はやしたかし

映画、本、酒――典型的なオールドタイプである。映画は年に100本以上、本は100冊以上…

はやしたかし

映画、本、酒――典型的なオールドタイプである。映画は年に100本以上、本は100冊以上、酒だけは200本(300本?)。散歩も得意である。寂れたまち、死にそうな商店街、古びたモルタル造り、言いようもなく惹かれる。おもに浅草と月島、北千住である。

最近の記事

あるある!話

威張りたがり 力の実ない人間に限って、大きな顔をしたがるのはどうしてなのだろう? そういう人間に限って、上司など力のある者にへいこらするのはどうしてなのだろう? 小さな組織でも、必ずそういう人間が一人はいるのはどうしてだろう? チキン ある地方の大きな、お姉さんたちのいるスナックで、先輩からカラオケをやるように言われた。人前は苦手だ、と言うと「チキン」と言われた。たかがカラオケでチキン呼ばわりされたくない。つぎ新宿のクラブ風スナックで歌いまくってやった。 信仰 正月

    • 光と闇――完全な映画「ゴッドファーザー」

      「この映画は失敗だ」――映画人の誤算 フレンチ・コネクションという71年の映画がある。主人公ポパイを演じたのが、もう頭が禿げあがってきていたジン・ハックマンである。なんでこんなおっさんが、と思ったものである。1971年の作品で、敵を追ってひたすら走り回る映画である。地下鉄車両での出入りの神経戦は、いろいろな映画でパクられ、クリシェ(お決まり)となっている。刑事もののスタイルを変えた映画である。主人公は美男子でなくていい、汗かいてなんぼ、という路線である。もう一つ加えれば、悪

      • だれも語ろうとしない傑作「麻雀放浪記」のこと

        この作品は1984年のモノクロである。監督和田誠。フルカラーに慣れた目からすればモノクロはとっつきにくいかもしれないが、見はじめれば白も黒も色もない。この映画の10年前、「ペーパームーン」が白黒で撮られている。ボグダノビッチ監督で、封切り当初から名作の誉れ高い作品である。新作でありながらクラシックという仕上がりだった。「ドライビィング・ミス・ディージィー」や「キャバレー」「パルプフィクション」もその種の完璧な映画である。 さらに9年前の65年、「シンシナティキッド」もモノクロ

        • 即物詩集

          スポンジたわし おれはやつらのよごれを落とすが、おれじしんはきれいになったのか、さらによごれたのか? 青菜 しおをふられると、体液をだしてしゅんとする。そのせつない気持ちがわかるだろうか? ごぼう わたしをうまいと言うひとを、わたしは信じるよ。こころから。 うみ 世界を潤し、洗い、襲っている。もうずうっとだ。飽きないか? そんなわけない。いまもそこで犬があわてて砂浜に逃げる姿が見えるのに。 ねこ ほそい足にほそい尻尾が自慢。屋根から落ちてもスペシャルA難度でクルッ、ピ

          「マイ・フェア・レディ」のイライザは、はたして幸せか?

          この映画も、すでに10回は見ているだろうか。ぼくは一人の女性のサクセスストーリーとしてこの映画を見ていた。ロンドンの下町生まれで、コックニー訛りの、髪の毛はぼさぼさで、顔は煤だらけの小汚い娘がプリンセスのように変身を遂げていく。父親は娘に金をたかる、赤鼻のアル中かと思われる汚い伊達男である。イライザはそんな父親など当てにしないで、花売りの娘として逞しく生きている。彼女は花卉(かき)市場(あるいは大きめの花屋?)に落ちている花を拾い、それを道行く人に売って生計を立てている。妙に

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          映画「卒業」が隠そうとすること

          この映画は1967年に撮られている。やはり傑作だろう。68年のアカデミー賞の候補はものすごいラインナップで、本作と「俺たちに明日はない」「夜の大捜査線」などが作品賞、監督賞候補に挙げられ、女優賞には「暗くなるまで待って」のヘップバーンがノミネートされている。まさに歴史を画する年で、結局、作品賞は「夜の大走査線」(監督ノーマン・ジュイソン)、監督賞は本作の監督マイク・ニコルズが獲っている。「俺たちに~」のフェイ・ダナウェイが女優賞を獲っていないのが不思議である。「招かざる客」(

          映画「卒業」が隠そうとすること

          「殺人の追憶」のこと

          ポン・ジュノ監督のことを知ったのは、この映画からである。そのあと「グエムル」「母なる証明」「パラサイト」と見てきているが(2本の合作映画は食指が動かず見ていない)、「殺人の追憶」ほど飽きずに見ている映画はない。正直、日本映画を超えたと思った映画である。 最近、是枝裕和が韓国映画のベストワンとして、「殺人の追憶」を挙げていた。「七人の侍」を想起したというが、なんだそれ? である。あのヒーローたちの活劇とどこに共通点があるというのだろうか。 そしてもう一つ最近、ポン・ジュノの「吠

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          いつも奇跡は起きていた3

          救いの手数年前のことだが、年も押し詰まって、あることで思い屈することがあった。毎晩、そのことが頭を離れず、ろくに眠ることができなかった。 それが、不思議なことにしばらく連絡もくれなかった人からメールが届き、彼がぼくの苦境に手助けしてくれることになった。またその後、それほど間を空けず、知人から知らせがあり、そのときに窮状をふと洩らしたところ、サポートするよ、と言われた。 またひと月も経ったろうか、ある人が大きな助けとなってくれた。ぼくはその連続に奇跡を見る思いだった。だが、好事

          いつも奇跡は起きていた3

          いつも奇跡が起きていた(番外篇)

          島で迷う 荒れる海  だいぶまえに1週間ほど、五島の上下の島へ行ってきた。上下というのは上(かみ、と読む)五島、下(しも)五島のことである。お盆を挟む前後がいかにも島の、あるいはその地方の風習がよく見えるような気がして、その季節を狙って行っていた。  福岡から電車で佐世保に出て、そこから船で3時間半で上五島に着く。下へ行く場合は長崎からのほうが便が多い。これで2度目だが、最初は平戸へ行ったのが島を巡るきっかけだった。翌年が五島、その翌年が壱岐・対馬、そして佐渡、またしても五島

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          いつも奇跡が起きていた2

          うり二つこないだ三遊亭円丈の高座を見に行った。弟子が2席、そして円丈が2席である。ネタ帳から目を離さない、同じことをくり返す。弟子は盛んに師匠に拍手をしてくれ、そうしたら喜ぶと客に頼む始末である。 円丈の名を高からしめた「悲しみは埼玉に向けて」を初めて生で聞いた。さすが名作である。筋を間違おうが、同じシークエンスをくり返そうが、北千住を出て東武伊勢崎線に乗って差別の構造がいや増していく話の組み立てには、まったく揺るぎがなく、時代を先読みしたすごさを感じる。 作家いとうせいこう

          いつも奇跡が起きていた2

          いつも奇跡が起きていた

          コインシダンスふと右のラックを見ると、サインペンなどを入れているボックスに原付自転車の鍵が入っていた。いつも別の決まった場所に置くのに、ふとした拍子にそこに入れてしまったのかもしれない。もし、さあ原付で出かけようとなったときに、いつもの場所に鍵がないことに驚き、記憶を頼りに探しまくって、まんまとその容れ物にたどりつけただろうか。 ある催促の電話がかかってきた。書類が届いていないがどうなっているのか? と言う。同封のレターパックで送ることになっていたので、もし投函したのなら、控

          いつも奇跡が起きていた