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書欲からはじまり

いきなり、書欲と書いた。書きたい欲と書いて書欲(しょよく)と読む。ちなみに、写真を撮りたい欲は写欲(しゃよく)という。私の日頃の生活は、書欲と写欲からなりたっている。これは、湧けば大歓迎な欲。湧きっぱなしはむりだけど、充電も必要だから。

欲についてだなんて、さっきまでこれっぽっちも考えてなかったのに。欲については大きくとらえて良しとしている。そもそも欲がなければ前へ進めないとおもう。
意欲、まさに。
三大欲求はもちろん人間の証だから当然だ。なんでもバランスが大事だ。といってもね、いつもバランスバランスって言ってられない。これ本心。


我が家は普通にお寺さんにお経をあげてもらう、とても日本的な家です。お盆、クリスマス、除夜の鐘、初詣、宗教違うのが、日本人的なところ。世界を考えると、とても不思議な現象がおきている日本。どの宗教も受け入れあっている。しかも習慣として毎年恒例の行事としてある。こんな国は他にあるだろうか。わたしは宗教に関心がないわけではなく、気になっているけれど、とくに一つだけと決めて信仰するつもりがない。だからといって無宗教とも言えない気がする、この日本では。

一遍の詩をご紹介させてください。
茨木のり子「倚りかからず」という詩です。


もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれくらい
じぶんの耳目
じぶんの足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

茨木のり子「倚りかからず」


この詩に、いつからか親しんでいる。いろんなことを知りたい、吸収したいとおもっているうえで、最後にはこの詩のように生きれたら、とおもう。



それでは、またお会いできますように。
ありがとうございました。

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