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あるある!話

白い杖
後ろから追い立てるようにカチカチという音が迫ってくる。あわてて道をよけるが、どうもおかしい。足取り、目つき、盲人には見えない。ところが、そんな人をよく見かけるのだ。男性で、中年。松屋にも入って来たので見ていると、まったく我々と変わらない動きだ。あの白い杖があると、そこのけそこのけの力がある。それを悪利用しているとしたら?

また一人

松屋がシステムエラーだかでお休み、
仕方なくすき家に入った。食べながら本を読んでいると、頭の先のほうから忙しないカチャカチャの音がする。まさか?!と思い見ると、やはり卵を必死に引っかき回している。土方風のお兄いさんだ。そしてやはり、納豆は10秒とかからないですませている。こういう作法の人が意外といるのかもしれない。


威張りたがり

力の実ない人間に限って、大きな顔をしたがるのはどうしてなのだろう? そういう人間に限って、上司など力のある者にへいこらするのはどうしてなのだろう? 小さな組織でも、必ずそういう人間が一人はいるのはどうしてだろう?

チキン

ある地方の大きな、お姉さんたちのいるスナックで、先輩からカラオケをやるように言われた。人前は苦手だ、と言うと「チキン」と言われた。たかがカラオケでチキン呼ばわりされたくない。つぎ新宿のクラブ風スナックで歌いまくってやった。

信仰

正月飾りのお焚き上げを頼みに、朝早く、やや離れた神社に行った。近くの神社はどこも期間が終わっていたからだ。その途中、小さな祠に熱心に祈りを捧げる中年男性ふたりを見かけた。ひとりは私服、ひとりは背広。何かいいものを見た気がした。五島列島の教会を見て回ったことがあるが、朝早くから信者さんが坂道を上ってくる。女性は顔に黒い紗をかけている。信仰の場に観光客としていることに何かはずかしいものを感じた。だから、彼らにも、堂内にも、カメラを向けることはなかった。

手風
電車で手で顔に風を送っている人を見かける。却って身体に熱をもって暑くなるんじゃないか。

大宮エリー
厳寒の函館で寿司屋から出たところで、道路との段差に懸けてあった鉄板が凍っていて、見事にこけた。2、3日後から痛みが始まって、東京に戻ってから激痛が始まった。それから3カ月近く寝たきりの生活になった。トイレ、食事、すべて涙なしに語れない経験の始まりである。
たまたま大宮エリーのエッセイをアマゾンで買って読み出したが、これがいけなかった。面白すぎて、腹が、いや腰がよじれるのである。笑うと激痛が走る。警戒するが、敵はおもわぬところに伏兵を仕掛けている。また腰がよじれる。激痛が走る。笑いと苦痛を同時に味わう経験はこれが初めてである。罪な作家である。

辻原登似
居酒屋で隣に座った長髪の男性と話し始めた。作家の辻原登と感じが似ている。大学の先生か塾の講師かという印象である。ぼくが何か言うたびに、面白いな、発見だな、貴重だと返してくれる。聞き上手と言っていい。しだいに酒が回ると、「その人には、ぼくがこう言っていたと伝えてください」と繰り返すようになった。ぼくが友人Aの最近の動向について話すと、いやそれは危険な兆候だ、人生はそう甘くない、だからぼくがそう言っていたと伝えてください、と言うのである。ええ伝えます、と酒の勢いで答えたものの、理不尽な話だなともう一方で思っているのである。

飯場暮らし
ある仕事をひと月ほどやっている。終業のアナウンスがあると、ほうほうの体でそこから逃げ出す。かつて蒲田で一日中、穴開けする大きな機械に鉄板を差し出すだけの仕事をしたことがあるが、今回のに比べれば雲泥の差がある。ITのデータが刻印された品物や箱に支配されつづけるのである。きっとこの泥のような疲れは、そこから来ているのだ。だから、帰りには必ず一杯やらずに帰れない。死人のまま帰宅できないのである。その日に稼いだ金の半分近くはそれで無くなってしまう。飯場暮らしの人の気持ちがなんだか少しだけわかる気がする。

CRコード
先日、電車で目の前に座る太った女の着ている服が、まるでCRコードのような柄なのである。あれは実際にスマホを翳せば、反応するんじゃないか。

ロクでもない話
相談事があるというので、片道1時間かけて会いに行った。しかし、話の要領が、よく分からない。相手は意図的にはぐらかしているのではない。そういう中心から外れた話し方しかできない人間がいる。だからこっちは、断片を集めて、そこから全体を想像するしかない。そのたびに出てくる疑問点を何度か問い合わせているうちに、ようやくパズルが収まるところに収まってくる。残念なのは、結局ロクでもない話だったと気づくことである。

ナイスバディ
ある男の話である。女房とうまくいっていない。会うたびに「もう別れる」と言う。そのうち、ナイスバディの女漁りをするようになった。そっちで解消しているのか、別れ話はとんとしなくなった。良かったんだか、そうじゃないんだか、よく分からない。

あるお店
たまに行くまちの商店街でのこと。トイレを探して歩いていたら、通りの反対側に魚屋が見えた。いまどき珍しいなと思ったら、隣がチェーンの回転寿司だった。まさかその魚屋から仕入れているわけはないよな、チェーンだし、と視線を戻すとその魚屋の奥に背が高くがっしりとした黒人女性が、黒くて長い厚地の前掛けをして、接客をしているのが見えた。魚屋に黒人女性? はじめて見る組み合わせである。まちを歩いていると、いろんな?光景に出合う。

生茶
山手線でペットボトルの生茶を飲んでいるアフリカ人がいた。

覚えにくい 
英語の単語でも人の名前でも、なかなか覚えにくいものがある。英語だと、ほかに綴りが似ているのがあると、そっちと引っかかって覚えられないということがある。explicit,exploit,explentiveやperquisite,pervarsive,permissive,
perseveranceなどである。人の名前の場合、音のつながりが耳慣れないものは、覚えにくい傾向にある。こないだZoomで打ち合わせをしていて、相手の名前に確信がもてなくて、最後まで名前を呼ばずにすませた。次回は倍返しみたいに、何度も名前を呼んだのは、我ながら恥ずかしい。 

日にち間違い
2時間かけて目的地に着き、だれもいないのでおかしいなと思い、幹事に電話すると、予定は明日だと言われてしまった。またやってしまった。ふと見るとバザールをやっている。つらつら見ていたら、土人形のいいのがあった。ひどく塗りが剥げているが、むかしの兵隊さんの風情が十二分に残っている。もう一つ、別の店で菅笠を胸に抱いたオカッパの着物姿の少女の土人形も見つけた。なんだか得した気分で帰ってきた。二人とも机の上で静かに佇んでいる。

携帯と意識
電車で、睡眠に落ちそうになって、指が開き、携帯があわや、となって意識がやや戻り、握り直す。そのうちまた眠りが勝って、指が緩み、ずり落ちそうになって、また握りしめるが、さっきより少しゆるい。次の眠りもやや早くやってくる、指が開く-----これを見ているだけで、ほんとに飽きない。弛緩と緊張が交互にくり返されるからだ、きっと。

ある会
小学校5年だったか、同級生の集まる会に出向いた。中心人物はクラス一のかわいい子で、彼女の周りに金持ちの子がつどっていた。ぼくは彼女に気があった。彼女の家の一室に入ると、みんな怪訝な顔をした。なんでこの子が? という顔だ。ぼくは貧乏な地域に暮らし、貧乏な子といつも遊んでいた。それなのに顔を出したからだ。ぼくは身体が焼けるように恥ずかしかった。いつも人を裏切ると、そのことが思い出される。

友人
大学の同窓会を年に一度はやっている。ある友人が出てこないので、前は行き来があったぼくに幹事が事情を聞いてくれ、と言ってきた。メールをすると、誰にも会いたくないとの返事。ぼくは彼が不遇な人生を送っているのを想像できた。ある人の誘いで会社を立ち上げるつもりで勤めを辞め、ビジネスを始めたがうまく行かず、パチンコ屋さんで仕事をしていると聞いていたからだ。幹事は同窓会のあとに会いに行って話をすると言った。「どうだった?」と聞いたら、元気に暮らしていて、息子たちにも恵まれている、との返事だった。ぼくは彼の不幸をかえって自分の幸せのタネにしていたと気づいて嫌になった。

名前が出ない

たしか詩人の草野心平と西脇順三郎だったと思うが、久しぶりに会って話をしたが、ずっとお互いに違う名前を言い合っていたという。
ぼくはこないだ目の前にいる人の名前が出て来ず、終始名前なしですませてしまった。なんということだろう。

その男


朝の7時半ぐらいにいつもその男がいる。歳のころは60ぐらいか。ほっそりとして背が高い。上から下まで黒ずくめのトレーナーである。短髪で白黒混じりである。
初めてのとき、ぼくの後ろからチャカチャカという音がやけに長く続くので、気になって振り向いた。男は生卵を箸でかき回している。その間、顔をやや上向き加減にしていて、忘我の境地に見える。腕が機械のように素早く動き、身体は硬直している。
翌朝、自販機の前にその男がいた。僕はすぐ後ろで、画面に260円の文字が見えた。ご飯に納豆、卵のセットらしい。
男はすぐには席に座らず、立ったまま何やらしごき始めた。それが長い。やっとテーブルの上に置き、外した黒いマスクを丁寧にその上に置いた。紙をシゴイていたらしい。どうやら持参したものらしい。それからトイレに入り、戻ってきてまた座らず、自分の番号が呼ばれるのを立って待っている。どうしたわけかまたトイレに行き、大慌てで戻ってきた。その素早いこと! ちょうど彼の番号が呼ばれたばかりだった。
やっと席に座り、30秒近く音がしない。とうとう卵を割る音がして、昨日のようにかき回し始めた。ほくはタイマーを急いで入れた。1分16秒。醤油を多めに差して、またかき回し始めて20秒。
その卵をやっと中央に作った窪みに流し込む。ずっと器を傾けたまま持っている。
次は納豆だが、なかなかチャカチャカのかき回しが始まらない。見ると、剥がしたはっぽースチロールを本体の四辺に縦に交わらせ、納豆糸をきれいに拭き取っているふぜいなのだか、ぼくの目には納豆の糸はまったく見えないので、未開民族の不思議な風習にしか見えない。
それからざっと納豆をかきまわしたが、こっちは10秒とかからない。
男は卵の白いかたまり(カラザという❳を取り除いていた。昔の人でそういうことをする人がいたが、とんと見かけなくなった。考えるに、納豆のかき回しが少ないことから見て、卵に何か異常な警戒感があるようなのだ。しかし、かき回しの回数を増やしたからといって卵の性質が変わるわけではない。しかし、彼には断固としてその儀式が必要なことだけは、明らかな気がする。

教条主義
自分の意見を言っているつもりで、他人の、あるいはマスコミのいう意見をなぞっている人がいる。自分の頭で考えていないのである。そういう人がいると、どうしても茶化したくなる。










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