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【園館訪問ルポ】「汽車窓水槽」に愛を込めてーーアクアマリンふくしま「縄文どうぶつえん」/「親潮アイスボックス」(福島県いわき市)

 近年次々とオープンした都市ビル内の水族館では、プロジェクションマッピングに代表される映像技術を多用した「アート」「映え」との親和性を重視した展示構成がしばしば見られます。

 動物園と比較して商業ビルへの誘客装置としての性格を強く持つ都市部の水族館が多くの都市住民の需要に沿って展示を企画し、またその展示構成の影響力が郊外の水族館にまで波及していく趨勢は、「動物園と水族館の展示の文法」に差異が生じているひとつの要因と言えるでしょう。
     飼育種の寿命が長く、飼育施設の変化もロングスパンで進行する動物園に対し、水族館は比較的展示内容を機動的に変化させやすい性格を持つこともこの差異の背景には横たわっているかも知れません。

 しかし、それでもなお私には、水族館での飼育展示をめぐる近年の文脈の変化の大きさに戸惑い、咀嚼しきれていない部分があります。

昔ながらの「汽車窓水槽」が残る水族館の風景。越前松島水族館(福井県坂井市)にて。

 私は幼い頃水族館に連れられて行った時、ほの暗い館内に水槽が並ぶ「生きた図鑑」としての性格が強く印象に残っていました。
大水槽もプロジェクションマッピングもいいけれど、「汽車窓水槽」とも呼ばれる小水槽群を見るとどこか安心するのは、幼い頃の私にとっての水族館が図鑑から得た知識との相互参照によって世界の認識を確からしいものにしていく場所だったからかも知れません。

   前置きが長くなりました。先日初訪問したアクアマリンふくしまは、流行に乗り切れない私自身の「水族館観」に様々な切り口から応えてくれる施設でした。
 震災による甚大な被害から復興を遂げたことが象徴的に語られがちですが、私はここで「汽車窓水槽」のDNAを継承しつつも発展的に再解釈した展示群に出会い、非常に心惹かれました。

 アクアマリンふくしまは水族館ではありますが、哺乳動物の飼育展示から順路が始まります。

「縄文」をコンセプトにタヌキやアナグマといった日本人になじみ深い動物を飼育し、続く展示「縄文どうぶつえん」では汽車のように続く回廊の窓の外に縄文時代の人々の自然とのかかわりを連想させる文物が置かれています。

この展示には「縄文列車で旅に出よう」という副題が付いています。水族館でこれまで継承されてきた「汽車窓」という比喩を、「ヒトと動物との関わり」を魅せるために意識的に採用していることが読み取れます。

 様式が思想によって規定されるのであれば、「汽車窓水槽」という展示様式が映し出している価値観は何か。私は、「汽車窓水槽」の魅力は自然界を一定の規則やコンセプトに沿って分類し整列させることによって、多様性を構成する「個々」に光を当てる点にあると理解しています。


 回廊を抜け、本館に入るとまず視界に飛び込んでくるのは分類学的に配置された様々な種たち。進化史を彩ってきた化石たちとともに展示することで、異形の水生生物にも、生命史の中での地位があり、存在感があることを思い出させてくれます。

 さらに順路を進むと、「汽車窓水槽」のアイデアを縦横に拡充させ、多種多様な深海生物を集めた展示スペースが見えてきます。「親潮アイスボックス」です。

 国内初繁殖を果たしたナメダンゴをはじめ、オオグチボヤやオオメンダコといった特色ある深海生物たちがぴっちりとキューブ型の水槽に収められ飼育されています。
 これらの珍しい生物の展示はアクアマリンふくしまの高い飼育技術に裏打ちされていますが、真に着目すべきは珍しい生物をただ一様に漫然と並べているのではなく、「親潮海域が育む生命の多様性」というコンセプトのもと展示種が集められている点にあると考えます。

 味気のない図鑑的な分類に終始した無機質な飼育方法をやめ、生物種の生態に積極的に光を当てるべきだ、という展示思想の方向性は水族館だけではなく動物園でも大きな潮流となっており、この点には私も全面的に賛同します。
 しかしながら、他方で地理学的・分類学的な体系の説明が不十分なまま、生物の生態・形態の特異性ばかりに光が当たっているテーマ展示も目立つようになってきていると感じます。
 だからこそ、アクアマリンふくしまの小展示群にかつての「汽車窓水槽」が志向した図鑑的な理解の発展的な姿を見ることができた気がして、嬉しく感じたのかも知れません。
 形態的な珍奇さだけに着目させるのではなく、生物史、生物界という大きな枠組みの中でそれぞれのいのちが置かれている状況をイメージさせてくれるということが、私が博物館施設としての動物園や水族館に対して惹かれているポイントなのでしょう。

 アクアマリンふくしまの魅力は初めてとなる訪問の中で他にもたくさん見出すことができましたが、この記事では語り尽くすことができません。
また違う季節にも再び訪れることができたらいいな、と思っています。