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【園館訪問ルポ】さいはての野生、すぐそこにある野生(前編)ーー釧路市動物園「北海道ゾーン」(北海道釧路市)

 2021年11月末。北海道在住の友人たちに札幌市内を案内してもらった日の夕方、4時間をかけて鉄路で道東へ向かいました。長い時間をかけてでも訪れ、自分の目で見て、歩きたかった場所がありました。

  日本でいちばん東の果てにある動物園。釧路市動物園です。

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 釧路市動物園が気になっていたのは、日本における動物園の変容について調べていくなかでこの園が「未来のモデルケース」とも呼ぶべき顔を持つことを知ったからでした。

 ラムサール条約に国内で初めて指定された釧路湿原が近く、園内にも湿地帯が保全されていることを知った時、この園が地域の「自然への窓」としてどのような活動を展開しているのか、訪問して確かめなくてはと感じていました。

 新型感染症が落ち着きを見せた頃、北海道を訪ねる時間を持つことができたのはわたしにとって願ってもない好機でした。

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 釧路市動物園内に保全された湿地帯は「北海道ゾーン」と名前が付けられたエリアの広い部分を占めていました。

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 整備されている木道散策路に沿って周囲の自然を観察しつつ、釧路市周辺にも生息している国の特別天然記念物、タンチョウの飼育舎を目指して歩いていくことになります。

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 すでに木々は枯れ、冬の足音が近づいていましたが、野鳥たちのさえずりを聴きながら風が吹く木道を歩きました。

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木道の途中には板張りがされている部分がありました。キツネ返しです。野生のキタキツネが媒介するエキノコックス症は北海道で恐れられています。

 釧路市動物園でも過去にエキノコックス症に感染したオランウータンが死亡しており、ヒトのみならず飼育動物たちを守るためにも必要な仕掛けであることが読み取れました。

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 木道の周辺の風景では、木々の解説パネルが目を惹きます。地域の山野を形作る環境そのものへの着目を促す掲示物は、以前足しげく通っていた富山市ファミリーパークでも印象に残っていました。

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 しかし、釧路市動物園の「北海道ゾーン」ではアイヌ語名の解説も添えられていました。

 長い歴史の中で植物と人との奥行きがある豊かな関わりが続いてきたことを、「道東ならでは」の方法で来園者に訴えかけているように思えました。

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 湿原の一角には「コウモリハウス」と名付けられた巣箱が備え付けられていました。意外なことでしたが、湿原には多くの野生コウモリも暮らしており、調査が行われているようです。獣舎で飼育し「展示」することが難しい野生動物たちの気配も確かに満ち満ちていました。

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 湿地帯の特質に気付きながら木道をさらに進むと、タンチョウたちの飼育舎にたどり着きます。

 タンチョウを飼育する園は数多いですが、野生のタンチョウが一年を通じて暮らす釧路湿原は「タンチョウ本来の暮らす環境」であり、湿原の風景とタンチョウの姿を併せて味わえる釧路市動物園は国内を代表する飼育園と言えそうです。

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    タンチョウの保全の現状を見せる工夫にも目が行きました。電線に設置された黄色い標識の実物を間近で見ることができ、地域ぐるみでツルたちを守る取り組みが実践されていることを実感できました。

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 北海道ゾーンの出口には「丹頂動物病院」と名付けられた新しく大きな動物病院が建てられています。通常は非公開の施設ですが不定期でバックヤードツアーも開かれているようです。

 事故に遭ったタンチョウの救護活動やリハビリの取り組みを紹介する数多くのパネルによって、この園がタンチョウの保護活動において地域の中で基幹的な役割を果たしていることが紹介されていました。

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 北海道内各地の動物園をめぐる巡回展も企画されており、保全の実務に加えて課題も含めて「伝える」教育普及活動にも大きな力が入れられていたことに、この動物園が「社会教育施設」として長年培ってきた役割の継承を感じました。

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 旅行者として道東の自然のひと幕や、人と自然の関わりを幅広い切り口から認識できたことは意義のある体験だったと言い切れます。

 ではこうした取り組みは、地域の人たちにはどのような形で受け止められているのでしょうか。

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 この旅では動物園から釧路空港まで、市内に暮らす友人のお母さんに車で送って頂いたのですが、帰りの車の中で「釧路市に暮らす私たちにとってタンチョウは野生の姿を普通に見かける生きもので、わざわざ動物園に観に行くというイメージはなかった」というお話をお聞きました。

 はっとさせられました。私にとって釧路は生活している地域からはるか遠い場所で、訪問にはそれなりに強い決心や目的意識が必要でした。

 しかし、地域で暮らす人たちにとっては、私が旅行者の眼で驚いたり感嘆している風景も「日常」の一風景なのです。

 世界の潮流を見据えながら日本の動物園が舵を切りはじめている「保全」の方向性と、開園から数十年かけて地域に根ざした「動物園」に対するイメージは、釧路市に限らず、隔たりが生じてしまうものなのかも知れません。

 釧路空港から発つ飛行機の中でも、私は自問し続けずにはいられませんでした。

 「動物園が日本中、北から南に至るまでそれぞれの街で、『保全センター』ではなくあくまで『動物園』の看板を掲げ、人々に生きた動物たちの姿を公開し続けているのは何故だろう」という命題は、より一層強い実感を伴って私に問いかけてきました。

後編に続く)