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38回目 Toni Morrison, "A Mercy" を精読 (Part 2)。大社淑子訳「マーシイ」も少し覘き見します

原書で読む小説に引き込まれる。その度合いが深ければ深い程、大社訳の文章の不明瞭さ・手抜きの和訳作業に絶望感が膨らみます。しかし、今回これにはあまり踏み込まないで原書に戻り、自身が直接その著者と心を通わせることを優先することにします。

A. 大社淑子訳「マーシイ」(早川書房)の冒頭部分

7才の頃までの一時期、石板を手にアルファベットをポルトガル語で習っただけでは、16 才になった賢い奴隷の少女 Florens とて、声に出して話せる英語の文章は現在形の文で受け身形の文でも動詞を過去分詞にできず現在形のままです。
翻訳文が説明的で長くなるのは良くないとされますが「短くても原文の意味が不明では読み進む読者の意欲は萎えてしまいます。」というのが私の主張です。

冒頭部分と言ってもやや長いので A-1A-2 に二分して精読します。

[原文 A-1] Don't be afraid. My telling can't hurt you in spite of what I have done and I promise to lie quietly in the dark--weeping perhaps or occasionally seeing the blood once more--but I will never again unfold my limbs to rise up and bare teeth. I explain. You can think what I tell you a confession, if you like, but one full of curiosities familiar only in dreams and during those moments when a dog's profile plays in the stream of a kettle. Or when a corn-husk doll sitting on a shelf is soon splaying in the corner of a room and the wicked of how it got there is plain.
[和訳 A-1] 心配しないでください。私が以前にやったことはともかく、私のお話であなたが傷を負うなんてありえません。加えて私は、じっと暗闇に潜んで我慢しているとも、反抗したり牙を剥いたりと私の手足を振り上げることはしないと約束します。潜んで我慢しているというのは、おそらく涙しながら、さもなければ血を見つめ直しながら、怒りを抑え続けているという意味です。私はあなたにお話します。あなたはこれを告白と理解されるとしたらそれはそれで正しいのです。しかしこれは興味深々のいろんな現象のお話なのです。興味深々の現象と言うのは、人々が夢の中やヤカンが噴き出す湯気の煙が犬の形になりそれが動き出す一瞬に良くある現象のことです。そのほか、棚に飾ったトウモロコシや小麦の殻や藁で作られた人形が部屋の一画に弾け散るという現象もそうです。そして(私のお話は)これらの奇妙な現象に込められた意味が想定できる場合のお話なのです。

Lines 1-11 on page 1, "A Mercy", Vintage edition paperback

[A-1 部分の大社訳] 怖がらないで。わたしの話を聞いたって害はないはずよ。わたしがやったことは別だけど。これからはおとなしく暗がりで寝ているって約束するわ。たぶん泣きながら。でなきゃ、ときどきもう一度血を見ながら。でも、わたしは二度と手足を広げて立ち上がり、歯をむきはしない。説明してあげる。お望みならわたしが打ち明け話をしていると考えてもいいけれど、それは夢のなかにだけ、薬缶から立ちのぼる湯気のなかに犬の横顔が揺らいでるような気がする間だけに湧いてくるなじみ深い好奇心でいっぱいの話なの。または、棚の上に載っていたトウモロコシの皮人形が、あっという間に部屋の隅にぶざまにころがってしまうときだけに。どうしてそこに行ったのか、その悪さ加減は明らか。

5 頁 1 行から 8 行まで。
「マーシイ」早川書房


[原文 A-2] Stranger things happen all the time everywhere. You know. I know you know. One question is who is responsible? Another is can you read? If a pea hen refuses to brood I read it quickly and, sure enough, that night I see a minha mae standing hand in hand with her little boy, my shoes jamming the pocket of her apron. Other signs need more time to understand. Often there are too many signs, or bright omen clouds up too fast. I sort them and try to recall, yet I know I am missing much, like not reading the garden snake crawling up to the door saddle to die. Let me start with what I know for certain.
[和訳 A-2] 本当に不思議なことは良く起こります、何時・何処であれ。そうでしょう。あなたもそう思うと思います。重要な謎は予兆を示す任務を誰か負っているのかという問いです。もう一つ重要な謎はその予兆動作・行動が何の予兆なのかという問いです。もしクジャクの雌鳥が卵を抱くのを嫌がったら私はそれが何の予兆か即答できます。心配した通りです。その日の夜私の母さん(minha mae はポルトガル語ー訳注)が自分の幼い男の子と手を繋いで立っている夢を見ます。私の靴一足が母さんのエプロンのポケットに突っ込まれています。これ以外の動作・行動に気付き読み解くにはもっと時間(経験を積むための時間―訳注)が掛かります。多くの場合(その原因は)予兆動作の種類があまりにも多いことにあります。時にははっきりしている予兆動作なのにそれが一瞬の内に覆い隠されること(が原因の場合)もあります。私はそれら動作を整理記憶して後で思い浮かべ答えることもします(後の祭りということー訳注)が、それでも見落としてしまう予兆が沢山あると知っています。庭のヘビが開いたドアのドア受け部分に這い上がったために命を落とすのですが、予兆を見落とすと、このヘビのようになります。私には確かだと判っていることから、私のお話を始めます。

From line 11 on page 1 to line 6 on page 2,
"A Mercy", Vintage edition paperback

[A-2 部分の大社訳] いろんなところで、もっとオカシなことが終始起こってる。でしょ。あなたにわかってるってことは、わかっている。一つの問題は誰のせいかってこと。もう一つは、あんたにこれが読めるかってこと。雌鳥が卵を抱くのを嫌がったら、わたしにはすぐにその意味がわかるし、確かにあの夜、ミーニャ・マンイが小さな息子の手をしっかりつかんで立っていたのが見えるお。エプロンのポケットからはわたしの靴が突き出ている。ほかの徴を理解するにはもっと時間がいる。徴が多すぎたり、明るい予兆がにわかにかき曇るのはよくあることだ。私はそういう徴を選り分けて、思い出そうとするけれど、たくさん見落としているのはわかってる。庭蛇が死に場所を探してドアの枠の上まで這い上がってるわけを読み損なったときみたいに。確実にわかっていることだけを話すわね。

5 頁 8 行から 6 頁 5 行まで。
「マーシイ」早川書房


B. リナ Lina こと Messalina は原住民。焼き討ちに遭い全滅した村の生き残りです

フロレンスが来るよりもっと以前にジェイコブに拾われジェイコブの手足として生きて来た女性リナの生き方もその能力の全てを駆使するすさまじいものです。そのごく一端をのぞきます。

[原文 B-1] It was some time afterward while branch-sweeping Sir's dirt floor, being careful to avoid the hen nesting in the corner, lonely, angry and hurting, that she decided to fortify herself by piecing together scraps of what her mother had taught her before dying in agony. Relying on memory and her own resources, she cobbled together neglected rites, merged Europe medicine with native, scripture with lore, and recalled or invented the hidden meaning of things. Found, in other words, a way to be in the world. There was no comfort or place for her in the village; Sir was there and not there. Solitude would have crushed her had she not fallen into hermit skills and become one more thing that moved in the natural world. She cawed with birds, chatted with plants, spoke to squirrels, sang to the cow and opened her mouth to rain.
[和訳 B-1] 彼女(Lina)が自分の心をもっと丈夫にできることに気が付いたのは、それからしばらく日が過ぎてからのことでした。寂しく一人で腹立たしく思いながら、心を痛めながら、ニワトリが隅に造った産卵場所を壊さない様に気配りしながら、小枝の箒でご主人様の屋内の土の床を掃除していた時でした。心を強くするには、苦しみ命を落とした母が生きていた頃に聞かせてくれた知恵、それを寄せ集めることだ。そうしようと決断したのでした。記憶を頼りに確認できるものは探し出し、彼女は中断されていた儀式を復元し、ヨーロッパからの医療知識を自身の知識と合体させました。文字にされたものも口承だけのものも蒐集しそれらの意味するものを推定しました。あの世界をもう一度出現させるのでした。自分には今の村に良い思い出がありません。ご主人様は在宅でも不在と同様です。寂しさに彼女は打ち壊されるところでした。しかし孤独の内に心を鍛える技を覚えました。彼女は、自然の中で自分も活動することで別の世界を築き潰されるのを免れたのです。小鳥と声を交換し、植物と会話を交わし、リスたちに話しかけ牛には歌いかけました。雨が降ると口を開けて迎え入れました。

From line 18 on page 46 to line 2 on page 47,
"A Mercy", Vintage edition paperback

[原文 B-2] The shame of having survived the destruction of her families shrank with her vow never to betray or abandon anyone she cherished. Memories of her village peopled by the dead turned slowly to ash and in their place a single image arose. Fire. How quick. How purposefully it ate what had been built, what had been life. Cleansing somehow and scandalous in beauty. Even before a simple hearth or encouraging a flame to boil water she felt a sweet tinge of agitation.
[和訳 B-2] 自分の一族であった幾つもの家族、それが全滅に至る中、自分一人が生き残ったことで心の奥に生まれた負い目(恥の感情)は、好ましい人として記憶に残るこれらの一人ひとりを確と心に刻み粗末に扱ったり忘却に追いやったりはしないぞと宣言することで少しずつ和らぎました(負い目・心の負担を乗り越えました)。この時亡くなった人々によって築かれたもの、それが集落ですが、時と共に少しずつ灰になって記憶から遠ざかりました。集落に替って一つのものが頭の中に姿を現わすことになりました。それは炎です。何とも短い時間の内に事は完了したのでした。何とも見事なことに意図された通り、炎は建設されていたもの、生活そのものを一舐めにしたのでした。ある意味、大掃除だったのですが、綺麗にするといっても何とおぞましい大掃除であったことでしょう。暖炉の前に立つとき、お湯を沸かす火を起こす時には、穏やかながらも怒りの渦が(今になっても)彼女の心をよぎります。

Lines 2-10 on page 47,"A Mercy",
Vintage edition paperback

上記 B-1、B-2 部分の大社訳は早川書房の原本を参照ください。原文が読者の頭と心に訴えかけようと工夫を凝らせた文章であることを考えると、大社訳の文章は、元の文章の主旨・重要な論点を伝える点で改善する余地が一杯残されたままであるとしか、私には思えません。


C. ジェイコブが留守の家には 4 人の女性。奴隷と白人という仕分けとは別の、協働の世界が同じ屋根の下に広がります

豪華な家屋敷の建設を目標に突き進む Jacob は2人の奴隷女性を迎え入れ、やがて妻の Rebekka を迎え入れます。程なくもう一人子供の奴隷女性が加わります。Rebekka と奴隷女性たちの関係はリベラルな・合理主義しか役立ちません。主観的な好き嫌い・気位は吹っ飛ばされる他ないのです。

[原文 C] When the Europe wife stepped down from the cart, hostility between them was instant. The health and beauty of a young female already in charge annoyed the new wife; while the assumption of authority from the awkward Europe girl infuriated Lina. Yet the animosity, utterly useless in the wild, died in the womb. Even before Lina midwifed Mistress' first child, neither one could keep the coolness. The fraudulent competition was worth nothing on land that demanding. Besides they were company for each other and by and by discovered something much more interesting than status.
[和訳 C] このヨーロッパ人である新妻が馬車から降り立たれた時には、その瞬間から彼ら(待ち構えていた女性たち)とこの新妻の間に敵対心が生まれました。この住まいにおいて各々の役目を果たしている若い女性たちの健康さと美しさが新妻の心に波を立てたのでした。その一方、事態を良くは理解できずにドキドキしているだけのヨーロッパ人女性の、権力はおのずと私の手にあると言わんばかりの振舞いにリナは腹が立ちました。しかし、この未開の世界ではこの種の敵対は何の利益も生まないのでした。そんな感情は女性たちの心の中から(ほどなく)消失しました。リナはやがてこの女主人の第一子出産時の助産婦役を果たすことになるのですが、そうなる以前において既に、互いが冷たい関係を続けることは、女性たちの誰にもできなかったのです。生活の為の作業に追いまくられる土地にあって、互いに相手を欺くような競争行為は何ら利益にならないのでした。互いに力を併せて働かざるを得ない仲間であるのに加えて、それぞれのステータス(権威の序列)よりももっと興味を持てること、興味が引かれることがあると知ったのでした。

From line 31 on page 50 to line 8 on page 51,
"A Mercy",Vintage edition paperback

D. 小説全体の半ばまで読み進んで、冒頭の文章を再読します

半ばまで読み進んだ時点で、この記事の冒頭に引用した文章、A-1A-2 を読み直してみると初めて読んだ時には今少し不明瞭に思えた語句がその姿をはっきりと現します。この小説の主題を Toni Morrison が読者に向けて「怒鳴り付けていた」のに気付かなかったのかなと苦笑いさせられました。
  それは to lie quietly in the dark--weeping perhaps or occasionally seeing the blood once more-- です。これは当時の非白人が置かれていた白人との相対的な社会的地位の差への怒りであり、それ故の理不尽な現実・苦しみへの公憤です。従ってこの小説が全体として、フロレンスの、そしてこの奴隷女性たちの告白(Confession)であるのだと確信することになりました。


E. Study Notes の無償公開

原書 Pages 34 - 98 の対応する部分を StudyNotes_A Mercy Part 2_Rev 1 として下記に公開します。公開ファイルの形式は前回と同様です。