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雨の日には アメの中を。 涙の日には ナミダの中で

私の名は うしろだ よしのり  

私の名前は 後田 芳徳。

精神障害者。 

大阪よ、 泣いていい。

ひととき、一度 大泣きしていい。

なぜなら、、

東北は、 今も  今夜も 泣いている。

十年間も 泣いている。

つらいのだ

大きい津波の 直前まで、

お喋りしていた 友人が 消える。

多くの 人々が 消える。

突然と 消え、 次 つぎに 現れたのは 不幸と 不幸。

つづく つづく 苦しみ。


あえて、、

ーー 日本国民の全体にわたしは言う!

この国の ひどい 不幸は、 さらに つづきます。

だから、

やわらかな ひとときを 大切に 守ろう。 守りあおう。

他人の ひとときの 幸せをも 守ろうではないか。

子どもたちの ひとときを かたく 守ってあげましょう。

あなたの 手を とり、

やさしく ハグしたい

つらい時代には、   つらい歌を  涙の歌を 口ずさもう

そして、 そして  

私たちは もっと 人間らしく なるのです。

涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。

種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、

束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。


 聖書 詩篇 126篇  (新改訳)


光る 希望は みなさんに あるでしょうか?

今、 私の心には

二つの光が あります。

ひとつは、この12月 明石市長が 優生手術被害者のために、明石市の条例の制定に邁進してくれたこと。 これは、日本の国の歴史の  転換点なのです!。

もう ひとつは、少し前の話ですが、、 現在全国で進行中の 旧優生保護法裁判の 皮切りとなった宮城県で、県庁に大きな数字やデータが保管され続けていたこと。
(経緯は どうであれ、) その資料が 当時作成され、そして現在まで保存されてなければ、 日本国家と 庶民の 「正義と幸福の命運」は 天と地ほどに 変わっていたはず。


「  光は まだ、 ある。」

    そう思うのです。


弱者にも 弱っている人にも  つまずいている人にも、 小さな【 歌 】が 聴こえていると 思うのです。

クリスチャン(自称)の 私が言うのは、良くない事ですが、、
───  神は この上なく その御心により 私達を  痛めつけるのですが、、
いつの日にか  その攻撃は、弱まります。

アゴを引き、、数ヶ月先  半年先を、 目指して 進みましょう。 一日、小さな一歩だけ でもいいのです。 動かなくても、構わない。

休むこと 甘えることは、 恥では ありません。


良い季節になったら、 澄んだ空気の 仙台へ いつか  来て下さい。

わたしも  遠い西へ いい旅に    向かいます。  

友 と  また  笑いながら




( 見出しの言葉は、相田みつおさんの『雨の日には雨の中を 風の日には風の中を』の深い影響です。)


◆ 

たくさんの涙を流す時やタイミングは、人それぞれですが、、大きく涙する時間を ずっと何年も 長く失ってしまうことは、なかなかとても苦しいと思います。 (もちろん、ケースバイケース)


 また、、、

国政・行政を進めるリーダー達に どうか、 お願いします。

新しい精神科の医療福祉の政策を、  新しい打開する方策を、 すべての国民に 早く 打ち出さなければ、、

なりません 。

せめて、、目指す、『新しい構想』だけでも 発表し、  安心感と、または「限界があるのだ」という謝罪を   庶民に広く語りかけるのが、政治家の義務です。 言葉足らずのスピーチでも、顔をしかめながらでも いい。  体裁ではないのです。

不況と国難の 嵐の中、、国政の歴史から   数十年ではすまないほど 永い歳月 無視され続けてきた 弱い人々からの「危険なうねり」の予感を、リーダーの皆さんならば、ご存知のはず。

今日 現在、 もう、 小手先の 対処では 意味がない。

  私からの忠告も含んだ、 意見です。





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