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炊事洗濯掃除が苦手

それすなわち、
生きることが苦手ということ。

話が飛躍していると思いますか?
読んでいったら意外と合点がいくかもしれません。
よかったら最後まで目を通してみていただければと思います。

 

生活になじめない根元

幼い頃、お手伝いは好きな方だった。
やってみたいという好奇心が満たされるのと、褒められて嬉しいから。

野菜の皮むきもしたし、もやしのひげもとったし
皿洗いもしたし、そうじきもかけた。
アイロンがけが好きで、母にせがんでやらせてもらったものだ。

だが、成長するにつれ、物事の関心が外の世界へ向くと
外で遊んでへとへと
めんどくさい
と言ってお手伝いを断るようになった。

それとお手伝いするのってなんかダサいなって。
親と買い物に行くってるところを見られるのがなんか恥ずかしいのと一緒。

今ならわかる、自律的ないい子だ、ダサいどころかカッコいいじゃないか。
昔からお手伝いに、炊事洗濯掃除に馴染んでいれば・・・。

 

生活に頓着がない

おおげさかもしれないが、
お手伝いをするかしないかが
運命の分かれ道だったのかもな、とたまに振り返る。

成人し、
一人暮らしも経て、
同棲まで進んだが
もうずっと、致命的に生活がめんどうなのである。ずうっと。

 

20代前半、古いアパートでの一人暮らし。
なんとか生きていたけど、働いていることもあり
24時間フル稼働といった感じで、生活に疲れ果てていた。
 
衣服はよれよれだし、肌着がなくなったら洗濯機を回す。
床がザラッとしたら掃除機をかけて、
トイレが黒ずんできたらそうじして、
食料がなくなったら買い物にいく(これは別にいいか)、
元々苦手なことも手伝って、とりあえずの自炊も段々辛くなり、米を炊くくらいしかできなくなった。

 

20代半ば、同棲を始める。
しばらく経ってパートナーからはこう言われるようになった。
「あなたは見ててやらないとご飯も食べない」

気を抜いたらごはんを食べずに貧血になることもあった。
昔は、働かざるもの食うべからずと、掃除も洗濯も買い物も終わってないからメシを食うわけにゃいかん、ニート期間のときには働いてないんだから食費を浮かさないかんと、意識的に食べるのを控えていた。

でも苦じゃなかった。
この考え方もよくなかったし、これでなんとか生きてこれたこともよくなかった。

 

結果、32歳のオトナが、ごはんも作れず、洗濯も山積みで、掃除は気になったら始める程度の生活力しか持ち合わせていないことになった。
なんなら、抑うつ状態で働けてすらいない。

これを致命的と言わずしてなんと呼ぼうか。

 
 

本からの呼びかけ

そんな中、
星野源さんのエッセイ『そして生活はつづく』を読んでいると、じわじわと胸に広がる言葉と出会う。

掃除とか洗濯とかそういう毎日の地味な生活を大事にしないでしょ、あんた。
だからそういうことになるの

そいうこととは、仕事の虫であった源さんがとうとう高熱を出しこと。仕事もあるし早く治さないとだし、熱が高すぎて死ぬかもと思ったら、普段呼びもしない母親にヘルプを求めたそう。
そのとき“ようこちゃん(源さんの母)"から言われた言葉である。

 

なぜかその言葉が、後ろ髪に引っかかる。
進んでは戻り、読んでは言葉を咀嚼する。

あれっ?もしかしてこれ、わたしのことじゃん?

あー、そっかー

わたし生活が苦手なんだわー

段々その納得感と、
生活を大事にしていないバツの悪さが胸に広がる。

源さんも書いていたように思うけど、
生活、それすなわち命の営み

わたしはわたしの命を大事にしていなかった。

あぁ、自分のこと大事にできてなかったんだな…と気づいた。
そういうえば
就活を焦った理由は母を安心させるためだったし、
いくら疲れ果てても仕事優先だったし、
サービス残業は当然の精神だったし、
自分の生活がなおざりになっても仕事や友人を優先していたなぁ。
可哀想な気持ちが醤油のシミのように広がる。あぁ…。

無知の知。

なんとかしなきゃ!

・・・と思ってなんとかなってたら、既になんとかなっている。

ということで、
まずは自分でできることから改善していこうと悟った。

 

改善点

わたしの行動原理には「めんどうくさいけど」がセットでついてくる。

ごはん食べたい!買いに行くのめんとうくさいけど
もうむり眠たい…移動するのめんどうくさいけど
遊びに行きたい!準備するのめんどうだけど
汚いのどうにかしたいな…そうじめんどうだけど
肌着ない!洗濯しなきゃ!めんどうだけど
こんな感じ。

 
だから、まずは、いわゆる断捨離から始めた。

モノが減る→片付けが楽になる→そうじがしやすくなる
→そうじがめんどくじゃなくなる。こういった塩梅だ。

これはほとんど大正解だった。

掃除に対するハードルが下がって、とっつきやすくなったし
そもそも掃除する手間が省けるようになった。

常に、なにかしらを「片付けなきゃ!」という
生活に対するタスクが一つ減った。(体感)

 

次は、お風呂。

きっと一般的にはなんてことない、生活の一部分でしょう。
考えるようなことじゃない、やって当たり前のこと。

エヴァでミサトさんも言っていた
「風呂は命の洗濯よ!」とあるように
自分を大事にしたいならお風呂も重要。

しかしわたしにはお風呂のハードルが高くてしょうがない。

何がお風呂を阻んでいるのか?と考えた時に、
・シャンプー、リンスがめんどくさい
・体を洗うのがめんどくさい
・顔を洗うのがめんどくさい
・衣類を脱ぐことに抵抗がある(寒さや不安感)
・体力を使う
・水切りがめんどうくさい
・化粧水とクリームがめんどうくさい
・ドライヤーがめんどうくさい
まぁこれだけ挙げることができた。

まずは、ショートヘアを維持すること。
これでシャンプー・リンス、ドライヤーが楽になった。

つぎに、顔と体を一緒くたに洗うこと。
洗浄力が強くないボディーソープを使用して、手でやさしく汚れを落とす。
洗顔料とせっけんを使い分けなくていい!楽!

そして、浴室暖房をつけること。
これはお金もかかるので月に2回までと決めている。
だが、つけない日でも、暖房をつけられるという
選択肢があることは心強かった。結構効いた。

これら(特に暖房)を試すだけでけっこう心待ちが変わり、
だいぶお風呂に抵抗がなくなった。

あとは、習慣化して
生活に割くタスクを一つでも減らせたらと思っている。

※もしよかったら
 お風呂に入りやすくなるアドバイス、
 いただけたらと思います!!

 

それから、歯磨き。

こいつは、簡単がゆえに軽視しがち。
弁明しておくと、3ヶ月ごとの検診に行くし、その度にきれいに磨けていますと先生からお墨付きをもらっている!

だから、命に支障はないのだが。

小学生のころ、軽い歯肉炎と言われたことが気になり
歯を一本ずつ磨いたり、歯茎の間を磨いたり、フロスをしたり、舌を磨いたり、コップにフッ素液?を作って・・・・とけっこう気をつかうようになった。

生活に対するタスクをかなり奪われているような感覚。
歯という小さな範囲に対し、なぜこれほど労力をかけねばならぬのか。

いや!、理屈は分かっている。
虫歯になっては歯は戻ってこないし、
おいしくご飯を食べることもできなくなるし、
歯槽膿漏になれば血液をとおして様々な病気のリスクがあるし・・・。

(歯磨きに対してこれだけ考えている人もなかなか居ないであろう。)

うつうつといている日は歯を磨かずに寝る。

そう、諦めるのである。

いつまでも、あ〜歯を磨かないとな〜と悩むと
エネルギーがたらふく奪われていく。
だいたいわたしは食後の休憩が済んだらうっすらと罪悪感を抱き始めるので、そこから寝るまでの3〜6時間は悩むことになる。
なんて気力がもったいない…!というわけで
もう無理っぽい、と思ったら諦めて寝るのである。

元気があるときは、
歯・歯茎・舌を磨いて、たまに歯間フロスとフッ素うがい。

うんうん、できてるできてる!と
自己肯定感を高め、歯磨きに対するハードルを下げていく。

さて、これ以上どうしよう。
歯磨きに対して楽しみがないからな…う〜ん。
改善点が見当たらない。
いや、改善したいのにどうしたらいいかが分からない!

出かける前には必ず歯磨きをするので、
毎日出かけるとか…いや無理だな、体力がない。
諦めて朝磨くとか…
いや寝てる間が問題なんだよな。うーん。

 
歯磨きでこれだけ悩んでいるが、
自炊・洗濯・お金の管理と
富士山より大きな山がまだまだ残っている。

あぁ…エネルギーが足りない…!

とにかく、お風呂と歯磨きは無意識でもできるよう
習慣化していきたいのが目下の目標。
これだけで生活に対するタスクがかなり減るはず。

その分を自炊にあてたり、そうじにあてたり、
仕事にあてられたらいいなと思う。

 
しかし、
そもそもなんでこんなに生きるのが疲れるんだろうか?
何もしていないのに…。

むしろ、何もしてないからか!?

もう、よくわからなくなってきた。
 

生活を、命を大切にする道のりはまだまだ遠い!!
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