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32回目 V. S. Naipaul "Beyond Belief" を読む。3ヶ月かかるとも覚悟して読みます。(斎藤兆史訳「イスラム再訪」があります)

2010年にPicador社から発行された版を今回入手しました。この旅行記の初版発行は 1998 年ですから、初版発行の 10 年後に、ナイポール自身が Preface (まえがき)を書き、この版に加えたのです。その結びの文章は以下の通りです。つい先日(本年7・8月)に読んだ "The Island of Missing Trees" のテーマに重なるような発想です。読み始める時の期待感を刺激されます。

"Beyond Belief" is accordingly a true sequel to the earlier work. The future is contained in the past and the pain of the second book is contained in the first.
[和訳]「イスラム再訪(Beyond Belief 原題からはかけ離れた題名です)」はここまで述べて来たとおり、既刊の作品につながって語られる作品です。未来というものは過去の経緯・出来事に(密かにであるにしろ)存在しています。後続の作品に描かれる苦悩は先行する作品にも当時から存在していたものなのです。

2010版に追加されたPrefaceより


ちなみに、この記事(32 回目)から何回かに渡り読み進めるのは "Beyond Belief" Islamic Excursions Among The Converted Peoples(副題)by V. S. Naipaul, Published by Picador 2010 です。私が 2018 年にはじめて読んだ時の版は The 1st Vintage International Edition 1999 でした。


1)この旅行記の「タイトル」や「プロローグ」(前述の Preface とは別物)が意味するもの


「タイトル」
”Beyond Belief" の意味
"Beyond Belief" は「信仰を乗り越えないとならない」とでもいった意味なのでしょうか? このタイトルは「土着の信仰を乗り越えイスラムの信仰を身に着けた人々、彼らがこの改宗の結果どうなったのか、これも乗り越えないと幸福を手に出来ないぞ」とでも主張しているのでしょうか? もともとあった土着の信仰をアラブから押し寄せたイスラムに置き換えて生きていくとはどういうことか、その結果どうなったのかを観察しようとする旅行記のタイトルだと今の私は想定するのです。その観察の結果、このイスラムの信仰をも乗り越え、あるいはその軛から自由にならないと苦労ばかりが続くのではとの叫びのようにも響きます。辞書 OALD によると ‘Beyond Belief’  はイディオムであって「あまりに不自然で信じられない・馬鹿々々しい (in a way that is) too great, difficult, etc. to be believed」を意味するようで、そうだとすると改宗者が作ったインドネシアの社会、そこで人々がやっていること、彼らの社会はあまりにも馬鹿げているぞ、と言っているようでもあるのですが。

「彼らの社会があまりにも馬鹿げている」との表現は決して「書き手がスノブであること」を露呈するものではありません。彼、ナイポールの初期の作品 ‘Miguel Street’ はトリニダード・トバコの首都 Port of Spain の一画、ミグエル通りに住まうほぼ全員を馬鹿で救いようのない連中として描きあげ、読者をしてそれを読み終える頃には自分も自分の周りの人々もすべてがそんな連中と五十歩百歩だと気づかせた素晴らしい小説でした。

「プロローグ」の冒頭の主旨を読み取る

[原書序文 Prologue] This is a book about people. It is not a book of opinion. It is a book of stories. The stories were collected during five months of travel in 1995 in four non-Arab Muslim countries—Indonesia, Iran, Pakistan, Malaysia. So there is a context and a theme.
[和訳] この本では人々(国を構成する人々・国民)のありさまをとり上げます。この本は誰かの意見・見解を記述するものではありません。この本は何人もの人々から聞き取ったお話(Stories)の一つひとつを記述するものです。これらのお話はそれらを蒐集することを目的にして、1995 年に 5 ヶ月をかけて 4 ヶ国を巡り聞き集めたものです。アラブ地域以外の土地に分布するイスラム教の国々、インドネシア、イラン、パキスタン、マレーシアが対象です。このような経緯(すべてがイスラム教国であり、短期間に集中して旅したこと)から、4 ヶ国を対象にしてはいてもすべてに共通する下敷き的な状況があり、また共通する主題・問題意識(書き手の関心の向け先)があります。

The first para. of Prologue on page 1, 'Beyond Belief', The Picador 2010 Edition


2)'Prologue' からその最後の段落をここに紹介します(2010 年版で追加された 'Preface' とは別物。)

The crossover from the classical world to Christianity is now history. It is not easy, reading the texts, imaginatively to enter the long disputes and anguishes of that crossover. But in some of the cultures described in this book the crossover to Islam -- and sometimes Christianity -- is still going on. It is the extra drama in the background, like a cultural big bang, the steady grinding down of the old world.
[和訳] 旧い時代からの社会にキリスト教が広く普及する過程は、今日では「歴史」に仕分けされます。歴史の書物を読んでみることで、この変化が引き起こした長い期間に渡って繰り返され続いた言い争いや極度の怒りをその世界に潜り込んで肌で感じ取るとなると、たやすいことではありません。しかし文化と言われるものの一定部分、この本で私が描き出した側面、すなわちイスラムへの変化・イスラム化の過程、この本では一部ながらキリスト教への変化も含まれますが、これらの過程は今現在にあってなお進行中なのです。これら過程は、人々には目につきにくい裏側で進行している巨大で・重大なドラマなのです。文化の世界の巨大な転換とも言えます。旧い文化の世界が着々と軋み音をたてて擦りつぶされているのです。

The last paragraph on page 2, 'Beyond Belief', Picador 2010 Edition



3)1979 年年末にインタビューした電気工学者で、当時大学の講師をしていた男に 1995 年になって二度目のインタビューを行います。

政府の組織内で羽振りの良い役職も得て生きている、嘗ては大学で電気工学を教えていた男、その男は若い頃からの熱心なイスラム教徒でもあります。その男の思想・考えとは。

47-8 才の男イマドゥディンに一度目のインタビューしたナイポールは、その17 後、65 才になっていた同じ男から次のような発言を引き出します。この男 14 ヶ月の刑務所暮しを終え、その後アメリカで6年を過ごし帰国。成功者になっていたのです。1965 年頃に失敗に終わった共産革命を主導したグループとの関係から終身刑で服役していたスカルノ時代の高官 Subandrio (刑務所での遭遇時 65 才位)と服役中のイマドゥディン(48 才)は、互いの独房を訪れ、毎日勉強会(知識の教え合い)をしていたと言うのです。以下に引用するのは、第一部 インドネシアの 1. The Man of the Moment 「時流に乗れた人」にある段落です。

And Imaddudin would have had no sympathy for Subandrio's pre-1965 politics. He had told me in 1979 that he could not have been a socialist when he was a young man, however generous the socialists were to him, because he was 'already' a Muslim. I believe he meant that all that was humane and attractive about socialism was also in Islam, and there was no need for him to take the secular way and risk his faith.
[和訳]イマドゥディンは1965年に至るまでの時代の政治状況とその渦中にいたスバンドリオに対しては、その当時からして全く同情を感じなかったことと思えます。この男は1979年に既に私に、自分は若い時にあって既に、社会主義者たちが優しく誘いをかけてこようとも、社会主義者になるはずはなかったと説明していたのです。自分は若かったとは言え、その時既にイスラム教徒になりきっていたし、社会主義に伴う人間味にあふれていて魅力的な要素なるものはイスラム教にも備わっているものであり、今さら無宗教に宗旨替えして、これまでの信仰を否定するという冒険を冒す理由はありませんという理由の様でした。

Lines 9-14 on page 11, 'Beyond Belief', Picador 2010 Edition

Muslim の人にとって社会主義・共産主義がどう見えているのかの理解の取っ掛かりがこれかなと、私は考えさせられました。


4)「イスラム再訪」斎藤兆史訳は意味不明の文章が多くて読むのは苦痛です。しかし雑音の多い訳文からも、ナイポールの発想が聞こえてくることは聞こえてきます。

10 ケ月ほど前に Note に記事を公開し始めた時にどんぐりの背比べのような比較・争いに終わるのがお決まりコースだから、プロの翻訳家の誤訳をあげつらうのを止めようと決心しました。したがって翻訳文の適否を議論せずに翻訳本の訳者が原本そのもののをどう理解・認識したかについて私の理解・認識をぶつけて私の記事を読んで頂いている方々に「フムフム、それくらいの誤差はあっても仕方ないさ」と楽しんで頂こうと思ったのですが不可能です。まじめに意味をとろうと思って読むと意味不明な場所が多すぎました。

上述の和訳書「イスラム再訪」岩波書店は絶版、アマゾンには上巻の中古本が 60 円で広告されていました( 2022 年 8 月 29 日)。以下の例からしてさもありなんです。

a ) 前項で引用した 原書の 'Prologue' 部分について

[斎藤兆史訳、岩波書店「序」の冒頭]これは、人 (1) を描いた本である。意見の書ではない。そして、これは物語である (2)。本書に記された物語 (3) は、1995 年、5 ケ月をかけて4つの非アラブ系イスラム諸国ーーインドネシア、イラン、パキスタン、マレーシアーーを旅行したときに採集したものである。したがって、そこにはおのずと文脈 (4) があり、主題 (5) がある。

岩波書店発行「イスラム再訪」の序から引用。
(1), (2), … (5) の数字は私が挿入したものです。

訳した人の原文の理解と私の理解を比べようとしたのですが、上記引用のごとくジッと中身を理解しようとしても意味不明のために議論できないという事態になりました。次の通りです。
(1)「人」ではなく4つの国民のはず?
(2)この一文の意味は、この訳本を後々まで読み進めても何のことか不明では?
(3)(4)(5)「物語」は原文の Stories(複数)の和訳、「文脈」「主題」は各々 a context、a themeという単数の名詞の和訳である。4 ヶ国で採集した別々の物語に一つの文脈・主題があるといっているものだから複数であること、単数であることで原文が何を言っているのかの意味が定まるのです。この文はこの段落全体の存在価値に関わっているのです。この辺りを軽視して訳されたのでは訳文を読む人をバカにしていると私は腹立ちを覚えます。和訳文を読む人はこのPrologue でこの本全体の構成や下敷きになっている概念をあらかじめあたまに入れることで、以降の本文の理解を深めて行くのです。この訳文ではそれが出来ません。


b ) エッセイなり小説なりは、読者をして、彼・彼女が保有する知識の状態を地点Aから地点Bまで進化させるものだとしましょう。

そう仮定すると、その文章は滑らかな(数学で言うところの導関数に不連続点が出現しない)曲線で地点AとBをつなぐロープのようなものです。このような「原文」に対応する「和訳文」ですが、それを読み終えた読者は往々にして良く分かったのか否か今一つ自信が持てないのです。この原因として、訳文はこの滑らかにカーブするロープを多数の接線のごとき直線でなぞることにしかならないことが挙げられます。ロープの長さが1メートルと仮定するとそれをランダムに1㎝ないし5㎝の長さにくぎってその一つひとつをその部分のどこかに接する短い直線で置き換えてロープの全体を代替えするものが和訳文なのです。以下に Chapter 2 History から2カ所を例に議論します。

b - 1) Chapter 2 の冒頭部分, Page 24

[原文]The man whom Imaduddin and the Association of Muslim Intellectuals had in their sights more than anybody else was Mr Wahid. Mr Wahid didn't care for Habibie's idea about religion and politics, and he was one of the few men in Indonesia who could say so.
[和訳] イマドゥディンやモスレム知識人協会のメンバーがその動向に注意を払い警戒していた何人もの敵側人物の中で最も恐れていたのがワヒド氏でした。ワヒド氏は宗教と政治におけるハビビ―氏の意向・思想に賛同していなかったのです。加えてワヒド氏はその考えを公言してはがからないだけの力を持つ数少ない一人でした。

Lines 1-4 on page 24, 'Beyond Belief', Picador 2010 Edition

これに対応する斎藤兆史訳は次の通りです。

イマドゥディンとムスリム知識人協会が誰より重要視していた人物とは、ワヒド氏にほかならなかった。ワヒド氏はハビビの宗教観や政治観など何とも思っておらず、またそれをインドネシアで公言できる数少ない人物の一人であった。

「イスラム再訪」斎藤兆史訳 岩波書店 30頁冒頭の3行

斎藤訳の上記引用文の「重要視している」では自分側の権力者・ボスへの忠誠を疑われない様に注意するのか、敵対相手の要警戒人物をいうのか不明のまま後の文の話を待たねばなりません。うっかり自身のボスだどとりあえず想定でもした日にはその誤りに気付いた時には再度その前後を読み直したくなるのです。「何とも思っておらず」と訳されている部分も、少なくない読者は「無視している」との意味にとるでしょう。ところがその後に続く文を読んでいると「無視しているどころか、気にかかって頭からはなれず、ついに反対の意志を公言までした」のがこのワヒド氏だったのが解るのです。読者にトリックを仕掛けて楽しませるというレトリックも、別のエッセイや小説ではあるのでしょうが、ナイポールの原文にはそんな遊び心はありません。和訳文を読んで本当のところを把握するのは疲れるのです。

b - 2 )  Chapter 2, Page 27 の冒頭部分

この引用部分では私の訳と斎藤訳の何処に誤りがあると特定するのはややこしくて疲れるのですが、訳文を読んだ人の頭には真逆のイメージが形成されます。話の対象の男を評価しているのかバカだと非難しているのかの差があります。

[原文] So, Islamic though he was, chanting without pause through his lesson in Arabic law, he was descended -- as wise man and spiritual lightening-conductor, living off the bounty of the people he served -- from the monks of the Buddhist monasteries.
[和訳]そのような話を聞いたのですが、つまるところ、彼、この男はイスラム教徒ではあるのですが、そしてその授業にあって休みなくアラブの法典を歌うように唱えていたのですが、仏教寺に集まり暮らした仏教僧の伝統・思想を引継ぐ人間であったのです。その時なおもこの男の周りに集まる人々からの喜捨で命を繋ぐ、賢人・精神世界における開眼へむけた案内役として存在する仏教僧に変わりなかったのです。

Lines 1-4 on page 27, 'Beyond Belief', Picador 2010 Edition

[斎藤訳] そして彼は、アラビア法典の授業中に延々と詠唱を続けるムスリムであったけれども、仏教寺院の僧侶の末裔、自らが仕える民の施しによって生きる賢者として、精神的な指導者の役割も果たしていた。

「イスラム再訪」斎藤兆史訳 岩波書店 34 頁、第 2-3 行



c )ナイポールの明晰な議論を楽しみに読書する私としては、斎藤訳の誤り箇所をもう一つ論(あげつら)わずにおれません

[斎藤訳] イスラム教と西洋は、互いに拮抗しある帝国主義勢力として、ほぼ同時期にこの地に到来し、その勢力争いの中で、仏教とヒンズー教の長い歴史を破壊しつくした。イスラムは、インドそのものを荒らしまわったのち、大インドのこの地に移動し、宗教に関する限り、その文化的な輝きを死に星の光に変えてしまった。しかしながら、西洋が素早くその覇権を手に入れたため、イスラムそのものもまた植民地文化のような様相を呈し始めた。
[原書] Islam and Europe had arrived here almost at the same time as competing imperialisms, and between them they had destroyed the long Buddhist-Hindu past. Islam had moved on here, to this part of Greater India, after its devastation of India proper, turning the religious-cultural light of the subcontinent, so far as this region was concerned, into the light of a dead star. Yet Europe had dominated so quickly here that Islam itself had begun to feel like a colonised culture.

「イスラム再訪」斎藤兆史訳 岩波書店 36頁冒頭の12-16行
+ Lines 1-7 on page 29, 'Beyond Belief', Picador 2010 Edition

この引用部分の斎藤訳に関しては、原文にある文章の時制、例えば Yet Europe had dominated so quickly の部分、に注意を払って訳されていたなら原文の議論の下にある論理の積み重ねが日本語の読者に理解できたはずと思うのです。この論理の積み重ねがナイポールの作品の魅力、世界的に評価される大切な要素と信じればこそのコメントです。私の訳文は添付の Study Notes にあります。 以上


5) Study Notes の無償公開


以下に ’Beyond Belief' の Preface からインドネシアの部の1,2章、Page 37 までに対応する私の Study Notes を公開します。
  公開するファイルの内、WORD形式 (docx) のものは、印刷すると、A4 サイズの紙を横に用いて A5 サイズの冊子(全 36 頁が A4 サイズ用紙8枚、中心線に沿って谷折り)に仕上がります。A4用紙に自動両面印刷できるプリンターを使う前提です。