【書評】どうせ死ぬんだから
【死ぬ時に1番お金持ちになっても意味がない】
こんにちは。今回は和田秀樹さんの『どうせ死ぬんだから』の書評を書くよ。
【どうせ死ぬんだから】
この本、とても秀逸。ぜひ読んで欲しい。
この本の内容は、
人間は
どうせ死ぬんだから、今を楽しみ、今を充実させるべきだ。
人間は
どうせ死ぬんだから、生きている内に楽しまなきゃ損だ。
我慢とは、後悔なのだから。
そんな本だった。
「メメント・モリ」という言葉がある。これは「死を意識しろ」という意味。私たちは、死=人生の有限性に直面した時にはじめて、その体験が眩しく、かけがえのないものになる。もし人生に死という有限性がなく、永遠のものとなってしまえば、人生は退屈で、つまらないものになるだろう。
似た言葉に「カルぺ・ディエム」という言葉がある。これは「死は必ず来るから、それは仕方のないものとして、今という時を、大切に生きなさい」という意味。メメント・モリよりもカルぺ・ディエムの方が好み。
人間の命には限りがあるのだから、自分の好きなように、自分の人生を生きたい。自分の好きなように、自分の人生の時間を使いたい。
私たちは、いつ死ぬか分からない。でも「年をとる=死亡する確率が高くなる」ということ。どうせ死ぬんだから、ジタバタしてもしょうがない。
いつまで生きられるか分からないのだから、旅行するのを控えたり、外食するのを我慢したりするのはやめよう。
でも多分、作者の和田秀樹さんが言いたいのは「浪費しよう」なんて快楽主義的なことじゃない。自分が本当に好きなものを理解して、自分が何にお金を使うと幸せになれるのかを理解して、納得して、その経験に惜しみなくお金を使うこと。これが前提条件だと思う。
思うに、お金を無駄にしてしまうことより、人生を無駄にしてしまうことの方が問題だ。
多少、早く死んでも、楽しく生きたい。大事なのは、好きなことを、なるべく我慢しないで、人生を楽しむことだ。我慢とは、後悔である。
大事なのは、長生きすることではない。長生きして、何をしたのか?ということ。
人間が死ぬ確率は100%だ。どうせ死ぬんだから、もう死んでもいいや、1度きりの人生だ。そう思えるようになれば、かなり思い切ったことができる。
人生の幕を下ろす時、家族で思い出を作ったり、お互いにお別れをしたりするのは、人間として、当然の権利だ。
愛し、愛され死んでいく。上の人に媚を売らず、下の人を蹴落とさず、過去の栄光にすがらず、人との繋がりを大切にする人間でありたい。
お金は持っていることよりも、使うことに価値があるのだから。品良く、賢く、面白く。そんな風に生きていきたい。
【おわりに】
何が言いたいかっていうと、人生の幕が下りるまで、自分らしく生きることが大切ってこと。
幸せな状態ってのは「自分が紡いだ、自分の物語に、自ら疑念や欺瞞を抱くことなく、心から納得し、その自分の物語に全力で注力できていること」だ。
「嘘のない物語」が人生を支える。
自分を喜ばせる時間やエネルギーだけを増やしていく。自分の納得する物語を生きるのが、幸せに生きるには大切だ。
人生=出来事×解釈
だと思う。
現実で起こる出来事に対して、どれだけ自分の解釈を言語化するか。また、自分の行動によって、どれだけその先の未来をより良くするか。そういう視点が大事なんじゃないか。
競争に負けようが、他人からの評価が低かろうが、その人が存在することそのものの価値とは全く関係がない。
誰にも遠慮をしない、自分だけの「好き」を見つけ、浸ること。それが、何が正解だか分からない現代で、幸せに生きるコツなんじゃないだろうか。
比較は喜びを奪う。
ー元米大統領セオドア・ルーズベルト
正解を選ぶんじゃなくて、選んだ道を正解にしていく。そんな人生を歩んでいきたい。
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