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大晦日リトアニアで友人が流した涙を決して忘れない。男性嫌悪・特権の現実

2024年を迎える瞬間は、リトアニアの友人や
彼女の友人達とバーで過ごしていた。

ふと彼女とその友人がリトアニア語で
会話していた内容を後から教えてくれた。

その一言が
一生忘れられない瞬間になった。

非常に強い口調で
‘‘私は、すべての男性が憎い!
男性なんて全員馬鹿だ。
根本的に男性を信用していない。‘‘

この言葉を聞いた瞬間、本当に悲しくなった。

なぜなら、初対面で初めて出会った人ではなく
留学開始後、初めて出来た
リトアニア人の友人であり
私が最も信頼するクラスメイトであるからだ。

大学院で一緒に取り組んだ彼女とのグループワークは
本当に良いチームワークで
彼女の協力的な姿勢にいつも感謝し、尊敬していた。

バーに行く前も
彼女の寮部屋で
友人達と飲み会を行っていた程
親しい間柄だ。(と思っていた)

彼女の発言が
ずっと頭から離れなかった。

その後、
彼女とイエメン人の学生が激しい口論になり
彼女が涙を流しているのを間近で見ていた。

激しい口論の後、内容を彼女に確認すると
イエメン人の性差別・男性優位の考え方が
どうしても許せなかったと語っていた。

涙を溢しながら語っていた彼女は、
日々男性から抑圧されて
性的暴力に晒されていたことを
ひしひしと感じ取った。

23歳の彼女が
今までにどれほど
女性差別や伝統的なステレオタイプに
当てはめられて
苦しんでいたかを想像した。

実際に彼女の両親はソビエト時代の占領の考え方が
色濃く残っており

・父親が理想的な結婚相手の条件を提示する
・母親に日々結婚をせがまれる
・伝統的な女性らしさを求められる

上記のような家庭環境が彼女を苦しめていたと感じた。

彼女の極端な男性嫌悪の背景には
リトアニアのソビエト占領時代の
家父長制と性差別の風習がリトアニアの家庭にも
残っていることが挙げられる。

家父長制とは、女性の再生産能力とセクシュアリティと
を男性支配の存続のために利用する仕組みのことです。
その制度のもとでは「女性の再生産能力を誰が支配するのか」が問題となり、性暴力もしばしばその支配と密接につながっています。

そもそも家父長制はそれ自体、性に関する自己決定権の侵害と切り離せず、制度そのものが性暴力に支えられています。
だからこそ、組織的な戦時性暴力から個人間の性暴力に至るまで、性暴力はしばしば被害者個人に対する、あるいは被害者が「所属」しているとみなされた集団に対する、支配と抑圧の手段として用いられてきました。

性暴力を正しく理解するために。2010年からのエンタメと考える、性暴力とその奥にある問題。【VOGUEと学ぶフェミニズム Vol.8】 | Vogue Japan

彼女が泣きながら語った
男性支配、女性に対する抑圧の経験から
女性の人権が蹂躙されていた歴史を
知っていたが故に
私には、受け入れること、想像することしか
出来なかった。

実際にリトアニアでは、強姦の罪は
他の刑期より短いことも彼女から教わった。

ファクトチェックの観点から、ヴィリニュス大学
法学修士卒業のの友人にも聞いてみたところ
確かに大麻の罪より場合にやっては
強姦罪の方が罪が軽いとのこと。

リトアニアは,多くの女性が医者や政治家になっており
男女平等が進んでいる社会だと考えていた。

しかし
リトアニアにおける34年前までの
ソ連から占領されていた負の遺産は
性暴力の観点からも色濃く残っている。

あの時、乏しい語彙力で彼女に伝えたことは
‘‘私は男性だから、100%貴方のことを
理解できるとは口が裂けても言えない。
出来ることは、性差別の実態を想像し、
理解しようと努力すること。‘‘

どこまで伝わったか分からないが
ゆっくり頷いてくれた。

彼女の忘れられない一言から
性差別・男性特権の現実を改めて考えさせられた。

その時に手に取った本が
『これからの男の子たちへ』(太田啓子・著)だ。

著者は、離婚、DV、性暴力の裁判を
中心に扱っている弁護士であり、二児の母親でもある。

彼女は、法律の専門家と2人の男の子を
育てる母親の視点から性暴力や性差別の
問題解決のために男性が当事者として
どのように関われば良いかを丁寧に描いている。

この本では、1980 年代 に アメリカ の心理学者が
提唱 した『有害な男らしさ』という表現を
紹介している。

この言葉は、社会の中で男らしさとして当然視、
賞賛され、男性が無自覚のうちにそうなるように
仕向けられる特性の中に、暴力や性差別的な
言動につながったり、自分自身を大切にできなく
させたりする有害な性質が埋め込まれていることを
指している。

私の友人の男性嫌悪(ミサンドリー)は
ソビエト占領時代からの有害な男性らしさの数々に
直面してきた結果だと考えるようになった。

太田(2020)は、
男性は生まれながら気付かないうちに
女性より特権的な立場にいるということを
しっかり認識する必要があると強調している。

この特権に関して、出口真紀子(2022)は特権の定義を
具体例と合わせて次のように説明している。

私の定義は、
「マジョリティー側の属性を持っていることで、
労なくして得ることができる優位性」というものです。
“特権”は、自分ではなかなか気づけないものなんです。
たとえば、性被害に関してもそう。
学生に「安全に気を遣っていること」を聞くと、
女性は「授業が一限のときは、電車が満員だからスカートを履かない」
「飲み会では自分の飲み物をガードする」。
一方で男性に聞くと「財布を後ろのポケットに入れない」「睡眠をよくとる」という程度で、
「特になし」も多いです。
それが、男性の“特権”なんですよね。

マジョリティの“特権”とは あなたは優位な立場かもしれない - 記事 | NHK ハートネット

太田(2020)は、別の言葉で
性差別構造のある社会で生きている以上
女性が女性というだけで感じている恐怖や不利益、
不快感を男性 だというだけで受けずに済んでいる

と述べている。

これまでに国際人権や難民問題の文脈から
女性の人権について
多少なりとも勉強してきた。

また、私の周りにはリトアニアの友人以外にも
身近に性暴力の被害に遭った知人、友人達がいる。

難民問題・性暴力の問題は
自分にとって大事にしている友人(当事者)が
直面している「自分をつかんで離さない」もの。

この知識と経験があったからこそ、
偏りがある男性嫌悪の発言に対しても
一歩引いた目線で
彼女のおい立ちや背景まで考えられた。

しかし。
男性として私が
特権をもっていることに
気づいているようでしっかり認知出来ていなかった。

出口(2022)は、
特権=自動ドアと例え、
ドアが開くこと(当たり前に享受される権利)を
特権を得ている側が見えないと強調している。

自分の特権すら認識できていない人間が
男性嫌悪に物申すほど
頓馬なことがあるか。

特権への気づきから
これから大事にしたい点が3つ。

1点目は、特権を持つ側が
性差別発言や暴力に近い場面に出くわしたときに
積極的に声を上げていくことだ。

実例として、女性が差別を受けている場面に遭遇した際
女性が仲介するより、男性が止めに入る方が
抑止力になりやすい場合がある。

これが正しい特権の使い方ではないか。

女性や一部の人権活動家だけが声を上げるのではなく
社会における男性が特権を持つ側の力を行使して
不正義を是正する力学を生み出していくこと

大切だと思う。

2点目は、間違いと気づいたことは
素直に謝り、日々自分の考え方を
アップデートしていくこと。

私自身、うっすらとしたジェンダーバイアスの膜に
組み込まれて育ってきた。

男3兄弟の中で末っ子、中高時代は柔道に明け暮れ
伝統的な「男児」の環境で生きてきた。

どんなに学びを深めて
言葉選びに慎重になっても
無意識な固定概念で間違うことや
些細な発言で誰かを傷つける事があるかもしれない。

その時は謙虚に・素直に自分の弱さを認めて
自分をアップデートしていく。

3点目は、男性も女性もフラットであり
上も下もない人権感覚を醸成させていくことだ。

私が一番注意しないといけないことだと感じている。

私は、女性の存在を絶対視してしまう傾向があることに
今回のことで気付いた。

自分を犠牲にして女性の意見を優先したり
自分を下げて、女性を上に見てしまう時がある。

だから、過去の恋愛でもかなりキツイことを言われても
自分の声を無意識的に抑圧していた。

これも私の弱さだ。
まずは、この弱さすら認めることが
スタートラインだ。

凝り固まった考え方を解いてゆき
性別による上も下もない平等という人権感覚を
自分の中で再構築してゆきたい。

「男性が憎い、男性なんてみんな馬鹿だ」
そのあとに大事な友人が流した涙を
決して忘れない。

そして、自己の特権を認識し
男性として不正義に抗っていきたい。



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