色気と魅力が加わっていたのです。

それはひとえに上田が苦難の末に、自分のプロレスラー像というものを完成させたからです。

上田は、プロレスラーとしての自分のブランドを確立させていたのです。

SANADAはよく言えば、まだ発展途上なのですよ。

しかし、自分のプロレスラー像をつかんで、上田のような大悪党に変身したら、面白いかもしれないな、そう思った次第です。

でも考えてみれば、SANADAらしさも、ないことはありません。

それは愚直さ、真面目さです。

でも今のSANADAがまずいのは、うかがおうとしていることです、世間の声を、無口な自分をファンがどう思っているか、を。

愚直で、真面目でどこが悪い

SANADAよ、開き直れ、そのままでいいんだ。

ファンに媚びるな、10年無口でいいよ。

リングで生き方を曲げずに、10年の月日が経過した時、SANADAから新たな魅力が立ち込めるかもしれません。

野呂 一郎
清和大学教授





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