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ドゥルーズ+ガタリのマイナー文学的戦略から問う人文知の「出口」 【第一弾:思想編】 イベントレポート

 2023年11月5日(日)、立命館大学 衣笠キャンパスにて、小林卓也さん(ソトのガクエン代表)をお呼びした公開研究会「ドゥルーズ+ガタリのマイナー文学的戦略から問う人文知の『出口』:第一弾 思想」が開催されました(詳細はこちら👉https://www.r-gscefs.jp/?p=14471)。
 人文知を大学の中だけにとどめることなく、社会的な実践として人文知の「出口」を切り開いているように思われる「ソトのガクエン」について、D+G『カフカ』における「マニエリズム」という概念をキーワードに、D+Gにおける位置付けを押さえながら講演していただきました。
 この公開研究会のイベントレポート(イベントの簡略的なまとめ)を、以下に公開します。小林卓也さんに内容をご確認いただいたうえでの公開となります。
 D+Gにおける『カフカ』の位置付けや、『カフカ』と『アンチ・オイディプス』・『千のプラトー』との関係性などについて詳細に議論されている小林先生の講演、そして、メンバーとのディスカッションを文字起こしした完全版については、来年度刊行予定の「フランス現代思想研究会」機関誌(仮)に掲載予定です。

※本講演の内容は、小林卓也さんの著作権に帰属します。


▷講演中の小林卓也さん

1. 人文知と実践の結びつきを(いったん)断ち切る

 人文知には実践につながる「出口」がない…という閉塞的な状況というのは、よく考えてみると、「出口」がないわけではないと小林さんは言います。その「出口」は至るところに開かれているものの、残念ながらいずれの出口も誤った入口にしか導かれない…というのが正確なのではないかと、小林さんははじめに仰られていました。

 例えばそれは、低賃金による大学院生やポスドクの労働力の使い回し、専門知を生かすことのない一般職への就職、準オープンキャンパスにしかならない高校・大学の連携など、いくらでも挙げる事ができるでしょう。しかしながらそのような知と実践、大学人と企業、大学知と一般社会のつながりは、どちらにとっても幸福なものではない…。まずは、このような誤ったつながりを一旦断ち切る必要があると小林さんは言います。


2. 『アンチ・オイディプス』と『千のプラトー』を結ぶカフカ

 では、誤ったつながりを一旦断ち切ったとして、どのようにして知と実践を「再び」結びつけたら良いのでしょうか。これについて考えるヒントとして、小林さんはドゥルーズ+ガタリの『カフカ』に着目します。

 その前にまずは、D+Gにおける『カフカ』の位置付けを整理・紹介されていました。D+Gの『カフカ』(1975)は、『アンチ・オイディプス』(1972)に次ぐD+Gの共著2作目にあたり、カフカの小説技法を「マイナー文学」として分析するものです。そしてこの著作は、『アンチ・オイディプス』(1972)の精神分析批判と「欲望機械」論を引き継ぎつつ、後の『千のプラトー』(1980)で展開される議論の萌芽を含んでもいます。この「欲望機械」の議論は、『カフカ』においては、その小説技法それ自体が、(父と母と子からなる)家族的オイディプスを解体するものとして主題的に論じられることになります。


3. カフカ的マニエリズム

 小林さんは、このような背景をもつ『カフカ』のなかでも、「(カフカの)マニエリズム」という概念に焦点を当てていました。ここで、「カフカ的マニエリズム」とは、①いたるところに穿たれる出口の「再領土化」に抗しながら、②逃走線を引き、「脱領土化」を図る手法 (生き方)として定義されます。

 2つの要素が出てきましたが、ひとつずつみていくことにしましょう。
 まずひとつ目の①「いたるところに穿たれる出口の『再領土化』に抗す」こととは、冒頭で述べた「誤ったつながり」に対抗するということです。
 すでに存在している人文知と実践の結びつき、すなわち、人文知の商業的・産業的応用 (YouTube 大学 etc...)や、逆に商業的・産業的技術の人文知への適用(競争的資金、PDCA サイクル etc...)はまったくの「再領土化」にしかなりません。こうした「再領土化」に逆らう運動(=知と実践の接続をいったんは切断してみること)が、「カフカ的マニエリズム」にはあると言います。

 次に、②「逃走線を引き、「脱領土化」を図る手法 (生き方)」についてですが、これは、知と実践の接続をいったん切断した後の、それらの再結合に関わってきます。ここで重要なのは、異なる「切片」として隣接する人文知と実践を「脱領土化」することによって「アレンジメント」を作ることであると小林さんは言います。
それは、人文知と実践それぞれの役割を交換するのでも、応用するのでもなく、それぞれの「切片」を増殖させ、両者を遠ざけると同時に近づけて連結し交通させるということです。これによって、人文知において人文知が実践となり、実践において実践が人文知になると言います。

 …と、ここまで聞いてみましたが、この②に基づくような知と実践の再結合とはどのようなものなのか、実際的なところはまだよくわかりませんよね。
 ここで小林さんは、ご自身の私塾「ソトのガクエン」の話をしながら、この②「逃走線を引き、「脱領土化」を図る手法 (生き方)」を具体的に説明してくださいました。


4. 「ソトのガクエン」による、知と実践の再結合

ソトのガクエンは、 2021年5月に開設され、現在では哲学入門講座(一般教養レベル)哲学思考ゼミ(学部、大学院ゼミレベル)を開講しているそうです。
 そして、ソトのガクエンの理念とは、哲学・ 思想を学びたい「すべて」の方に学びの場を提供することだと小林さんは語ります。「すべて」とある通り、ここでは学生だけでなく、専業主婦(主夫)・社会人・定年退職された方などを対象としているそうです

 このような、ソトのガクエンが対象とする人の広範さというのが、先ほど出てきた、②「逃走線を引き、「脱領土化」を図る手法 (生き方)」における「『切片』を増殖」することと関係してきます。このようにして、大学知を学生に限定するような「切片」を意図的に増殖させることによって、「学生と大学知」を遠ざけると同時に、「学生ではない人々と大学知」を近づけて連結し交通させています(実際、ソトのガクエンの講座・ゼミの大半は、お勤めをされている方で構成されているそうです)。

 しかしながら、小林さんには注意していることがあると言います。それは、「教員と学生」という形にどうしてもおさまってしまう (=再領土化)大学知のような組織形態のフォーマット自体を変えるように努めているということです。
 そのために、(1)専門知識をもつ講師が一方的に情報提供をする、いわゆる市民講座に見られる形式を避け(哲学入門講座では、参加者の方々からの質問に随時講師が応答する形を採用し、哲学思考ゼミでは、参加者の方が実際にテキストを音読する、レジュメを作成する、あるいは参加者自身が講師となるという形式を採用)、(2)哲学書・思想書の読解を主軸を置いている(=テキスト読解よりもむしろ参加者の個人的な経験や考えを共有すること、あるいは、 それらを共有する場を開くことを目的とする哲学カフェ等との差別化)そうです。

 人文知という、社会的に有用性が少ないと見なされがちな分野と、それとは対照的に、即効性や社会的価値が求められる実践的な分野という、全く異なる性質を持つ二つを結びつけることは容易ではありません。
 ただ、これらを(注意深く!)結びつけようとしている点、すなわち、「人文知と実践」の両者の単なる交換や応用とは異なるやり方で結びつけようとしている点で、ソトのガクエンは、人文知と実践をいかに切り離すのか、そして、いかに結ぶかを私たちが考える際の重要な参照項となっていることは確かでしょう。


5. 北村による総括

「人文知と実践の接続」を考えるとき、これまでに頻繁に議論されていた接続方法としては、だいたい3つの路線があったことかと思います。それというのは、まずは(1)役に立たないから良いのだと開き直る路線。次に、(2)理系と共闘できるのだという路線。そして、(3)人文知・教養はビジネスに役立つのだと素朴に考える路線(これは「再領土化」にしか繋がらない!)です。
 このイベントレポートを執筆している私自身は、このどれもが悪手のように思え(なにせエレガントではない!)、これからどうしたものだろうかと頭を抱えていたところでした。

 しかしながら一方で、今回の小林さんのご講演の中で導き出された「人文知と実践の接続」方法とは、非常にエレガントなものであったように思えます。
 ここで提示された接続方法とはすなわち、まずは「再領土化」にしかならない人文知の流用・接続はいったん遮断するというものです。つまりは、Youtube大学的なものや競争的資金といったものから一旦離れるということです。

 このように、「人文知と実践の接続」を本当に考えるためには、それらの接続を(いったん)切断することが必要であるという視点は、私自身にはなく、「実践といえばこうだろう…」というイメージをどうしても持ってしまっていました。
 そのため、この「切断」は、非常に新しい試みに思え、励まされました。

 そのように切断した中で(脱領土化したうえで)どうするのか?といったときにキーワードとなってきたのは、「切片の増殖」でした。
 小林さんが、従来のような学生ではなく、社会人の方や主婦(主夫)の方を対象としているように、今現在、(人文知が)接続しているのではない人・モノと接続し直してみようと。

 ここで、みなさんも気になるのは、やはりこの「切片の増殖」の「コツ」でしょう。小林さんの講演の後のディスカッションでは、この点について、追加の議論が行われました。


6. 全体でのディスカッション

 全体でのディスカッションでは、「切片の増殖」の「コツ」に関して追加の議論が行われました。「切片の増殖」とは言ったものの、(おそらくは)私塾を運営していない身であろう私たち・みなさんは、この「切片の増殖」という方法をどう受け取ったら良いのか。あるいは、その「コツ」はあるのか。このような具体的な話が、ディスカッションでは展開されていきました。

 …と、全体でのディスカッションの様子もレポートしたいところですが、残念ながら、この全体でのディスカッションの模様は、来年度刊行予定の「フランス現代思想研究会」機関誌(仮)に掲載される予定です。

 …続報をお待ちください。(了)


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