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33回目 V.S.ナイポール "Beyond Belief"を読む(Part 2)。 第1部 Indonesia を読み終えます。

1) Chapter 3, A Convert 「一人の改宗者」の一節

面会相手が聞かせてくれるこれとは別の主旨の話の中に、名家一族であることが政権の周縁で働き、甘い汁を吸い生きられる第一の関門であることを、ナイポールはかぎ取ります。ナイポールは、インタビューの為にイマドゥディン (Imaduddin) の自宅を訪れます。スカルノの時代、すなわち戦後の独立と共産主義的志向の人々が優位にいた時代から、スハルトによる共産主義者の殲滅とスハルトの独裁体制への交代が固まったばかり時期、時の波に乗って政権への接近を果たした男(イマドゥディン)の自宅を訪れ、面会します。この男、スカルノ政権の擁護者だった一族の子孫である知識人、ワヒド(前章 History で面会した男 Wahid)を敵視している男です。

[原文] It was astonishing to me, considering their opposed positions now, how much his background was like Mr Wahid's. But Imaduddin was from Sumatra. He was from the Sultanate of Landkat, an area which he said was larger than Holland, on the border of Aceh, which the Dutch had conquered only in 1908, a full century after their conquest of Java. That would have made a difference, would have given Imaduddin the forthright temperament which he recognized in himself as Sumatran.
[和訳] (この国の政治の世界において)互いに敵対する立場にある二人であることを念頭に聞いていて非常に驚かされ、かつ興味を引かれたのはこの男の生い立ちが(敵対相手の)ワヒド氏のそれに似ていたことでした。ワヒドのそれとの違いはイマドゥディンが「ランドカット」というスルタン制度の王国の王族の一人であったというだけでした。彼によるとランドカットの領土はオランダの面積以上であって、アチェの国と接しているとの話でした。ランドカットをオランダが支配下に入れたのは 1908 年のことでジャワの一帯をオランダが制圧した時期から一世紀は後のことでした。この百年の長さがこの二人の間に違いをもたらしたとしても当然です。イマドゥディン自身が認める通り、彼に巣くったスマトラ人であるが故の直截的な物言いはこの百年の長さが結果したジャワ人との違いだったのです。

Lines 5-12 on page 42, 'Beyond Belief' Picador 2010 edition


2) Chapter 4. A Sacred Place 「神が宿る場所」では記録文書どころか文字を持たなかった人々。彼らには経験・歴史と言えるものは無いのだとの観点から考察を深めます。


  稲の緑溢れる西スマトラの、古くから人々の生活の場であった水田を前にして、大学の教授レベルの教養ある人たちを相手に、コメ作りの開始期は 1,000 年前かな、いや 2,000 年前だろうと話し合います。泥の深さを測ると少なくとも 1,000 年、それどころか 2,000 年と言っても矛盾しないといった内容でした。この取材で得た知識を、ナイポールは次の文章にしています。

[原文] And yet very little was known of this immense history. There were no documents, no texts; there were only inscriptions, and not many of those. Writing itself was one of the things that came from India, with religion. All the Hindu and Buddhist past had been swallowed up. Without writing, without a literature, the past constantly ate itself up. People's memories could go back only to their grandparents or great-grandparents. The passing of time could not be gauged; events a hundred years old would be like events a thousand years old. And all that remained of two thousand years of great social organisation here, of a culture, were the taboos and earth rites Dewi had told me about. I heard about some more now from her mother. For instance, before the rice harvest you went out to the ripe field an cut seven stalks. You hung these up on your house. Only then you could start the full cutting. No one knew why. The original prompting had vanished somewhere down the centuries.
[和訳] その結果この膨大な量であるはずの歴史が全くと言って良い程までに不明なのです。文書、書き残された文章となると石に刻まれた碑文があるものの、その数は限られています。文章とそれが刻まれた石はその完成品として他の品々、そして宗教と共にインドから来たのです。ヒンズー教や仏教の過去は全てが飲み干されて消失しました。書きつけられたもの、文学的なものが無いとなると過去はそれ自身を喰い尽くし無きものにしてしまうのです。人々の記憶は精々祖父祖母の時代まで、それ以上としても曾祖父・曾祖母止まりです。こうなると時の流れはその長さをすら測定できません。百年前の出来事と千年前の出来事が区別不能なのです。これまで二千年間に形成され変化もしたであろう幾つもの社会組織や、それらに伴う文化として今なお記録されているのとなるとデビ女史が話してくれたタブー(行ってはならないとされる幾つかの行為)と慣行儀式しかありません。正確に言うならば、彼女の御母上から聞いた幾つかのことも追加すべきでしょうが。その一例がコメの刈り取りに当たっては稲穂七本を自宅(玄関の上)にぶら下げて、その後に刈り取り作業を開始しろというものです。そんなタブーを実行しながらも誰一人その行為の理由を知らないのです。元々はあったはずの存在理由・根拠は何世紀というスケールの時間の経過の内に霧散してしまったのです。

Lines 20-34 on page 69, 'Beyond Belief' Picador 2010 edition


3) Chapter 6. Below the Lava 「溶岩層の下にあって」では「思いも寄らない二つの事項」が関連付けられます。私には楽しい驚きでした。

[原文] A different climate, a different use of the hours, different associations of music and theatre and time and landscape: all this was to be extracted from a description of something as well known as the Javanese shadow play. There would certainly have been more intricate reaches of sentiment and belief and ritual which were beyond translation, where only Javanese could speak to Javanese.
And it was perhaps for a similar reason that in West Sumatra a rice culture as rich and complete and organised as this -- and without the need of record -- had, after a thousand or two thousand years, left no trace apart from the taboos and the clan names. Once the old world was lost its ways of feeling could not be reconstructed.
[和訳] この地に特有の気候、この地に特有の時間の使い方、音楽・上演場所・時刻・周りの景色といった要素を絡み合わせる為の、何通りもあるであろうこの地に特有の処方。ジャワの影絵演劇やそれに並ぶほどに広く世界に知られているようなこと、その一つに関わって、これら全ての要素の有様・状態を取り上げ伝えようと発せられた言葉にあっては、その言葉の通りに理解されるものと想定されているのが常です。このように発せられた言葉にはジャワの人のみがジャワの人にしか伝えきれない要素も含まれていたはずです。すなわち翻訳が可能な範囲を超える詳細にまで手を伸ばさないと届かない感情や思い込み・慣行的な思考が確かに存在したのです。
   おそらくこれと同じような理屈で、西スマトラの一帯に共有された稲作文化、豊かで完璧で、かつその作業手順を記録に取っておく必要が無いまでに定式化された稲作文化、それにも拘らずこの文化は 1,000 年あるいは 2,000 年の後にも解るまでには、あの幾つかのタブー(禁止行為)と当該一族の名前以外、何一つ残さなかったのです。旧い時代の文化は一旦、消失すると、当の文化の感触・味わいを復元することができないのです。

Lines 22-32 on page 82, 'Beyond
Belief' Picador 2010 edition

[蛇足のコメント]
ナイポールがここで指摘した「文字」の、あるいは「文字による記録」の大切さは私の声を大にして訴えたい要素です。
(1)私の頭に去来するのは古くから大勢がタイプライターで文書を残していた西洋の人々とワープロが広がったつい35年前までほゞ手書き文章しか残せなかった日本の人々との間に「文化の積み上げ」という観点で大差があったろうと思わずにおれません。
(2)私が公開している Study Notes は自分の下手な手書きメモでは後で読み直す気が起きないのを放置できず、試しに作り始めたのですが、読み直す度に追加の発想がでてくることから、大正解であったと思っています。
                              =以上=


4)Study Notes の無償公開


以下に Study Notes の Word ファイルと PDF ファイルを公開します。ダウン・ロードしてご利用ください。原書の 39-138 ページに対応します。
(ご注意)今回も Study Notes (Word file) は両面印刷するとA5サイズの冊子(全 50 頁)に仕上がる体裁になっています。