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ニートを楽しむ日記 211日目 10/28土 - 最近のニート生活

ニートになって200日を超えていた。
100日目までは結構長いなあと思っていたが、100~200日はあっという間だ。

引越しをして2週間経った。
新しい家はとてもいい感じ。ダイニングの出窓と私の部屋の窓から一日中光が差し込むし、隣の家のとてもきれいな庭が見えて、鳥の声も聞こえて、でも静かで、非常に落ち着く。
駅までは歩いて15分程だが、ちょうどいい。自転車を使えば5分ちょっと。図書館も行きやすくなった。
それと、前の家の時よりも睡眠の質がよくなった。
理由はわからない。部屋の温度のせいか、明るさのせいか、静かさのせいか、床にマットレスを直置きして寝るようになったせいか。
わからないが、朝6時~7時頃に自然に目が覚める。たしかに、2年前、以前の家に引っ越してきたとき、この部屋に来てから朝起きられないなあと思ったことを思い出した。あの部屋に越してきた当初から起きにくくなっていたということは、寝具の問題というより、部屋自体や環境の問題なのだろう。
蕪ちゃんは、外がうるさかったんじゃない?と言っていた。
私は窓を開けて寝ることが多くて、それで外の国道を走る車の音などに無意識に睡眠を妨害されていたんじゃないか、と。なるほど。あるかもしれない。うるさくて寝られないと認識したことはなかったけど、無意識で睡眠の質が落ちていた可能性はある。
ともあれ、この家に越して来て2週間、睡眠の質はよい。嬉しいことだ。

最近は、朝7時頃までには起きて、蕪ちゃんの朝ご飯と昼ごはん(弁当)を準備する。弁当は前日の晩御飯をつめるだけだし、朝ご飯もパンと残り物なので大したことはしないけど、それだけで感謝されるのでありがたい。
8時に蕪ちゃんを見送り、そのあと自分の朝ご飯を食べる。
週に二日ぐらいは、8時半ぐらいからジムに行く。ジムは自転車で7分ぐらい。前の家と今の家の間ぐらいにある。
ジムでは、30分ぐらい走って、そのあと筋トレして、シャワーを浴びる。合わせて1時間ぐらい。
9時半とか10時ぐらいに事務を出るので、何か駅の近くで用事があれば、それを済ませてから帰宅。帰りがけにスーパーに寄って買出しをすることもある。
一番家から近いスーパーは、前の家の近くのスーパーや、その前の家のスーパーと比べてもダントツで広い。広すぎて、ちょっと持て余しているぐらい。品ぞろえは多いが、値段は前の所より少し高い。正直、そんなに広くなくていいのだけど、まあよしとする。

家に帰って、昼ぐらいまで少しのんびりする。本を読んだり、youtubeを見たり、サブスクでドラマを見たり。家計簿をつけたり片付けや洗濯をしたりすることもある。
昼は、簡単に作れるものをぱっと作って、映画か動画を見ながら食べる。パスタが多い。最近は1950年代ぐらいの洋画やタランティーノ作品を何本か観た。
タランティーノ作品は、昔DVDで6作目の『イングロリアス・バスターズ』と劇場で9作目の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を観ただけで、正直そんなにはまらなかったし、グロ描写に少し引いてたほうだったんだけど、『パルプ・フィクション』はずっと観たいと思ってたので、折角なら他も改めて観てみようと思い、1作目『レザボア・ドッグス』、2作目『パルプ・フィクション』、7作目『ジャンゴ 繋がれざる者』、8作目『ヘイトフル・エイト』をこの2週間で観た。
『イングロリアス・バスターズ』のときは、”なんかグロめだなあ”と思ったし、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のときは”結局何の話やねん”と思った記憶があるんだけど、それがタランティーノなのでは?と思って今回は見たので、結構楽しめた。スプラッター表現はやはりあまり好きではないんだけど、物語の結末を楽しみにするというよりは、その場その場の会話や役者の演技を楽しむ感じ。
会話のオシャレさは『レザボア・ドッグス』『パルプ・フィクション』あたりがシンプルでよかった。『パルプ・フィクション』のシーンの順序を並べ替えてる演出も、意味わからんけどおもしろい。この意味わからんけどおもしろい、を楽しめるかどうかなのかも。
物語的には、『ジャンゴ 繋がれざる者』が一番好きかも。
ジェイミー・フォックスがはまり役すぎる。あの武骨な悪のカッコよさ。でも知的。クリストフ・ヴァルツ演じるドクターとのバディがとてもよかった。サミュエル・ジャクソンがラスボスなのも、タランティーノ映画を観てるとそれだけでもう面白い。
タランティーノ作品はあと3作なので、どうせなら全部観ようと思う。

あと『戦争と平和』を観た。3時間半ぐらいある超長映画で、正直長さを知らずに借りてしまって観るの躊躇したのだが、見始めるとこれがおもしろくてずっと観られてしまった。最初の内は登場人物が一致せず少し大変なのだが、でもなぜかそれでも楽しめる。主人公の一人ピエールはヴィジュアル的にすぐわかるし、しかも当時としては珍しい戦争に批判的な貴族崩れ、というのがキャラクター的にもいい。ヒロインのオードリー・ヘップバーンはもちろん一目で判別できるし、彼女が出るだけで画面が華やぎ軽やかになる。その二つだけで序盤は観れる。もう一人の主人公アンドレイは、最初は主要キャラと思わず見ていて顔と名前が一致してなかったのだが、この人も主役の一人だとわかってからは、特につまづくことなく最後まで観れた。
戦場のシーンは迫力十分だし、リアリティもすごい。
ただ、ロシア人役もフランス人役もみんな英語で話しているので、話している兵士がどっちの陣営かわからなくなることがあり、そこは少し困った。今なら、ロシア軍はロシア語で、フランス軍はフランス語で話させるのが普通なのだろうけど、昔は違ったことに改めて気づかされる。
戦争に対する価値観も、日本のそれと欧米のそれは違うなあ、と感じる。
日本にとっての戦争は第二次世界大戦であり、原爆投下であり、東京大空襲であり、沖縄戦であり、南洋での悲惨な戦いであり、軍部の暴走と大量の死者であり、決してあってはならないこと、というイメージが、戦後の反戦教育も相まって強いのだけれど、欧米、特にヨーロッパの戦争映画などを見ると、戦争=独立戦争、ナポレオン戦争、第一次大戦で、必ずしも悲惨なイメージだけとは限らないことに気付く。
もちろん、ドイツなどは第二次大戦のヒトラーの傷跡が深いし、ユダヤ人虐殺などの記憶も強いと思うのだけど、日本とは戦争というものの捉え方が歴史的に違うなあ、と思う。
アメリアだと、南北戦争やベトナム戦争のイメージが強いんじゃないだろうか。
しっかり見込んでいるわけではないので印象で語っているところもあるが、
この”各国にとって『戦争』とはどの戦争であり、そこからどのようなイメージ・歴史を想起するか”ということはもっと考えられていいと思うし、それぞれ違うということももっと考えていいように思った。

とまあこんな感じで、昼を食べながら映画を観る。
2時過ぎぐらいに大体観終わるので、そのあとは最近は英語の勉強をしている。勉強といっても、図書館で借りてきた洋書をノートに書き写し、それを頭から訳していく、という作業だ。
これは、先日まで孔子関連の本を読んでいて漢文を訳していてなかなか楽しかったということと、夏以来南方熊楠を調べていて、その過程で南方熊楠の英語の学習法を読み(斎藤兆史氏の著作など)、英語の写経・書き写しに興味をもったからだ。
大学まで英語を勉強したが、その過程で「文の大意を読み取る」ことはできるようになったが、それは知らない単語を読み飛ばし正確に読むことを放棄していることに他ならない=正しい英語力は身についていないことに、斎藤兆史氏の本を読んで気付いた。訳読法など、今の英語学習では馬鹿にされているきらいがあるが、正直私は好きだった。しかし高校・大学と進むにつれて、一字一句辞書で調べて訳すのでは英語は話せるようにならない、といった言説が多くなり、しなくなってしまった。
が、改めて考えると、私は英文を一字一句調べながら訳すのが好きだった。小学校高学年のときに早くもハリーポッターの最新刊の原書を買ってもらい、自力で訳そうとしていたぐらいだ。(これは日本語訳が出るのが待ちきれなかったからだが)
その時は、まだ英語を習う前で、基本的な英語の構文を何も知らない状態だったのですぐに挫折してしまったが、元来読書が好きなのだから、英文を読むことの方が、英語を話すことより好きだし興味があるのだ、ということに今更ながら気づいた。
ということで、図書館で興味のある分野の洋書を借りて、毎日少しずつそれを訳している。
なんとなくわかるが、知らない単語が点々とあって訳そうと思うと難しい、ぐらいの英文を訳すのが楽しい。勉強というより、趣味かもしれない。
少し英文に慣れてきたら、スペイン語やフランス語でもやってみたいと思っている。スペイン語やフランス語は基礎文法が英語より圧倒的に劣っているので、まずは文法書などを買って基礎文法を固める必要があると思うが、それはそれで楽しみである。
語学=コミュニケーションツール=話すための道具、と思い込んでいたが、別に話せなくてもいいことに思い至った。一周回った感じだ。
私は話すことより読むことが好きだし、外国の人と話せるようになるという目標より、外国の様々な本・文献が読めることになることの方が魅力的に感じる、ということにも今更気づいた。

今の英語教育は、「話せるようになること」に重きが置かれすぎている。英語を10年も勉強して話せないとは何事か、国際社会で活躍できないではないか、という辺りからこの流れが来ているとは思うが、別に話せなくてもいいのではないだろうか。
なぜこんなに、「しっかり読めるようになること」が疎かになっているのだろう。少し病的なようにも感じてしまう。
ということで、しばらくこの「英語を読む」という趣味をやっていこうと思っている。

これをしていると、簡単に2時間ぐらい経ってしまう。
朝買い物に行っていなかった日は、4時ぐらいに買い出しに行く。
5時過ぎに蕪ちゃんが帰ってきて、夕飯を作って、6時ぐらいには食べる。
蕪ちゃんの話を聞きながら食後をすごし、8時半~9時半ぐらいには寝る。

最近はこんな感じの生活をしている。
正直、とても楽しい。落ち着いているし、好きなことができるし、健康的だ。
今の家に越して来て、生活全体が良い方向に回っていると感じている。良い部屋を見つけたものだなあ、と我ながら思う。(しかも家賃が安いので、ニート的にも非常にありがたい。二人で割って、一人あたま2万と少しである)

まだあと数か月は貯金でやっていけそうなので、この生活を楽しもうと思う。お金が足りなくなってきたら、何かパートかバイトかをすればいいと思っている。それで十分楽しく健康的に生きられる気が今はしている。

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