晴れた冬の日の散歩ほど幸福なものはない。 早起きして電車の終点まで行き、カメラを片手に歩く。 風が無い日で、のんびり歩き続けていれば寒さを感じない散歩日和だった。 あいさつ代わりに駐輪場に差し込む朝日を。 団地の向こうにパチンコ屋の看板が見えた。 パイロンを見つけるとつい撮ってしまう。 いつもの朝の風景。ゲートボールやったことないけど面白そうだよね。 撮ろうとしたらフィルムが無くなって、慌てて詰め替えた。 ロボットみたい。 川を渡る。歩道を歩
ローライフレックス2.8Fプラナーを買った。2年くらい迷っていた。正直、無くてもいい。しかし、フィルムカメラというもの自体がそもそも無くてもいいものだ。となれば、フィルムカメラを「必要だから買う」という状態は存在しないことになる。だから買った。自分でも何を言っているのかよくわからない。 とにかくモノとしての魅力が素晴らしい。金属とガラスの塊感。大きさは意外と小さい。ライカのM3を縦にした状態とほぼ同サイズ。重さはDRズミクロン50mmをつけたライカM3よりやや重い程度。
晩秋。冬は苦手だが、冬が来る直前のこの時期は、一年の中でも好きな季節だ。古着のダッフルコートを羽織り、身を縮めながらトグルを留めて歩き出す。
もう去年の話だけど。 語弊を恐れず言えば、ちょうどフィルム風プリセットを当てたみたいな写りだなと感じた。特にシャドウの色被りと粒子感が特徴的で。 ライカM3にportra400詰めて撮るときは、晴れの日の屋外ならだいたいf8でSS250固定で撮ればいい感じになる。だから今回はss500固定で撮ってみたんだけど、ちょっとシャドウが潰れ気味になった。もうちょっとオーバーで撮ったらちょうどよくなるかもしれない。 道沿いに干してあった洗濯物。こういう生活感を感じる場所がす
まとまった連休があると、車で気ままにドライブに行く。今回は、地元の名古屋から長野を抜けて新潟へ行き、岩手でわんこそばを食べ、宮城、茨城と南下して関東へ寄り、静岡から帰ってくるという旅だった。 旅の三日目に新潟の粟島という離島に寄った。人口300人ほどだが、10平方キロメートル弱はあるので、離島としては割と大きい島だ。 フェリーで90分ほどかかる。高速船でも50分くらい。高速船は波が高いと運休になる。島へ渡る際は運休だった。ちなみに今回の写真は、ニコンのF2とCONT
最近撮った写真をいくつか残しておくことにする。たぶんインスタとかには載せない写真。従来から撮った写真の95%はどこにも出さないけど、最近は写真によっては行き場が必要なものがある気がしている。それは例えば印刷されて額縁に入れられて飾られることかもしれないし、noteに貼られることかもしれない。 以前こちらの記事でも紹介したが、自分の撮った写真を見ていると、自分の傾向性が見えてくる気がして楽しい。つい目で追ってしまうもの。つい目に留まってしまうもの。ついカメラを向けてしまうも
モノクロフィルムを使う機会があまりない。 「何に惹かれて写真を撮るか」というのは人それぞれだろうけど、僕の場合は「色と光」に惹かれて撮ることが多いようだ。だから、モノクロフィルムを詰めるってなると、どうしたって勇気がいる。色という要素をばっさり切り捨てないといけないから。 3年ぶりにディズニーシーに行くことになったので、昼間はモノクロフィルムで撮ることにした。もちろんカラーフィルムで撮っておいてモノクロ変換することは容易いが、それをするくらいなら最初からデジタルで撮
平日に休みがあると、つい足が向いてしまう場所がある。ふつうに歩いていたら見逃してしまいそうな、雑居ビルの3階にあるカフェだ。 ヨーロッパのブロカントだらけの雰囲気も素晴らしいけど、何といっても激レアな写真集がふんだんに置かれているのが僕にとってはたまらないポイント。混雑していなければ、コーヒーをおかわりしながら何時間でも過ごせる。 ここのコーヒーは有名店「kajita」の豆を使っていて、これがまた絶品。値段も控えめなのでついおかわりをしてしまう。 雑居ビルの間に
鎌倉という街までは、僕の家から電車を乗り継いで2時間ちょっと。 そうしょっちゅうは来れないけど、2連休でもあればふらっと来られる距離でもある。 鎌倉に来ると、必ず訪れるホテルがある。aiaoiという小さなホテルだ。 古材や古布をふんだんにつかった、6部屋のみの小さなホテル。 打ちっぱなしのコンクリートが、なぜかあたたかい。 由比ヶ浜が目と鼻の先にある。静かな雨が降り続く日だった。 時間が許せば、2~3日逗留して海を眺めたり本を読んだりして過ごしたい。
「雨だし、遊園地にいこう。」 僕がそういうと、彼女は目を輝かせた。 その遊園地は、僕の家から高速に乗って1時間ちょっとの山の中にある。来年で創業50年になる古い遊園地だ。 着いてみると、僕たちの他にお客さんはいなかった。 園内を歩いていると、雨足が強くなってきた。ざぁざぁという雨音のむこうに、微かにおるがんの曲が聞こえた。陽気な曲なはずなのに、雨音を通すとやけにメランコリックに感じる。 大気圏外。まるで映画館の中。 「また来ようね。」
「ぼくもぼくのことが理解できればと思う。でもそれは簡単なことじゃない。だから絵に描くんだ」 (村上春樹『騎士団長殺し 顕れるイデア編』より) 突然だが、僕はほぼ自己満足で写真を撮っている。僕は撮った写真の99%をSNSにあげない。彼女をメインで撮るが、彼女のために撮っている、という認識もない。あくまで自分が撮りたいから撮っている。 写真を撮ることによって得られる副次的な効果がひとつある。自分自身の理解につながるだろうということだ。もし自分自身のことを少しでも理解した
衝動的にチェキを買ってみた。instax mini 90というモデル。2万弱くらい。マクロ撮影や多重露光ができて撮影の自由度が高いやつ。それくらいの値段のものが、衝動買いした満足感と背徳感のバランスがちょうどいい気がする。以下は全てこのカメラで撮った写真。 休日に喫茶店でモーニング。普段フィルムカメラばかりで撮ってるから(チェキもフィルムだけど)、「撮ったその場で写真を見ることができる」というのが一周回って新鮮だった。 フィルム写真というのは意外と綺麗に撮れるも
違和感を大事にしたいと常々思っている。違和感こそが個性だから。 「何か気持ち悪いな」と思うこと。「何かがおかしい」と感じること。直観がまず先にくる。そして細かく検証してみて、その正体を、概念を見つける。然る後に言語化する。僕はこのプロセスを大事にしている。 いかにたくさん見てきたか。検証してきたか。概念化して、言語化してきたか。その繰り返し。言語化は大事だ。概念としては理解できているように思えても、いざ言語化しようとすると躓くとしたら、それは多分きちんと理解でき
僕の人生における喜びは歩くことだ。太陽の出ている道でも、真っ暗な道でもいい。ひたすら自分の足で自分のペースで歩く。これほど幸せなことは無い。歩いてさえいれば僕の人生は幸福だと断言できる。 どうも僕は、人と歩幅を合わせることが苦手(比喩的にも現実的にも)のようだ。それも、極端に苦手なようだ。人が苦手である。誰かといると息が詰まってしまう。他人に合わせることができない。 これは僕の欠陥だ。でも、僕が僕として生まれてこういう性質を持っている以上は仕方のないことだ。僕なり
出歩く時にカメラを持つのが当たり前になったのはいつからだろう。 ハーフカメラはいつも鞄の中に放り込んでいるし、彼女と出かけるならもう一台カメラを持つ。たいてい、ニコンF2かライカM3の中に撮りかけのフィルムが入ってるから、その続きから。 以前は早く現像したくて無理やりフィルムを消費してたけど、最近はあまり気にせず気が向けばシャッターを切るし気が向かなければ何も撮らない日もある。 現像から上がってきた写真が何ヶ月も前のものってこともある。これはこれでいい。季節
フィルムカメラの最初の一台としておすすめなのが、通常の倍の枚数撮影できるハーフカメラだ。例えば36枚撮りのフィルムなら、1枚分を2分割するので、72枚撮影できる。これならフィルム代や現像代というハードルも多少下がるかもしれない。 僕が愛用しているのがオリンパスのペンEESというカメラで、1962年発売。このモデルは自動露出だから、基本的にはフレーミングしてシャッターを押すだけ。使い勝手としては極めて写ルンですに近く、簡単に写真が撮れる。 ただ、後継機種と違って完全