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どうしてかは自分でもわからない

「すごいね!いつ頃から考えてたの?!」
「なんで行こうと思ったの?」

高校教師の職を2年休職し、青年海外協力隊でケニア行ってきますと伝えた私に、多くの人はこう返してきた。

その都度私は答える。
「いや〜、職業柄自分が実践してないことを生徒にやろうなんて言えないなと思って」
とか
「アナザースカイが欲しくて」
とか
「ケニアで2年暮らせたら一生話のネタにできる」
とか

多分そう。どれもありそう。
でも多分違う。どれもちょっと違う。

人に答えているうちにだんだん回答の方向性は定まってくるもので、自分の返答を聞きながら奥にいる自分が「へ〜、自分はそう思ってたんだなぁ」とメタ認知するのが自分の常だけれど、今回に関してはずっとしっくりこない。

こだわって揃えた家具を人に譲り、車も売って一切合切の財産を手放すような人生の一大決心のはずなのに、自分の中に動機がなんっっっにもない。
給与がなくなり、2年分の社会保険料127万円を一括で払う羽目になって経済的に大ダメージなのに、なんかこう、それでも得たい何か、みたいなのなんっっっっっっにもない。
成し遂げたい何かもないし、その経験を経てどうするかもない。
書いてて思うけど何だこの博打。当てる気のない馬券に全財産突っ込むようなムーブほんと何。

それっぽい答えを返しながら
「結局わかんないんだよなぁ」
と思う。
あと、理由はないんだけど
「こんなことでもしないと生きられない」
とも思う。

でも一切合切を捨てているうちに、何だか少しホッとした気持ちにもなっている。これでまた0になっても大丈夫、みたいな気持ち。風来のシレンで鍛え上げた装備失って数日ゲーム起動しなかった後の「まぁでもこれで別の装備鍛えられるし」みたいなマインド。
自分にはない習慣だけど、人間関係リセット癖がある人とかこんな感じなんかな。

何か新しいことがしたいというよりは、
ずっと同じ場所でずっと同じことを繰り返すのが怖い
というのが正しいのかもしれない。
人間は追う時より逃げる時のほうがエネルギー出ると思ってる。
逃避に理由なんてねぇよなぁ。「怖!」とか「やば!」とかで逃げるやん。

普通協力隊に行く人は任地の現状や課題とか、
何らかのスキルをこういった場で広めるものだろうけれど、
自分にはそういうことを面白がれる才能がないし、
何でかわかんないままにこんなことをしてしまっている身なので、
何だか変わったことをしてみてる時に出会ったことを、主観的に記録できればなぁと思います。

何で私は、ケニアに行くんだろう。

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