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第1回 THE YELLOW MONKEYのLIVEまじですごいんよ


君たちはTHE YELLOW MONKEYの恰好良さを知っているか

2023.10.11、なかなかのショッキングな発表があった。

ビビりな私は当然動揺したが、
「私がうろたえてもどうにもならん」
「イエヲタの先輩に『うちら活動休止~解散~復活まで15年待ったんだから、今更体調整うまで待つくらいどってことないよ!』と言われた」
という2点で相当前向きになれた。

そして、noteのイエモン界隈も相当揺れているのでは…と思い #THEYELLOWMONKEY  あるいは #吉井和哉  で検索したら、ジャニーズ界隈の盛り上がりぶりに慣れ切っていた私はびっくらこいた。何なら自分の記事がHITして「クソッ…邪魔くさ…」と思ったレベルだ。

天下のTHE YELLOW MONKEYは、もっと語られるべき。

THE YELLOW MONKEYの恰好良さを、もっと知らしめなければならない。
たとえ私のnoteが99.9%ジャニヲタの皆さんにしか読まれていないとしても。その中の数%のイエモン兼ヲタの皆さんが読んでくださるなら、そして今後「noteのイエモン界隈はどんなもんかね~」と思った方に見てもらいたい。
というわけで、これ以降はマジでイエモンの話しかしない。ティアラごめん。でも読んでくれたらうれしい。私の、曲考察癖のルーツでもあるので。

推しが活動してないと、マジやることない

これ。好きになった直後に活動休止されたので、やれることといえば
・授業中好きな曲の歌詞を書き出して「ここは呼応する表現…」「これは○○の暗喩」と分析する
・シングル・アルバム・ビデオ(当時)すべての発売日を記憶する
・ステージ衣装のミニチュアを作る

わかる人にはわかる、
メカラウロコ・8の吉井さんの衣装

私の現在の、好きなものについてはとことん考えて(一応の)答えを出す、というスタイルは、この「推しが活動していない」という不自由さから生まれたといっても過言ではない。
また、吉井和哉の作詞能力。先にも述べたが絶妙な暗喩や、意図的に崩された文法、花や蝶など美しさの象徴の使いどころ(対比的に汚さを際立たせる、しかしそれすらも含めて美しい)など、私にとっては、天才としか言いようがない。
初期の、振り切ったダサさ(意図してるのか、してないのか)とあからさまなセクシャリティの組み合わせの妙も、いとをかし。
彼を好きになったからには、「歌における詞」というものの存在を強く意識せざるを得なかった。

すみません、自分語り長くなってしまった。次からは、THE YELLOW MONKEYのLIVEの魅力をただただ語っていきます。

曲間の吉井和哉、「ロックスター」そのもの

1)Jaguar hard pain Live '94
1994年かい!とビビらないでほしい。それだけ歴史あるバンドということで。
※なおバンド結成は1989.12.28、場所はドラマ『だが、情熱はある』で若林(海人)がネタを認められたライブハウスこと”La.mama”。

このライブは、3rdアルバム「Jaguar hard pain」というコンセプトアルバム(アルバム全体で一つの物語が構成されている)を引っ提げたツアーの1公演。
「1944年太平洋戦争中に戦地で射殺された青年・ジャガーが、死ぬ直前に見た恋人の面影を求めて1994年に転生する」というとんでもストーリーである。これは、前にも触れたがデヴィッド・ボウイの「ジギー・スターダスト」のオマージュであることは明らかである。

※ちなみにこちらの方のnoteがJaguar〜についてまとめていらしたので、興味の湧いた方はぜひご一読を。
はっきり言って、こんなに詳細にJaguar〜について考察された文章は見たことがないし、現在のTHE YELLOW MONKEYにまで繋がっているという解釈に私自身衝撃を受けました。

また前置きが長くなった。
このライブの曲間、上下真っ白な衣装を纏った吉井和哉の放つ言葉の気迫は相当なものだった。以下に引用する。

ここは日本か!
ここは日本か!!
君たちは日本の若者か!!
…良かった(ニヤリ、と)
脳みそをかき混ぜてくれ!!
脳みそをかき混ぜろ!!!!
Jaguar hard painに、Let's go
(間髪入れず”Let's go”のセリフから始まる曲)

改めまして、大日本帝国陸軍第三部隊。
本名は………今思い出せない。
ただ、戦地から君たちに、光と影のロックンロールを持ってきた!
ゆっくりと…たっぷりと…脳みそをかき混ぜろ…!

お分かりの通り、完全に吉井和哉でなく、「ジャガー」という青年としてひとつのライブを演じ切っている。その行為自体も、ロックというものへの絶対的信仰を感じるし、憑依させるように「ジャガー」になれるその自己陶酔力。これは所謂ロックスターに必要不可欠な要素だと思うのだ。

ちなみに、このアルバム収録の先行シングル曲「悲しきAsian Boy」の曲中に「桜色の唇に」という歌詞が出てくるが、吉井和哉は「この曲絶対売れるし、”桜色の唇”ってフレーズあるから、資生堂がタイアップの依頼してきたらいいなぁ!」と思ってたらしい。
そしてMVでは、吉井和哉はちょい伸び坊主頭で、真っ赤な軍服に身を包み、最終的に鼻血を流している。
これで資生堂のタイアップいけるっしょ!という客観性ゼロ具合がほんと好き。最高。これぞロックスター。メタ視点なんかいらんのよ。
あとタイアップは事前に話来るから。
でも最後の鼻血めっちゃかっこいい…。

このトンデモMV曲、今やライブの大定番超人気曲である。曲としての力は完全に本物です。2019年版、吉井和哉当時53歳。バケモンやで。


2)メカラウロコ7

このライブははっきり言って、伝説である。神格化されているし、私もTHE YELLOW MONKEYのライブの真骨頂だと思っている。
1996.12.28、1日限りの結成日記念の日本武道館公演。当時の日本武道館は、今で言ったら東京ドームみたいな、聖地のようなものだった。
そして1996年といえば、THE YELLOW MONKEYが「JAM」「Tactics」「SPARK」「楽園」とヒット曲を連発し、人気バンドとしての地位を確立した年だった。

にもかかわらず、この日のセットリストにはなんと「JAM」「Tactics」「SPARK」が組み込まれていなかった。「楽園」はかろうじてアンコールの最後に演奏された。
”初期の浮かばれなかった曲たちを披露したい”というコンセプトのもと、1st、2nd、前出の3rd「Jaguar hard pain」、そしてそれどころかインディーズ時代の曲ばかりのセットリストだったのだ。
きっと古参ばかりではなかっただろうが、映像からだけでも会場の異様な熱気が伝わってくる。

THE YELLOW MONKEYメンバー自身も、当時の自分たちが完全に「脂が乗りきっている」状態であると自覚しているし、これまでの支持されなかった曲たちも間違いなく名曲であった、という自負がある。前出の「悲しきAsian Boy」がいい例だ。
なんの迷いもない、俺達のすべてを見せてやろうという気迫に満ちていた、というか余裕さえ垣間見える。

そんな中で私が最も好きなシーンがこちら。
ごめん、当時の彼の恰好良さ伝えたくて著作権ギリギリのことする。

全身赤尽くめ、真っ赤なロングコートに身を包んで、「拍手煽りポーズ」で無事会場が拍手に包まれた後、吉井和哉はこう続けた。

吉井「元気?」(低めの落ち着いたトーン)
会場「元気ーー!!!!!」
吉井「俺達も、すげぇ元気。LOVERS ON BACKSTREET!(次の曲名)」

この「俺達も、すげぇ元気」の顔!!!
マジで見せたい!!!!!何なら個別に連絡してほしいくらい。
一緒に上映会しよ。
妖艶で、そして射貫くような目で、あの「目の大きさに黒目が追い付いていないがゆえの三白眼」でカメラを見据えて、観客とのコール&レスポンス後に一気にロックスターギアを上げていくような「俺達も、すげぇ元気」。

「どちゃくそカッコいい『俺達も、すげぇ元気』世界大会 最優秀作品賞受賞(および殿堂入り)」確実のカッコよさ。正直ここだけ観たくてメカラ7のDVD再生したこと何度もある。
なお、この「メカラウロコ7」では、私の偏愛する、人生の1曲である、葬式の時にはエンリピで流していただきたい曲こと「フリージアの少年」が収録されているのだ!!

ここまででめっちゃイエモン好きになっちゃったかもな人とか、私に対してめちゃくちゃ興味ある人だけ観てくれたらいいなってことで、参考動画として貼りますね…
(この動画は違う公演だけど。)(Youtube公式じゃないけど、ライセンス取ってるらしいわ。ほんとありがとうございます。)

もうわかりきってたけど、予定してた内容の3分の1も書ききれてません。この記事が全然読まれなかったとしても、書くね。これは本気。

#沼落ちnote


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