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内村航平さん 引退会見  自由質問の質疑応答①


昨日の記事では代表質問の質疑応答について記事にしました。

今日は自由質問の質疑応答の途中までを記事にしました。

私の中では会見やインタビユーの言葉ってすごく大事に思っています。それは雑誌や記事は要約して載っているのでインパクトのあるキーワードが載りがちですが、その前後の言葉を略していると本当の意味が違って見えたりしてしまうからです。本人の言葉を全て聞くと、本当の真意がわかります。

少し長い記事になりますが、自叙伝のような小説だと思ってご覧ください。

誤字があったらすいません。では




Q:世界選手権が始まる前にしんどいなということを感じたとおっしゃってましたが、具体的にケガの部分が大きかったのか、それに伴って心の部分もあったのか、その辺具体的な真意とかを教えていただけないでしょうか?


A:実際、体の痛みというよりかは、
日本代表選手として世界一の練習が
積めなくなったっていうことに対しての、
自分の中で諦めじゃないですけど、
もうキツイな、もう世界一の練習は
難しいなと思ったので、
そうなると引退かなって思っただけで。

体が痛いことは世界一の練習が
出来ないというのに繋がってくると
思うんですけど、それよりかは
モチベーションとかメンタル的な部分で
世界一の練習が気持ちでもっていくことが
難しくなったというところの方が大きいですね。

あと、練習していく中で体操の技は
10個の技をつなげて、最後の着地までやる
練習をするんですけど、
その練習をやろうとしても、
以前だったら何回も何回も気持ちも保てたし、
どんなにしんどい日でもやり切ることが
出来たんですけど、世界選手権に向かうまでが、オリンピックの予選落ちとかもあって、
かなり気持ちで上げていくことが非常に
難しかったということが今思い返すと
凄くそうだったなと思います。

Q:内村選手の競技人生の中で
オリンピックというのは切っても
切り離せないものだと思います。
数々のメダルを獲得し、時には悔しい
思いもしたかもしれません。
オリンピックを一言で言うと
どういったものでしょうか?

A:僕にとってのオリンピックとは
『自分を証明出来る場所』
だったかなと思いますね。世界選手権が
オリンピックイヤー以外で毎年あって、
その中で世界チャンピオンになり続けて、
果たして自分は本当のチャンピオン
なのかというのを疑い続けて、
オリンピックでしっかり証明するというのを
2回も出来たので。
そう考えると自分を証明する舞台だったのかなと思います。

Q:2016年に東京オリンピックを目指すと
決めてからは、怪我をしたり、体の痛みで
思うような体操ができない時期、
苦しい時期とかあったと思います。
色んなことを思ったり、
今まで考えなかったことを思考したりとか
貴重な時間もあったのではないかと思います。
2016年からの5、6年というのはどのような時間だったでしょうか?

A:リオオリンピック以降のここまでというのは、
今まで練習で思い通りにいかないというのが
なかったのが、急に思うようにいかなくなって、
痛いところも気持ちでカバー出来てたところが、
カバー出来なくなり、練習でどうにか痛めない
体を作り上げていくところからやったりと、
本当に練習を色々工夫して、プロになって、
普及なことなど体操の価値を上げたい
ということなど色んなことを考えて
やっていったなかで、
結果はリオオリンピックまでとは
ほど遠いぐらいの結果でしたけど、
その中でも体操を突き詰めていく
というところを考えると
1番濃い5年間だったかなと思いますね。
リオオリンピックまでの自分と今の自分だと、
体操に対する知識がかなり増えて、
世界中の体操選手、コーチよりも
自分が一番知っているという自負があって。

それだけこの5年間で研究して知ることが
出来たし、終わりがないことも知れたので、
今後も勉強し続けていくことで知識の幅も
もっともっと広がっていくし。

こうして今日引退していくことで色んな人に
伝えていけるので、そういう意味では
通らなきゃいけない道だったのかなと
いうふうに思ってますね。

いいところばっかり知りすぎていたので、
挫折とか落ちたところからの
這い上がる力というのも知れたというのは、
今後人に伝えていく立場として
知らなくちゃいけなかったことだと思うので。

栄光も挫折も経験できたというのは、
自分だけじゃなくて、
今後体操でトップを目指す、
オリンピックで金メダリストを目指す
人たちに伝えていくという立場からすると、
本当に貴重な経験をさせてもらったな
という気持ちが強いです。

Q:内村選手のお名前が付いている技が
まだないと認識しているんですけども、
まだ未発表で、出したくも出せなかった、
もしかしたら『ウチムラ』っていう名前が
ついていたかもしれないという技は
あったんでしょうか?

A:未発表の技はもちろん何個かあります。
やっていたら確実に『ウチムラ』という
名前がついていた技ももちろんあるんですけど。

やはり今まで個人総合でトップを維持するために
その技をやることをやめたといいますか、
必要なかったのでやらなかったんですけど。

実際2013年にアントアープの世界選手権で
白井健三が跳馬でユルチェンコ3回捻りという技を
成功させて『シライキムヒフン』という
技になったんですけど、
あの技は2010年の全日本選手権種目別決勝で、
僕が最初にやっているので、
健三に取られたという技ですね笑

まあ、でも実際あれは難しい技で。
あれを個人総合でやっていこうかなと
思ったんですけど。

あの一回でやっただけだ、
「あっ、これは。この技は、個人総合でやる上では安定をすることが難しい」
と判断したので、やめたんですけど。

3年後にそれを軽々跳ぶ…坊主が現れたので。
本当にこいつはどうなってるんだ
という気持ちで見ていましたね。

だからそんなに取られたとか悔しいとかって
気持ちよりかは、
「わぁ、こいつ本当に凄いんだな」と見ていました。

今こうして自身の名前のついた技がない状態で
引退を迎えましたけど、
まぁ、逆にそれもありかなと今は思っていて。

それだけ個人総合で、誇りに思って
やってこれたこそという証明になるかな
と思うので、それはそれでいいかなと思います。

技名を一つ残すよりも凄いことをやってきたと僕は思っているので。

それはそれで誇りを持てているのかなと思います。

Q:内村選手といえば、『ブラックサンダー』が
勝負飯と伺っているんですけども、
最近の勝負飯、又はこの会見を成功させるに
あたって今朝食べた勝負飯ってなんでしょうか?

A:ブラックサンダーは勝負飯じゃないですよ笑
お菓子ですからね。飯じゃないです。

今日ですね。僕は会見を勝負だと思っていないので。

そもそも僕一食しか食べないし。ってか食べてないです。朝。水ですね、水、勝負水です。

勝負水で今日やらせていただいてます。

Q:2011年の世界選手権の今まで感じたことないZONEと先ほどおっしゃっていましたが、
今振り返ってなぜそのZONEが生まれたのか
教えていただけますか?

A:人生で一番心技体が揃っていた時期なのかなと思っています。
練習量もそうですし、練習の質ももの凄い高かったし。
メンタルもあの時が一番強かったかなと思うし、
痛いところも全くなかったし、
なんか自分は何をやっても出来ると思った
時期だったので。

でも一番の要因は世界で一番練習をしてきたからだと思っていますね。

あと自分の演技、体操に対して物凄く自信を
持っていたので、失敗する気がしないとか
そういう次元ではなく、この場をどう楽しもうかっていう、強さとはかけ離れたというか、
自分1人が楽しんでいるかのような状況だった
のでそれが強かったのかなと思いますね。

そのあと、その翌年にロンドンオリンピックが
あって、そこでそのZONEを再現したいな
なんて思ってましたけど、
ZONEは再現できるものではないし、
自分から狙って出来るような事ではないんだなっていうのをそこで感じたので。

あれを一回経験できただけでも人間を超えれたんじゃないかなと僕は思っています。

ZONEの話をすると多分3日ぐらい寝ずに
話し続けちゃうんでここで辞めときます。

Q:これまで取材している中で引退という
言葉について
「そもそも、引退って形を取る必要があるのかな」とか「引退だけが終わり方じゃないか」
っていうお話も何度か伺ったんですけど、
今回形としては現役引退とハッキリさせて
発表されると決意した経緯というか、
なぜそこを決められたのか?

A:現役引退の定義がなんなのかというのを
自分なりに考えた時に、やっぱり試合に出ない、
競技者じゃなくなるといった所なのかなと
思ったので、競技者じゃなくても体操は
続けられると思ったので。

だったらまぁ、競技者じゃなくなっても
現役引退を表明しないでいるのも世の中的にも
そうですし、自分としてもはっきりしないなぁ
という気持ちになってしまうと思ったので、
こうして一回競技者としては、一回身を引きますというのを発表したほうがいいんじゃないかなと思ってやりました。

Q:もしかしたら現役を引退しても、
体操との関係は続いていくっていうのは思い当たることがあるのか?

A:競技者ではなく演技者としてやっていくのもいいんじゃないかな。
今後進んでいく中で、いろいろなことをやっていくと思うので、果たしてずっと体を動かし
続けていくのか、それともその中でやっぱり
こっちの方が面白いからそっちの方に
行ってみようと思うこともあると思うので、
取り敢えずは決めずに体が動く限りは動かし
続けたいなという気持ちがあるので。
でも、まぁもう試合に出ることは厳しいな
と思ったのでこういう決断をしました。

Q:競技者として演技者としてという中では
今までずっとおっしゃっていた
自分の体操の追求とか、イメージとして演技者
としてこの後も続いていくようなイメージでしょうか?

A:そうですね。3月のイベントと言いますか、
引退試合、演技会、エキシビジョンみたいな
形になるので、それは終わりでもあり始まり
でもあると思うので。
演技を見せれる場というのを今後作ってもいいですし、そうすると気持ちも楽に出来るので。

現役の選手を呼んで、現役の選手が来てくれるかはわからないですけど、
なかなかリラックスした状態で見せる演技っていうのもいつもとは一味違って、凄みとかが見えるのかなっていうのも思ったりするので。

でもそういうこともやっていきたいんですけど、
僕としては体が動くまでは体操を研究したい
という気持ちが強くて、
やっぱり技術を研究したいというのと、
体操の技のやり方というのは答えがないので。
答えがない中でも理想のやり方とかがあるので。

一番効率いいやり方を見つけたりなど、
ルールもオリンピックごとに新しくなっていくので、そういった中で流行の技などこういった時に
やった方がいい技っていうのを研究したいなっていうのは思っています。

つづく

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