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家族の責任をどこまで持つ?

いよいよ、後一週間で冬至を迎えますね。

このエネルギー転換に向けてのデトックスなのか

ここのところは家族に対する感情の揺さぶりが

激しいです。

夫に対しては積もり積もった蓄積が相当あるんですが、(笑)

今回は毎日のように自分の母のトイレ問題で延々と同じことを

繰り返し繰り返し聞かされること。

年をとっておむつをちゃんと変えられなかったり、 

しっかりおしりもふけなくて、そのまま便器や周りを汚したり、

仕方のないことを毎日毎日愚痴るってどういうこと?

って思ってイライラしてました。

自分の娘のおむつもそんなに変えたり、

面倒みることをしてこなかったので、

人の面倒を見ることが出来ないとはわかっていても

なぜ、仕方ないという事が理解できないんだろう。

自分もそのうちそうなっていくのに。


そして、実家も兄や母からの愚痴を聞かされ、

正直、じゃあどうしろっていうんだろうっていう

こちらも毎回進展のない話を延々と聞かされる日々。


これは何の修行なんでしょう。

何に気づけってことなんでしょう。


自分とその現象を同化しすぎて見えてない、

客観的に見る余裕がない、

物語に入り込んで物語と気づいてない、

そんなことなのか。


多分そういう一面もあると思います。

私自身も兄や母、夫を決め付けた役割で登場する

人物とみなして、それがお約束のように現れてる。

あと、家族なんだから私がどうかしないとって

思い込んで何とかしようともがいてる。

家族なんだからこうしないと親不孝とか、

愛が足りないって思われる恐怖とか、

周りの目を気にしてまた自分の気持ちや

自分の本音を隠してるってことに気づかせるため?


多分、自分の本当の気持ちをちゃんと感じて、

もういらない感情、価値観なら開放するように

促されてるのかもしれません。

周りの目や外に目が行き過ぎるのは

私の欠点というか、気づくべき重要な点。


本当の私は私のせいじゃないし、

協力できることはして協力するけど、

私が全部何とかしないといけない問題ではないし、

負担なら聞かなくていい。

親でも家族でもそこは切り離して考えていいし、

私自身も、自分の人生を家族や周りのせいにしないで

責任もって生きるように、自立して生きるように

神様が教えてくれてるんだと、

書きながら思いました。


私は私の人生にのみ責任がある。


自分にパワーを取り戻せってことなんでしょうね。





 


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