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20回目 Saul Bellow "Cousins"を読む。シカゴの裏の社会に繋がりを持った従弟の家族を、幼少期に彼らと一緒に育った語り手が、祖父の時代に逃げ出したシベリヤ・ソ連も絡めて描きます

  このノベッラによると第二次大戦を挟む1910-1960年代のシカゴに根を張ったマフィヤの網・闇にはイタリヤ人のみでなくユダヤ人もゴロゴロしていたことが解ります。そして当然ながら彼らと繋がりたくないビジネス界の人たちとの橋渡しをする・橋渡しを強いられる大勢の哀しいとしか言いようのない人達の存在です。ベローの作品にはその当時に名を知られた人たちが実名で登場します。その物語はフィクションとは言えベローの能力によって収集され整理された現実の描写、それは簡約・明晰な文章をもってなされた当時のありさまそのものです。

<原文の冒頭とその和訳>

  より多くの方々に読みたいなと感じて頂く。それには原文のどの部分をここに例示するべきかと考えたのですが、考えれば考える程、この冒頭部分をおいて他にないなと感心させられました。よってこうした次第です。

【原文】A Few Front Paragraphs of this Novella on Page 191
Just before the sentencing of Tanky Metzger in a case memorable mainly to his immediate family, I wrote a letter--I was induced, pressed, my arm was twisted--to Judge Eiler of the Federal Court. Tanky and I are cousins, and Tanky's sister Eunice Karger kept after me to intercede, having heard that I knew Eiler well. He and I became acquainted years ago when he was a law student and I was presiding over a television program on Channel Seven which debated curious questions in law. Later I was toastmaster at a banquet of the Chicago Council on Foreign Relations, and a picture in the papers showed Eiler and me in dinner jackets shaking hands and beaming at each other.
So when Tanky's appeal was turned down, as it should have been, Eunice got me on the telephone. First she had a cry so passionate that it shook me up in spite of myself. When her control returned she said that I must use my influence. "Lots of people say that you're friends with the judge."
"Judges aren't that way. …" I corrected myself: "Some judges may be, but Eiler isn't."

【和訳】(この英文には難しい構文が無く易しいのですが念のため)
  近い親族の間でしか気にもされない法廷案件であったのですが、その法廷でタンキー・メツァへの判決がいよいよ言い渡されるという直前のタイミングにおいて、私は連邦裁判所のアイラー判事に手紙を書きました。私は誘導され、強く頼まれ、腕を掴まえて強要されたような気持ちにもなってそうしたのです。タンキーと私はいとこ同士です。タンキーの姉のユーニス・カーガが、判事のアイラーは私の知人であると聞き知って、私に寛刑を嘆願する手紙を書くようにと迫ったのです。アイラーと私が知り合ったのは何年も以前、彼が法学生で私がテレビの7チャンネル、おもしろい法律問題を討論する番組の進行役をしていた時でした。その後ある時に、外国との交流促進に関わるシカゴ市の委員会メンバーの晩餐会の音頭取りをしたことがあったのですが、その新聞記事の写真にディナー・ジャケットを纏い、握手しながら視線を合わせているアイラー氏と私が写っていたのです。
  タンキーの控訴が当然のことながら棄却され、次の対策に迫られる中、ユーニスが電話して来たのがことの始まりでした。電話は彼女が感情の高まりを抑えきれず泣き声をあげることから始まり、私は図らずもその勢いに揺り動かされたのでした。彼女は感情が収まると、私の影響力に頼りたいと言い出したのです。「大勢の人から判事さんとあなたは友達だと教えられたのです。」と説明しました。
  「判事というのはそんな人間ではないのですよ。・・・」とまで言いかけて「いやそんな判事も居るでしょうが、アイラー判事はそんな男ではないのですよ。」と私は対応したのでした。

<冒頭部分に関する私の思い入れを述べます。蛇足ながら>

  この冒頭部分には、この後展開する話の前提がこれでもかと言わんばかりに詰め込まれています。犯罪人の行く末に世間が関心を示さないこと。人のつてを頼って理を曲げようとすること。マフィヤのみでなく社会の上層の人も同類同士で通じ合える仲間を作ること。ユーニスの姓がタンキーと異なることで彼女が既婚であって、夫や子供も居そうであること。社会の上層にいるとメディアにも良く取り上げられること。その逆に取り上げられて上層に上ること。収入の根源である仕事が様々な処・様々な形で(公の委員になる等)転がり込むこと。その場その場の感情で人は新しい行動を始める傾向にあること。建前と本音との間に「自由な裁量」という名の行動(不法な権力の行使、裏金などの世界)が発生すること。等々です。これらの全てがこのノべッラにおいて、出来事の原因であったり、それへの影響力であったりとして取り上げられていきます。これを手掛かりにして読者としての私はベローの世界・主張はここにあると確信して読み取っています。

<名詞が冠詞なし toastmaster として使われた理由、名詞の複数形 friends が使われた理由をそれぞれ文法的に説明できる?>

1.上に掲げた英文の中頃に toastmaster とあります。冠詞の a を付けても the を付けても変なのは分かるのですが?
2.同英文の最後近くに friends と複数形が使われています。これで意味上は自然だと思うのですが?
  以上、2点について、文法的に世間ではどう説明されていますか? どなたか下のコメント欄にお教えいただけませんか?

<Study Notes の無償公開>

今回の公開は "Cousins" 全文約 50 ページの2/5、原書 Saul Bellow Collected Stories の Pages 191 - 210 に対応する部分です。