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痛みの正当性の証明(できない)



子宮というものは1人の身体にひとつしかないので、それを摘出するのは一生に一回あるかないかの出来事なので記しておく。

病気の経緯は前回書いた。
よくある、子宮筋腫だ。そして私は若くないし子供ももともと望んでいない人間であること、くわえて決断が早いので告知その時に手術日を予約した。

この病気に関しては自分や家族の決断がつかなければわりと数年単位で先延ばしすることができる。本人が辛いのを我慢すれば。

子宮摘出はたぶん、殆どの方が躊躇する手術だろう。

私の思考はかなりはっきりしていて、大抵どんなことでも最終的にこうするだろうなと思ったら、それまでに悩む時間が無駄なので即決断する。

(参考までに今までの即断 夫 車(歴代) 家 などは全部他を検討せず見に行って一度目で決めている)

手術でいえば、先延ばしにしたところで、最終的にはしんどいから子宮取るだろうな、じゃあ我慢してる時間が無駄だから手術早くやった方が得だ。という考えに至るまでが割と一瞬だ。

私は私の生殖機能と種の保存本能には若いうちから全く期待していないので、他の人とは考え方違うと思う。無神経ですみません。

そういうわけで、手術まで1ヶ月弱の猶予があったわけですが、体調が悪く何かしておこう、とかいうのはほとんどなかった。

髪乾かすのが面倒だから髪30センチくらい切った、くらい。

私は無類の酒好きだが、2週間前からお酒を控えた。それはそこまで辛くはなかった。1番嫌だったのは爪を短くすること。白いところ全部切れと言われて25年ぶりくらいに子供みたいな爪になった。

髪と爪と。メイクしないで人前に出るのも20年ぶり。おしゃれもできないし。装備を全部剥ぎ取られてレベル1の防御力になったみたい。

そんな姿でいると気分まで病人になってきて嫌だった。

手術の日。
手術は午後からだったが浣腸や採血したり点滴の管を入れたり忙しい。私は採血の細い針ですら殆ど一回では入らないので点滴の針にかなり苦心した(看護師さんとお医者さんが)。

失敗を経て先生が「次針入らなかったら別の医者を呼びます」と言ったが何とか入った。

血管が細い人はわかると思うが、針が入らない場合にはとりあえず刺してみてぐりぐりしてみたり(大抵失敗するしそのあと大痣になる)、手首の内側や手の甲などどんどん末端に刺すことになって痛い(でも何回も刺されるよりマシなので最初から諦めてどうぞ甲に刺してください、と思う)。

ただ私は痛みにものすごく強いので、ご迷惑おかけしてすみません、などと余裕を見せることはできる。

なんとか準備は終わった。が、ここでなぜかこれまで味わったことのないくらいの頭痛に襲われた。横になっていられない。氷枕を座った状態で後頭部とおでこに当てていたがほとんど意味がなかった。
手術前なので痛み止めも出せない。と言われ、早く麻酔かけてくれ、と思った。

そうしたら少し早く呼ばれ、手術室に入った。私は自分が主役になることが嫌なので結婚式も拒否した人間だったが、手術台では否応なく主役になった。
たくさんの人が私を取り囲み、いろんな管を繋ぎ優しくしてくれる。
私のためにこんなに集まってくださってありがとうございます、と思った。ランウェイのバックステージのスーパーモデルってきっとこんな感じだろうな。

硬膜外麻酔に怯えていたが腹を括るしかないのでまあこれだけ医療従事者がいれば何とかなると思うしかなかった。そして、硬膜外麻酔の針を刺してくれた麻酔科医のお兄さんのまつげがやたら長いな、と考えながら意識は途絶えた。

まだ起きないで!とまつげの長い麻酔科医が言った途端に目が覚めた。これはたぶん夢だったが、目を開けたらまだ手術室で、その麻酔科医がいた。
「終わりましたよ」
意識が朦朧としてよく覚えていないが、目を覚ましたのを確認されてから寝かされたまま保護室に入った。

状況がわからないままいると主治医が来て、とった子宮を見ますか?時間が経つと見れなくなるので、と言ったので、見せてください!と言ったら、クーラーボックスみたいな箱から子宮を取り出して掲げ、これが子宮でこれが筋腫ですなどと説明した。
私は、テンションが上がって、うわ、すごく綺麗!真っ赤ですねえ、大きい新鮮な砂肝みたい!などと言った。(もしかしたらこれも夢かもしれない)

その後夫に、子宮綺麗だったよ、見せてもらったら?気づいたら終わってたよ、その間何してたの?などまくし立てた。
今思えばテンションが高かったのは麻酔のせいだったのだろう。

動けないけどすごく元気でやっぱり私は痛みに強いんだ!無敵かもなとか考えていたが、夫が帰ってしばらくすると痛みと拘束されている辛さが襲ってきた。
肩のところに麻酔を追加するボタンのようなものがあるのだが、自分では触れなくていちいち看護師さんを呼ばなくてはならない。

しかし。
私はここでまた考えてしまった。
「この痛みは、忙しい看護師さんをわざわざ呼び出してボタンを押させるほどの痛みか?」

普通に考えたら手術終わって数時間だし、看護師さんはそれも仕事なのだから甘えていいのだけど、いや、まだ痛いとは言っても失神するほどでもないし、、

これは、痛いと言って良いくらいの、痛みだ。でも痛い、と言葉が出てるうちはまだ本当の痛みのうちには入らないかもしれない、、こうやって迷っているということはまだ余裕があるということだから、まだ人を煩わせることはできない、、という思考ループ。

保護室からは看護師さんが動き回る姿がちらちら見える。私はその姿を目で追い、私の部屋の近くに来た瞬間を見計らってナースコールを押す。
というのを一晩中やっていた。(痛くて寝られない)

ほんとなんなんでしょうね。なぜこんな時ですら人に頼れないのか。自分にわりと絶望した。
しかも熱も39度くらいあったうえに、手術前からの頭痛も引き続き、体のほとんどの部分は動かせないし、お腹も割れてるというのに?看護師さんの動きを伺ってるって何?

私は一体どうなったら人に頼れるんだろうか?

葛藤して朝になり、主治医に午前中のうちに絶対に立ち上がってほしい、と言われた私は「立ち上がるくらいできないわけないだろ」と完全に舐め切っていた。
看護師さんが2人来てくれてなんとか上半身を起こして服を着替えた。
確かに動くのは大変だけど、夜中の苦しみに比べたら、と立ち上がった、が、、
脳貧血みたいになって1秒も立ったままいられない。
こんなことははじめてだった。

保護室を午前中には空けなければならないというので、何度か立ち上がりチャレンジしてみたがだめで、屈辱の中車椅子移動となってしまった。
この時ばかりは看護師さんに頼らなければいけなくなった。

それも午後数時間したら立ち上がれるようになったので、過ぎてみればなんてことなかったが、その時が1番病人らしかったなと思う。

次の日にはシャワーも入れたし、残りの入院生活は相部屋の人がいなかったので都会の夜景をカーテン全開にして楽しんで過ごした。花火が上がった日もあってとても良かった。
こんなに自分のために時間を使ったのははじめてかもしれない。
頭痛は治ってないけど慣れてしまった。逆に頭痛があるから、お腹の痛みが相殺されていたかもしれない。

退院。
かなり安静に過ごしていたはずだった。
が。シャワー入って傷の保護テープを交換しようとしたら、1センチくらいパカっと割れてて、白っぽい液体がとろーんと出てきた。
開きましたね。

痛くはなかったけど、これ以上開いたらまずいという恐怖でとりあえず皮膚を寄せてテープで留めた。
夫は逃げて行ったが、至って冷静に、病院に電話。日曜日だったので担当医がいないため明日来てください。と言われた。
病院までは2時間くらいかかる。

縫われる、と恐れながら病院へ行ったが、縫うと雑菌が中に閉じ込められてしまうので開けたまま行きましょう、という担当医に絶句した。
毎日洗って軟膏を塗りたくってガーゼを貼るのを閉じるまでやってください。と言われさらに絶句した。

開いてる傷を毎日洗って?軟膏塗るってことは綿棒とかで傷をなぞれと?そして腹帯もあるのにガーゼまで貼って服を着れと?

選択肢はもちろんないので大人しく従うしかなかった。
因みに開いた傷の断面がめちゃくちゃ綺麗で、よくある化粧水の浸透の説明とかである皮膚の断面図そのもので、そこからとろんとしたものが出ててきれいでした。

お腹を閉じる際には何段階かで縫うらしく、開いたのが1番上だったので被害は少なくて済んだらしい。ただこれが、私だから痛みを感じなかったという可能性もあるので(ふつうに包丁とかでこのくらい切ったら救急車レベル)信じ過ぎない方が良いかも。

そして開いてしまった部分も含めての傷跡ですが、そんなに汚くはないです。水着着ることもないし、改めて誰かに裸見せるわけでもないので、気になりません。


そんなこんなで改めて自分の人に頼らなさに絶望した私ですが、この文を書いているのが手術から半年後で、また違う試練が襲ってきたようです。
今度は人に頼れるかなあ。





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