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周りの人は私の鏡?

 半年ぶりに大学時代の親友と会ってきた。沈黙があってもいいしお互いに言いたいことを言いあえてわたしのことをとても気遣ってくれる人だ。仕事で色々あったようだが会えて前より元気そうで嬉しかった。

 大学時代に一生の友人と言える人が何人かできた訳だが、大学4年生の時に友達だと思っていた人たちからドタキャンされまくることが起こった。もちろん理由があったり、仕方ないこともあると思うのだがいろんな人と予定を詰めまくって私と会う日に体調を崩したというのが大体のパターンだった。

 気にしないで〜そう言っていたが、何回も続いた時相手にそうさせるような何かが自分側にあるのかな、自分は優先順位が低い人にされているのかなと正直悩んだ。その時考えたことは自分と同じくらい自分のことを考えてくれる人を大切にしたほうがいいということだ。ある人と一緒にいてその瞬間がとても楽しくても得るものが多くてもわたしのことを下に見たり理解してくれようとしてくれないのならそれは対等な関係ではない。ちょっと恋愛と似ているかもしれない。

 社会人になると学生時代の友達の大切さを感じると共に物理的な距離ができたことで会わない人も出てくる。本当に大切な人は自分から声をかけるけど、前ほど無理はしないようになった。最近SNSでとてもリアクションをしてくる人や自分からメッセージを送ってきたのに1ヶ月後に返信が来る人がいて驚いた。SNSが発達して便利な時代の若者ならではの悩みかもしれない。友達で会おうと思えばまた会える人なのにSNSで繋がっていても会うことはない人って繋がってる意味あるのかなとも思った。予定管理や連絡は人間の基本だし適当な人にはわたしも適当なぐらいでいいんじゃないと母に言われそうだなと思えた。

 同期は仕事の話ばかりしていてこちらから聞かないとそれ以外の話ができなかった。でも、少し距離を置いて久しぶりにあったら仕事以外の話をこちらが心を開けばしてくれて、きついときに言葉をくれた。歩み寄ることは必要。でもそれで返してくれたらもう十分。期待しないくらいがちょうどいい。人の気持ちやどうにもならないことを気にして人のことを考えすぎて心をざわつかせるよりも変えられること、自分のことに注力する。自分のレベルを上げてその私の成長を喜んでくれる人を大切にする。フラットにけれども人を尊重することは忘れずちょっと肩の力を抜いて接するくらいがいいのかもしれない。

 ある時、「元気だった?最近会えてなかったからさ。わかるかも。その感情。」
と言ってくれた人がいて、仕事で色々あったのもあるのだがその言葉をもらってわたしのこと考えてくれてたんだ、そんなこと考えてたんだって心に沁みた。自分ばかり相手のことを考えてると思うのは自分だけじゃなくて実はみんななのかもしれない。それは人それぞれで全てをわかる人なんていない。

 その人が得意なことや好きなこと、人のいいところを見つけられるのがわたしの長所なのだが、その性格はこんな素敵な人と自分なんかが一緒にいていいのかなという負の感情にも繋がっていたようで。友達だけれども趣味が多くてみんなに好かれている憧れのような子がいた。でも、その子に彼氏との予定を優先されたり、語学やってることを変に国際派と言われたり、ちょっと嫌なことを言われたりした。本人に悪気はないのかもしれないけどいつでも声かけていいよ〜と私の方が上だから遊んであげるよ的なニュアンスを感じてしまった。一旦距離を置いて自分のレベルを上げていったらそんなこと思わなくなって、前とは逆にその子からSNSでリアクションが来るようになった。

「自分のレベルを上げれば周りの質も上がる。周りの人は私の鏡。」
期待しすぎずけれども強さを持って大切な人を増やしていきたい。

#写真はマティス展で撮影しました。藤井風の帰ろう、最初恋愛の歌だと思ったんですけど死生観の曲なんですね。深いけど都合のいい意味で自分の立場に合わせて捉えてもいいですよね。今の私に沁みる曲です。

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