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自分と違う他者を目標にしてはならない

大谷翔平になりたい、は意味がない

さて、高校生の読者の皆さん、そろそろいったんプロレスはおいといて、本論に戻ろう。夢を持つためには大学に行こうと言った。行くな、とも言った。

要するに、いろいろな経験をしてから夢を持つのでも遅くはないよ、と言いたかったのだ。しかし、タブーの夢というものがある。

それは○○みたいになりたい、という夢だ。

先日、大人向きのnoteで、嫉妬することの恐ろしさ、を書いた。

自分と他人を比較してはならない

嫉妬がダメなのは、他人と自分を比較するからだ。あいつのほうが俺よりすぐれている、そうなって羨ましくなる、これが嫉妬だ。

他人と自分を比較してはならない。

○○みたいになりたい、というステレオタイプの夢は、嫉妬と同じ。

他人と自分を比較している時点で間違っている。

比較しちゃいけないんだ、他人と自分を比べるな。

○○みたいになりたい、とは○○の能力の質と量が自分のそれと同一線上にあって、それに追いつき、追い越したいということに他ならない。

それはやめなよ。

○○さんとキミは違うんだから。

例えば、カラテで○○選手みたいなハイキックを蹴りたい、これが夢だったとする。でも、○○選手の足の長さと柔軟性があって、あのケリが生まれるんだから、キミの短い足と堅い身体じゃあ、うまく行かないだろ。

もちろん、柔軟しまくって、足が超やわらかくなってハイキックができるかもしれない。でも○○の華麗さは、どうしても出ないよ。

そうじゃなくて、キミの体格や特質を生かした蹴りを目指すべきじゃないのか。○○の蹴りのモノマネをするよりも、自分自身の個性を生かしたハイキックを目指したほうが、よっぽどモチベーションが上がり、より早く本当の目的を達成できるだろう。

ボブ・グリーンになるという愚

僕も20代の頃、アメリカ留学するという知人がいた。彼はこう言っていたんだ。「留学の目的?それは、ボブ・グリーン(Bob Greene)みたいなエッセイストになることだ」。

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ボブ・グリーンは独自の文体で知られる、当時アメリカを代表するエッセイストだった。でもその知人とボブ・グリーンでは英語のチカラが違うし、感性も、ボキャブラリーの質も量もぜんぜん違う。

ボブ・グリーンになりたいんじゃなくて、自分の文体を作り上げること、これが彼の夢である、べきじゃないか。

他人にほめられたらそれを夢にせよ

自分が持たない他人の能力やスキルを羨ましがったり、つまり嫉妬したり、それが夢だなんて憧れて、他人のマネをしてはいけない。

大学に行け、というのは、一つは自分発見のためだ、もっとありていにいうと、他人にほめてもらうため、だ。

たくさん友だちを作り、クラブ活動、ボランティア活動、社会活動をして、人間関係のネットワークを広げると、他人からキミが知らなかったキミについてほめられる経験をきっとする。

思いがけない、自分を発見する。でも、それが本当のキミなんだ。

他者の指摘はあっていることが多い。ネガティブなことは真に受けちゃいけないけれど、ポジティブなことだったら、本気にしろ。そして信じろ、その言葉を。で、それに乗っちゃえ。

大学でほんとの自分を知る

夢は、自分の才能が全く活かせない目的であってはならない。大学生活で新しい経験をし、新しい知に触れることで、視野が広まり、自分が深まり、自身の持っているものに気づく。夢はその延長線上にあるべきだ。

もちろん高校卒業して、働く場に出ても新鮮な景色に遭遇して、同じ刺激を受けるだろう。

しかし、大学はいい意味で余裕がある。小中高と受験や様々責め苦の中で、縮こまっていたキミたちに、のびのびストレッチを与える役目がある。

その開放の中から、キミは自分に気がつく。そして友達はそれにもっと気がついて、何気ない言葉をきっとかけてくる。

それを夢のヒントとするがいい。

ふふ、プロレスからやっと開放されて、キミもやっと自分の夢に向き合うことができるようになったようだな。

プロレスの話は、やっぱり別連載で続けることにしようかな。

今日も最後まで見てくれてありがとう。

また明日会おう。

                            野呂 一郎

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