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36回目 V. S. Naipaul "Beyond Belief" を読む (Part 5)。Malaysia の社会のイスラム信仰

1. Naipaul は 1979 年にインタビューした当時 32 才の男性、Shafi 氏。17 年後(1995 年)に再度インタビューしようとしますが上手くは行きません。これもこれでこの社会の一側面として読者の前に描き出します。


1-A 何時の間にかに、すなわち、ここ何百年か、自らの国/社会を良くするための意図的行動を起こすことなく過ごす内に、人口の半数が中国系、そして中国系以外の人々の子孫が占めることになったマレー人の国家・社会というマレーシアです。

[原文 1-A] Used to that idea of the land, the village people hadn't seen or understood to what extent in the last hundred years they had been supplanted by Chinese and others. They had awakened now, late in the century, to find that Malays had become only half the population, and that a new way of life had developed all around them. They had not prepared for that new way.
[和訳 1-A] 土地(自分の国土)についてのこういう捉え方にどっぷり漬かり切っていた所為で田舎の村々に暮らしていた人々(マレー人)はこの百年間に中国系と中国以外の国かれの人々にどこまで深く社会の主導権を横取りされているのかに気付いていなかったのでした。20 世紀の終わり近くの「現代」になってようやく、自分たちマレー人の数がこの土地に暮らす人口の半分にしかならないことに気付き衝撃を受けたのです。加えて自分たちマレー人が彼ら外国からの侵入者たちの近代的な生活様式・暮らし方から取り残されてしまっていた事実も衝撃的でした。彼ら侵入者達の近代的な様式に対応するにも、まず準備が必要で即座の対応は不可能でした。

Lines 16-21 on page 384, 'Beyond Belief', Picador 2010 edition

1-B )外国からの侵入者たちに圧倒されたマレー人たちにとって、心の安定を得るための工夫が必要になります。そこにイスラム原理主義からの誘いが迫ります。特に若い世代に人々への影響力は大きいようです。Business に生き甲斐を見つけられなかったマレー人、Shafi 氏がこの種の宗教活動の餌食になります。日本の憲法が信教の自由を謳っているからといって「どんな教えも十把ひとからげに「宗教」と呼んで、どうぞご自由に布教活動してください」でよいのか、不安になります。

[原文 1-B] To be a Malay like Shafi, half in and half out of the old ways, was to feel every kind of fear and frustration. It was too much to carry that general rage. Malays of Shafi's generation had become passionate believers; and their belief was given edge by Islamic missionaries, who were especially busy in 1979, with the revolution in Iran and the Islamising terror of General Zia in Pakistan. The missionaries were spreading stories of Islamic success in those countries, and promising similar success to people elsewhere, if only they believed. The Islamic missionary world existed in its own bubble. The extension of the faith was its principal aim; and -- as for the fourteenth century traveller Ibn Battuta -- once the faith ruled, the conditions of the faithful didn't matter.
[和訳 1-B] シャフィに代表されるような、(田舎の出身で)半分は旧態依然の価値観、半分はそれから自由になった価値観を持っているような(当時 30 才前後の)マレー人は、誰であれあらゆる種類の恐怖ないしは不安を感じながら暮らしていたのです。そのように広い範囲に渡る反感を抱えて生きることなど、誰にとっても長くは続かないのです。シャフィの世代のマレー人たちはそんな中、熱心な信仰者に育っていったのです。彼らの信仰心は、イスラム教の伝道者たちによって特別に鋭いもの(原理主義的なもの)に研ぎ澄まされたのです。1979 年当時にあって、この地の伝道者たちは特に活気に満ちていました。イランでは革命が成功していたし、パキスタンではジア将軍が権力を握りイスラム原理主義の下に恐怖政治が進行中で、(この地の伝道者たちの活動は)これら動きに呼応するものでした。伝道者たちはイスラム信仰の拡がりという成功物語を余所の地域に喧伝していたのです。信仰者になりさえすれば同じ成功があなた達にも到来するのだと主張しました。世界中に存在したイスラム伝道者たちにとってそれはバブルの時代でした。伝道者たちは、信仰者の獲得こそが最重要課題と信じていたのです。その結果、14 世紀といった大昔のイブン・バトゥータが関心を持たなかったのと同様に、伝道者たちも、イスラム信仰という「法」が人々を支配しさえすれば善く、それに支配される人々すなわち信者たちの暮しの良し悪しに関心を持たなかったのでした。

Lines 22-33 on page 384, 'Beyond Belief', Picador 2010 edition

1-C )旧態依然の社会を嫌い、お金があった等の理由でロンドンに移住できたマレー人女性たちは、デカダントな(快楽主義の)家庭で勉強をしないまま大人になった所為で変な宗教に引き込まれたのです。

[原文 1-C] She, the daughter of an imperious, well-born mother, began to feel a great emptiness before she was twenty. And when, later, she went to London, she found that other Malay girls there were like her. Certain girls she knew, whom she thought were well off and happy, had joined a sect, they had a great, hidden need. The leader of the sect made them give him money; the girls treated him like a god-like figure with special powers.
Nadezha said, 'Malays like these people with special powers because they believe that things don't happen because of your own actions. They think that by engaging one bomoh or shaman they will put everything right. Everyone I know is religious. They have a strong faith.’
[和訳 1-C] 名家の出身・わがままで専制的な性格の女性の娘である彼女(ナデーザ)は 20 才近くの頃には空白感を抱いていました。ずっと後年になってからのことながらロンドンに行ったことがあったのです。そこで出会った他のマレー人女性たちも自分によく似ていたというのです。以前からの知り合いで、裕福な家庭の娘で幸せに過ごしていると想定していた女性たちもいたのですが、そんな彼女たちがセクト集団に参加していたのです。彼女たちは密かに辛い苦しみを抱えていたのです。集団のリーダーは彼女達から金を集めていました。彼女たちはこの男が特別な力を持つ神であるかのようにこの男に従っていたのでした。ナデーザは「マレー人は、自分たちには自分の意志で物事を動かすことができないことから、特別な力を持つこの種の人間に心惹かれるのです。マレー人たちは呪術師ないしは予言師に頼ることで物事がうまく収まると考えるのです。私が知っているマレー人は例外なく宗教を頼りにし、強い信仰心を持つ人たちです」と話しました。

Lines 3-14 on page 403, 'Beyond Belief', Picador 2010 edition


2. ナイポールの主張の根幹にある「幼少期からスタートして長く継続する教育」を重視する姿勢が顔を出します。加えてそんな機会に恵まれることが少ない女性たちの存在への懸念も。

2-A ) マレーの王族たちに所縁の街 Kuala Kangsar を訪れたナイポールは、そこに工房を持つ王族との血縁者でもある彫像作家をインタビューします。図らずも目にしたのは中年の中国系女性であるこの館の家政婦でした。

[原文 2-A] The sculptor had a middle-aged Chinese housekeeper. She would have been given away by her family as a child, because at that time Chinese families got rid of girls whom they didn't want. Malays usually adopted those girls. The sculptor's housekeeper was the second Malay-adopted Chinese woman I had seen that day. It gave a new slant to the relationship between the two communities; and it made me think of the Chinese in a new way.
[和訳 2-A] この作家の館には中国系の中年女性が家政婦として仕えていました。この女性は子供の頃に両親から放棄されたものと想定出来ました。彼女が子供の頃となると、それは中国人の家族が育てられないとなると生まれた女の子を放棄することが良くあった時代だったのです。一方マレー人家族はそんな女の子をよく貰い受けたのでした。この作家の館で目にした家政婦はその日私が目にした二人目のマレー人家族に拾われた中国系女性の召使でした。この経験は、この地の二つの社会の間に生み出された相互関係の理解に向けた新しい視点を教えてくれました。すなわち私には、中国人に対するこれまでとは異なる見方が加わったのでした。

Lines 3-9 on page 392, 'Beyond Belief', Picador 2010 edition

2-B ) 多くの農地を手放し落ちぶれたとはいえ名門の家族の娘と子供の時から本を読み、その流れで奨学金を得て大学を出た田舎の貧農の息子のカップル。そしてその間に出来た娘 Nadezha も父と同様の男を見つけ結婚します。

[原文 2-B] Though Nadezha remembered a quarrel once, when her father told her mother that her parents had never thought him good enough. But if she had married the kind of man she was supposed to marry, he said, she would have been stuck in Perak.
Nadezha said, 'It's probably true.'
And what was strange even to Nadezha was that, when the time came for her to think of marriage, she did as her mother had done. She, too, married an ambitious kampung boy. (kampung = village Malay)
[和訳 2-B] しかし、ナデーザは父が母に「あなたの両親は私を褒めたことが無い」と指摘したことから一度喧嘩になったことを覚えていました。その時、父は「そうは言ってももしあなたが私でなく旧い価値観に従い結婚相手の男を選んでいたならば、この田舎 Perak の狭い世界から抜け出せなかっただろうね」ともいったのでした。ナデーザは「父の見解はおそらく当たっていると思う」とも言いました。ナデーザ本人にとって不可解なことに、自身がこの喧嘩の記憶があったにも拘わらず、自分の結婚に当たって母と同様の選択をしたのでした。ナデーザは田舎の村社会で生まれ育った男と結婚したのでした。結婚相手のこの男は出世欲・やる気満々の男でした。

Lines 16-24 on page 397, 'Beyond Belief', Picador 2010 edition


3. 中国系マレーシア人(マレー人ではない)の40 才代の順風漫歩たる銀行員をインタビュー。

14-5 才の時にクリスチャンになったというこの男性 Philip を描くナイポールの言葉には氏の祝福の気持ちが溢れています。イスラム教への改宗者に向けたナイポールの不安や心配の気持ちとの対比は明確です。この中国系の男の言葉は以下の通りです。自信と共にこれからの課題も明確・理性的に自覚しているのです。

[原文 3-1] Philip's father had two families. Philip belonged to the second family, and he felt that his mother had been badly treated. He didn't like what he had seen as a child. He wished to put matters right for his mother, but he was adrift emotionally, until his conversation to Christianity in his fifteenth year. ----- [lines 2-6 on page 393]
She was a worshipper of Chinese idols. People like her had now moved to a new form of Japanese Buddhism.
'It's quite common, the Chinese family throwing away their gods and joining this new Japanese Buddhism, which is based on strong humanistic traditions. I'm happy for them that they've liberated themselves from those kitchen gods.' ----- [lines 33-38 on page 393]
[和訳 3-1] フィリップの父は二つの家族を作っていました。フィリップは第2の家族に属していて自分の母が酷く苦しんだことを知っていました。子供の頃には嫌な事を何度も目にしたのでした。母が被った理不尽を挽回してあげたいと望んだものの、感情的に不安定な子供でしかなかったのです。ところが 15 才になった時にキリスト教に入信、心の安定を得たのです。

Lines 2-6 and 33-38 on page 393, 'Beyond Belief', Picador 2010 edition

[原文 3-2] 'Even as a child it had no meaning for me. When the time came to discard it we just got rid of it like old clothes. We weren't worried that the gods would come and punish us. When I was fourteen or fifteen I felt a lack. A void, an emptiness. It cannot be articulated. For me it was serendipitous that I chanced upon a chapel service. The second generation of Chinese had to anguish over the fact: Who am I, beyond my shelter, my diploma, my degree? These questions were more real to the second generation. The first generation was much too busy. For the Chinese there is inherited wealth, inherited circumstances, but also the query: Am I only my father's son?'
[和訳 3-2] (フィリップは私に話しました。)「まだ子供であったのですが、私には、それ(キッチン宗教)が何の重みなかったのです。それを忘れ去る時が来れば私たち(私と母、または中国系の人々)はそんなもの古着を廃棄するのと同様に、さっさと放棄したのです。様々な神が追いかけて来て罰を加えるなどと私たちは心配しません。14-15 才の頃に私は心に空白感を抱いていました。すきま・虚無感でした。この感覚は明確に言い表すことができません。幸運なことに、私は偶々思い切って教会の説教を聞きに行ったのでした。中国系2世たちには悩まざるを得ない共通の問題があります。それは「自分は誰か?」というもので、自分の住処、自分の学位、自分の資格の如何以上に重要なのです。この種の悩みは1世よりも2世の人々にとってより一層重要なのです。1世の人々には私たち2世のように悩んでいる暇が無かったのです。今の中国系の人々には親から引き継いだ富、引き継いだ行きがかりがあるのですが、もう一つ「自分は父親の子であるだけなのか?」という疑問・悩みも引き継いだのです。」

Lines 8-17 on page 394, 'Beyond Belief', Picador 2010 edition


4. この本を締めくくる章は、宗教からも金・金のビジネスの世界からも半歩引き下がった脚本家の生き様です。

マレーシアの観察記録(今回のマレーシアン・ポストスクリプトの部)の最後を飾る Chapter 4 "The Other World" は、マレー人の演劇作家 Syed Alwi 氏へのインタビューの記録です。相手が物語の作家ということもあってでしょうが、この本に関わる4ヶ国すべての取材の旅にあって、ナイポールにとって最も気分の良いインタビューになったようです。イスラム教によって人々を統率しようとする人々の活動と自分自身で考え自分が善だと考える自分を創ろうという望みの間で苦しんだであろう父の姿に発想を得てその息子 Syed Alwi 氏が作り上げた演劇脚本。それに重ね合わさるようなナイポールのインタビューの記録はナイポールの好みの世界を描くナイポールの小説なのだとも思えます。

5. Study Notes の無償公開

以下に Part IV Malaysian Postscript に対応する部分の Study Notes を Down Load Files として公開します。A4 サイズの用紙に両面印刷すると A5 サイズの冊子(ハードプリント)が出来上がります。