差別的思考の仕組み③

私は自分で選択する前から、肉や卵や乳製品を食べて育っています。自分で選んで食べ始めたわけではありません。

幼稚園では毎日毎日、瓶入りの牛乳が出ました。私は牛乳が嫌いで飲みたくなかったのですが、笑顔の先生から「一口でもいいから飲んでごらん」と言われ続けました。ああ本当に苦しかった。

牛乳を飲むのは卒園と共にやめましたが、肉と卵と乳製品を毎日食べる食生活は大人になるまで続きました。離乳食の時からずっと食べていますから、良いか悪いか考えたこともなく習慣化したわけです。

今までずっとやってきたんだから正しいに決まってると思うのは当たり前で、正しくない理由を考える方が難しいですね。それに加えて、栄養不良で育った当時の大人たちは、子供に肉や卵や乳製品を食べさせるのは良いことだと思っていました。そういう考えは、基本的に今と同じです。

今までやってきたんだから、良いことに決まってる。余計な文句を言うな。他人の楽しみを奪うな。これはかつての喫煙者の考えと同じです。

しかし植物性の煙草と違い、肉や卵や乳製品を食べるには、家畜を監禁して虐待する必要があるわけで、この点は大きな違いです。本人が生活習慣病になるだけでなく、その前段階で殺して食べた動物が数万体は存在するわけです。

子供の時には、四つ足の動物は下等だから人間とは違うと教えられました。まだ自分でそういうことを考える前の時期でしたから、そういうものなのだろうと思って育ちました。

動物は不潔な環境でも生きられる。人間のように物を考えない。感情はない。これらは家畜のいる家で育った大人から教えられたことです。なので、自分の家で犬を飼うようになるまで疑ったことがありませんでした。

まさに習慣と思い込みの恐ろしさです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?