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0点と100点を巡る旅

私は「鴻上尚史のほがらか人生相談」をよく読むのだが、その中でもとても衝撃を受けたコラム記事を紹介したい。

「搾取されるのでは」と人を信用できない40歳女性に、鴻上尚史が提案した、0点と100点を巡る旅とは?
https://dot.asahi.com/dot/2021122700025.html

鴻上尚史のほがらか人生相談


0点と100点を巡る旅、私がその旅に出てもはや三十数年が過ぎようとしている。


鴻上さんはこう述べている。

“大人とは0点と100点の間、例えば67点とか83点とか35点とかで人間と会話し、そしてつきあうことができる人のことです。「67点で会話する」というのは、「何も言わないで黙っている」が0点で、「全部ぶっちゃけて言う」が100点で、その間、67点分だけ言うということです。“

鴻上尚史のほがらか人生相談

私は相手の言っていることを黙って聞いていたり、ある日プツンといなくなったりすることが良くあった。
何かを伝える時には1から100まで伝えないといけないと思っていた。

そうでなければ「誠実ではない」と思い込んでいた。

だから「67点分だけ話す」というのは、私の脳内にはない発想だった。


そして「67点分だけ話しても“良い”」ということも思ってもみなかった。


私にとって「みんなが誠実さを求めている」「きちんとした理由がいる」「そうでなければ自分の主義主張を通すことはできない」という思い込みがあった。

このコラムを読んでから私は「この人とは32点ぐらいで行こう」とか。

「この人は67点くらいで話そう」と思うようになった。


そうしていくうちに、少し楽になった。

私は、良い顔をしなければいけないと思う時と、良い顔をしている自分が気持ち悪いと思うことがあった。
いつだって私は0点と100点を行ったり来たりしていた。

そんな中で自分が話すことに点数を付けることで、自分が職場でいかに
「いつもみんなに100点の態度を取り続けないといけない」と思い続けていたことを知った。

だから、人と話していると疲れるのだ。

相手にとっての「100点の態度を取る」ことなんて出来るわけがない。
それはあくまで「自分が考えた相手にとっての100点の態度」なのだから。
そこに100点をつけるかどうかは相手の領分だし、私が決められることではない。
その行動の根本にあるのは、他人をコントロールしたいという気持ちだ。
そりゃあ、うまくいかないし、苦しくなる。

だから基準を自分に戻して「私はこの人とは52点ぐらいで行こう」と考える。そうすれば、自分の考えた52点で過ごせる。

苦手な人には「この人は37点ぐらいでいいや」と思えば、無理して合わせる必要がぐっと減った。


自分が今、何点の行動や、何点の会話をしようとしているかを自分で意識すると、無理しない等身大の自分が見えてくる。


等身大の自分が見えてくると、点数を付ける精度も上がってくる。

無理して会話を合わせて疲れることも、頑張りすぎて死ぬことも減る。


もしあなたが、0点と100点の旅をしていると思うのなら、一度立ち止まって、32点の世界や、67点の世界がどんな風景なのかを、見てみるといい。

あなたの旅も、きっと楽になるんじゃないかと私は思う。

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