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小説【マチネの終わりに】を読んで何かわからないが嗚咽してしまった

結論
没入すると、これ以上ないほどにつらく、切なく、やるせなくなる。

マチネの終わりに 

平野啓一郎氏の「ある男」と「本心」を読んでいたので、恋愛小説はあまり好みでないが、読んでみたいと思っていた一冊。
これは私の感想なので、これが正しいというわけではなく、あくまでも主観的感想だということを断っておく。

これは天才ギタリストと国際ジャーナリスト、二人の大人の物語である。
実在するモデルもいるらしく、著者も関わりがあるらしいが、その関わりは描かずに、名前も変えているらしい。ではそのモデルは一体誰なのか、ということはさまざまなサイトで話題になっている。しかし私にとってはモデルが誰か、ということはあまり気にするようなことではなかった。

38歳の天才ギタリストの男性とと40歳の国際ジャーナリストの女性が、あるきっかけで知り合うことになる。最初の出会いの夜から、お互いはお互いを意識し、忘れられなくなる。遠く離れたところに住む二人だったが、彼らは毎日のようにPCを通して(スカイプ)で話をしていた。そしていつしか愛し合うようになる。女性はアメリカ人との婚約を破棄し、男性はそんな彼女を受け入れ、「結婚」を前提として前に進む、はずだった。
しかしある日、彼らはある一通のメールによって引き裂かれた。
それは運命というのだろうか。
たった三度しか会っていない二人は本当に互いを「愛して」いたのか。二人は別々の道を進むことになった。そして月日は流れた。お互いがそれぞれ存在しない日常をなんとか受け入れられるようになったときに、あの時の真相を知ることになる。

大人の恋愛小説、というカテゴリーはどうもしっくりこない。
しかし、人間ドラマ、というとそれも違う。この物語はあくまで
「二人の物語」なのだ。そう私は思っている。

ベストセラーで映画化にもなっているので、二人の運命を変えてしまった
メールのことはご存知の読者も多いだろう。
運命のメールとは、彼女に送られた「偽りのメール」のこと。この「偽りのメール」を送った主は、そのまま男性の妻になる。
この行為がネット上でも話題になっていた。「ありえない」や「共感できる」など。大方が「ありえない」というもので、その後小説を読むのをやめてしまった人も少なからずいたようだった。
私も流石にこのくだりは読んでいてつらく、読了は無理かと思えたほどだった。しかし別の見方をすれば、そこまで情景が思い浮かび感情移入してしまうのであれば、この小説は優れているのだ。内容が好きか嫌いかはともかく、やはり最後まで読むべきだと、私は閉じかけた本を再び開いた。

「偽りのメール」を受け取った女性は、PTSDを抱えていた。「偽りのメール」に彼らしさを感じず、不信でいたが、結局はそのメールの内容を受け入れ、自分から彼の前から姿を消したのだった。
「偽メール=男性になりすました別れのメール」を送った当人は大変なことをしてしまったと後悔をし、その罪滅ぼしなのか、ギタリストの身の回りの世話から何から何まで一気に引き受け忙しくした。その甲斐あって(というのかわからないが)彼は彼女を愛するようになり結婚をしたというのだ。知らなかったとはいえ、この展開に私は頭を捻った。婚約破棄までさせて結婚をしたいと願った女性があっさりと自分から去ってしまったこと、もっとすることがあったのではないか、と思えてならなかった。女性にしても同じだ。しかし二人は

三回しか会っていない。
これで本当にお互いを理解しているのだろうか。
本当に愛していたのだろうか。

そう思ってしまうのだ。
愛の深さは回数では計れなくとも
わかりやすいのはまた回数かもしれない。

しかしやはり嘘というものはいつかは露見してしまうのだ。

コンサートに行こうと会場でチケットを購入した女性は、
そこで男性(ギタリスト)の妻と出会う。
過去に一度だけ会ったことがある。彼女はギタリストのマネージャーだったから。あの初めて出会ったあの夜に会っている。
妻はコンサートには来てほしくない、と彼女に告げる。
そしてそこで彼女は決定的なミスを犯す。
来てほしくない理由が、あの「偽りのメール」と同じ文言だったのだ。

「あなただったのね」

何年経っても彼女は「偽メール=別れのメール」の文言を忘れることはなかった。彼女はチケットを机の上に置き、そこから去った。

彼女にバレてしまったのだから、というわけではないだろうが、
結局妻は男性に真実を告げる。男性は呆然となったが、怒鳴ったりしなかった。ただ、
「どうして隠し通してくれなかった」というだけ。
男性の頭の中はどれだけつらかったのだろうか、とひたすら女性の心配をしていた。

こうしてみると男性は、
妻を愛しているが、結果として「愛した」のではないか、と思えてくる。
一方女性に対しての愛は、結果として、というようなものではなく、
そうすべき存在だったのではないだろうか。
マネージャーだった彼女をすぐに愛したわけではなかった、と書かれてはあったけど、まさか結婚するとは。
結局そういうこと(結果)だったのではないか。

◆ちょっと余談ですが◆
この男性は人を見る目がない、としかいえない。と言うのが私の意見。
事情があって紛失した携帯電話をタクシー会社に取りに行ってもらうまではいいとしても、確認のために携帯の暗証番号を教えること自体おかしい。社用携帯ならまだしも個人の携帯であれば万が一の事故だってありうる。
そんなことをしてしまうからこういうことが起きてしまった。
これが全ての始まりだったのだから。

もし「偽りのメール」がなかったら、この二人はうまくいっていたのだろうか。
いや、それこそ「神のみぞ知る」ってことだろう。
たった三回しか会ったことのない二人が、愛し合い、一緒になると決めた。
しかし、それは叶わなかった。
そう「偽りのメール」のせいで。
でも真実を告白されたとき、男性は妻を恨むより女性を心配し、案じた。
真実を知ったとき、女性は一人号泣をした。
私はやっぱり、この男性次第だったとしか思えない。

そして歳月を超えて二人は再会するのだ。
その先は描かれていない。「神のみぞ知る」のだ。

最初に著者が書いている。
「肩透かしを喰らうかも知れない」と。
まさにそのとおりだったのだが、それにはこう添えてあった。
「直感的な共感をあまり早急に求めると」
そう、この話は別次元の、別世界の、ともすれば御伽噺なのかもしれない。

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