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カフェにて、偏見にぶつかる

先日、いつものお庭カフェでハーブティーをゆっくり飲み、少し落ち着いたようで、庭へ出た。夏の庭。しばらくゆったり見ながら撮影していて、そしたら、わたししかいない店内に新しいお客さんがきたようだ。わたしはまだ植物と向き合っていたのだけど。


店内へ戻ると、めずらしく男性ひとりだった。この店にはほとんどが女性でたまにちらほら男性ひとりの常連さんがくる。シフォンケーキとジェラートのセットとアイスコーヒーをオーダしている。なんだかはにかむように、うれしそうにオーダーしている。そんな少しはずんだ声をしていた。わたしの大きな偏見でしかないけど、男性がひとりでケーキをオーダーする様子に素直に驚く。わたしは滅多にケーキを好まないからなのか。男性は甘いものを好まないとおもっているのか。わからない。


ケーキがテーブルに並ぶと、カチッカチッと写真を撮っている。何かに上げるのか、それが趣味なのだろうか。


偏見は生活のすぐそこに潜んでいる。わりと自分では気づかない姿をして待っている。男性がひとりでケーキを食べてはいけないのか。そんな男性がいたっておかしくないでしょう。実際いるんだし。わたしだってあまりケーキを求めないのは、女性らしくないとかそんな話になるかもしれない。話がどんどん進んでしまう。偏見は、文字通り偏った見方だとおもうけれど、誰の中にもあって当前だとおもっている。一人の人間が、世の中のすべてを公平に受け入れているなんて考えにくい。


わたしは狭い狭い世界で生きている。自分の生きてる世界がどれだけ狭いか、知るよしもないが、きっとこれから年々歳を重ねていっても、生まれ持ったある大きさ、生きるスケールとかそんなことは、そんなに大きく変わるんだろうか、そんなことを未来に疑問におもう。別段期待してるわけではないけど、わたしがいきなり、世界を股にかけて働きに行くとはちょっと考えにくい。そんなスケールのこと。未来を悲観的にはみていない、むしろ楽観的ではあるけれど。でも、何が起きるかはまったく未知で、その未知に対して、人は希望と不安をもって生きているのかもしれない。



それでは、またお会いできますように。
ありがとうございました。

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