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#ポリコレ って必要? #下書き

 私の名前は心 理(ココロ コトワリ)。心診士(シンシンシ・自称)をやっている者です。心診士は読んで字のごとく心を診ることを生業とし、心の問題に対して数々の思考実験を繰り返して理解を深め、皆様と共に世間に広めることを目的に活動しています。

※タイトルに #下書き と書かれている記事は後日編集する予定です。読みにくかったり誤字がある場合がございます。
※心理カウンセリング(以下心理職と略)

 最近ハリウッド映画などでよく聞くポリコレ。

 ポリコレとは要約すると差別的な表現の排除を目的とし、中立的な表現・用語・態度を用いることを主に作品制作にあたるというイメージでしょうか。映画作品に限りませんけど、かなり影響を与えているその業界での出来事なので今回は考えていきたいと思います。
 映画の業界でこのポリコレで問題視されているのが全人種を平等に登場させるような圧力がかかっていることなんですよね。白人黒人に限らず、各国の俳優を一本の映画に登場させています。
 世界を舞台にした、例えば地球vs宇宙人みたいなSF作品だと多種多様な人種が協力し合って宇宙人をやっつけるみたいな作品であれば問題ないのですが、もっと閉鎖的な一部の地域なのに多種多様な人種が入り混じっている作品があったり、原作で主人公の人種が書かれているのにそれを変更したり、エルフ族やドワーフなんかのイメージも覆すような変更が成されていたりと世界観の崩壊が気になる作品が増えているようです。
 映画作品やテレビ番組という影響力は実は大きいみたいで日本でも「この作品はフィクションです。実際の人物・特定の団体・宗教は一切関係ありません」と注釈されます。例えば存在しない人物団体宗教など作中の設定すら本当に信じてしまう方も少なからずいるようです。〇〇という悪の組織が世界征服を企んでいるとか、小さなことでは主人公を苛めるAという配役に「苛めをするな」と抗議の電話があったりという話も聞いたことがあります。そういう観点から言えばポリコレの意味も分かりますが、そうするとニュースで犯罪や薬物使用報道もポリコレに引っかかってくるような気がしますね。芸能人の自殺にショックを受けての後追いなんかも問題だと思います。

 と、ここまで書いておいてあれですけど映画業界などで起こるポリコレはメタ的な話なのですが、本来のポリコレ思想はなくただ平等な配役を!という作品に関係ない運動であることが問題だったりします。もうポリコレというより俳優の労働に関する運動になっているわけです。当然肌の色で差が出てきたりするお国柄もありますので、大きな声では言えませんし、最近はそれを押し付けているだけの状態になっているのは良くないですよね。
 たまたまX(旧Twitter)で日本のアニメや漫画に黒人の主人公がいないのはポリコレに反している!なんてポストを見ましたが、残念ながら黒人が主役の名作はあるんですよね。それにインド映画も一時期流行ってましたよね。
 つまり何が言いたいかと言うとどうしても意識高い系のファッションポリコレになっていませんかという話です。心理職の現場でも親による「あなたのためでしょ?」という押し付けと同じ理屈なんですよね。

 ポリコレの思想は大変立派なものではあるのですが、事にクリエィティブな作品においては正直表現の自由の観点から難しいものだと思います。作品の世界観や込められた思想に影響がなければ良いのですが、そこまで踏み込まれると作品自体が崩壊しかねませんから。特に女性が主役なのにトランスジェンダーの方が出演しているなんてことになりかねません。(そういう世界観の作品であるなら別ですが)

 ともかく作品の完成においてメタ的思想としてポリコレが存在するのであれば、私はいらないと考えています。これはクリエイター側からすれば屈辱的なことなのです。キャラクター一人とってしてもそれは作品の大事な一部なのですから。それが嫌なら新しく黒人の方を主役とした作品を作れば良いのだと思いました。

 いかがだったでしょうか?本来こういうデリケートな問題は書くべきではないのですが、それに翻弄され続けている様子を見ているのはツラいものがありますね。一個人の私が発言したところで影響が出るわけではありませんが、どうしても言いたかったことでした。

 さて次回のテーマは「 #クリエイター による #政治批判 ってどうなの?」について考えてみようかと思います。すこし気になるポストを見つけたので描いてみようと思います。

 出来るだけ月曜日に更新したいと思っていますので、皆様よろしくお願いいたします。

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