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稼ぐだけじゃない人生豊かにするサロン

福岡県久留米市。
私がいま入会しているコミュニティサロン。その場所がある。とってもユニークな集まりだ。


私が生まれたのは、福岡県筑後市。


転勤族の家庭で育ったので、福岡県から引っ越しはしたものの何だか心地よい。久留米、八女、筑後、この地区の響きを子供の頃によく聞いていた。方言も好き。

福岡の人に会うと、「私、筑後で生まれたんです」そう勝手に出身地を教えることを今でも実践している。

今回は、私にとってとても大きな挑戦でもあったサロンの子連れ合宿で得たものを徒然なるままに記していこうと思う。

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私は、母になって10年が過ぎた。二学年差の三人を生み(私の望みに従って)、子育て一色の日々を過ごしていた。

この10年間は、家族を置いて県外に出ることはなかったし、車で片道3時間以上かかる場所に子どもたちを連れて私だけで行くこともなかった。

行ってもせいぜい日帰りお出かけで片道2時間まで。それが今の私と子3人のキャパだった。(キャパだということにしていた、かな)

子どもと宿泊施設に泊まることも、家族単位。夫抜きでしたことがない。3人を同時に連れて行くことは、私には無理だと判断して、より安全で怪我や事故のない方法をとってきた。


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子どもが幼少の頃、癇癪が激しい瞬間はジュニアシートを自力で外し、走行中の車のドアや窓を勝手にロック解除して脱出を試みようとするくらい。

公園に行って上の子が帰るモードのスイッチ入ると、下のベイビーがどんな状況であろうともベビーカー含むたくさんの大荷物はそのままで、さっさと車に戻り「帰る帰る!」と、泣き叫んで駐車場で収拾がつかないことも多々あった。


出先で子一人をトイレに連れて行くことすらも大変だった。他の子は遊びたいから、誰かから目を離さないといけなくなる状況(その一瞬でも目を離したら大事故に)orうまいこと言って皆をトイレに誘導する技も習得したりした(遠い目)


いつ「そのスイッチ」がオンになるのかを見計らいつつ暮らしていたんだ。ある意味、毎日スリル満点な。

夫が不在がちな家庭の中で。それが私の育児のリアルだった。私のような家庭は当たり前に他にも沢山あると思う。

そんなもんだよね?
だから、私も頑張らなくちゃね。
もっと大変な人がいるんだから、私は衣食住はとりあえずあって恵まれてる方だろうし?(それは誰かに具体的に言われたことなのか?謎である)

固定概念って本当に怖い。

そりゃあ、泊まりでも遠出でも、私が「行く」と決めれば行けるのでしょう。だけどね、私がありとあらゆるスケジュール調整をして、子を泣かせて我慢させて(危険と隣り合わせで)カオス状態になってまで行きたくなかったが正しいかな。そんなの、私が楽しめないのが目に見えていた。

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更に私は、方向音痴で近所のお店への道すらも最短で行けなかったり、少し大きなモールの立体駐車場だと、どの階にどのエリアに車を停めたのか分からなくなって各階を探し回るくらいのポンコツぶりである。

日常がそんな様子の私なので、この合宿への参加を夫の話したとき、

「車はやめな。あなたには無理だよ。新幹線で行きなさい。」そう言われた。


車で行く選択肢を外された私は、少々パニックになった。夫が私のためを思って言ってくれていることも重々わかる。もちろん、子どもの命も。


私の移動手段は基本的に車。癇癪や抱っこなどの愚図り対応、荷物を積めること。3人の誰かがどうかなった時でも自由に過ごせていた車。


出先では駐車場が直ぐ側の所を選択し、何かあったらとりあえず車内まで這いつくばって乗ればどうにかなっていた。


誰かがトイレといい、誰かがお腹すいたと言い、誰かが眠いと泣き。そんな毎日。


すぐに皮をむいて食べられる果物や(バナナ、ミカン)、おにぎりやパンを必ずバックに持参していた幼児期。


水筒やマグも3つ。いや、私のも含めて4つ。予備も持っていたかもしれない。誰かが乳児の頃は、頼みは私の母乳でもあった。だから、母の私が水分をたくさんとって、ご飯もよく食べていた(甘いものは食べすぎていたかも)母乳が出てくれて、私は本当に助かった。


着替えも何着も車に積んでいた。いつ誰が服が汚れてもいいように。ビニール袋も。雨具も。すぐに使える小銭も。オムツも。靴の替えも。ベビーカーも。薄手の毛布も帽子も。食べ物も何でも車に乗せていたんだ。


車の中で寝泊まりできるくらいに。  

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そんな育児の相棒の車が使えない。
すごくモヤモヤしてずっと考えていた。



車が使えない。
新幹線での時間の決まった移動手段。
、、、、乗り遅れないだろうか。


出発の日は学校での予定やPTAの役割の仕事もあった。間に合うだろうか、、、。


車が育児の相棒なのは、今もそう。
だけど、いま私の子どもは母乳も飲んでいないし、オムツもしていない。


洋服も着替えなくていいし、食事中にエプロンも要らない。


交通手段は、車だけではない。
過去の育児のルール。




「それって今でも?」



外で時々に愚図るのは
今は三女だけだ。


上二人は外ではほとんど愚図らない。
(家ではすごいけど)
彼女たちは確実に5年前とは違う。
成長している。私も。

荷物も持てるし、ちゃんと自分の足で歩ける。ハグは沢山するけれど、抱っこをせがんで歩くことはしなくてもいい。


今は全員が小学生になって危険と危険でないことの区別はつくようになってきたし、突拍子もないことで無闇矢鱈には外で癇癪を起こすこともなくなった。



色んな思いが交差する中、
どの選択が良いのか悩み考えて


「三女は置いていく」そう決めた。



頑張って無理をして連れて行けば、それはできたけど。でも、今回の合宿の目的は3人を連れて行くことではない。上二人と私。3人で行くと決めた。他の目的があったから。


夫同伴で送迎してもらうことも考えたけど、土日仕事で無理だった。三女は、日中は学童と祖父母、夜は夫にお願いした。祖父母宅に姉たち抜きで泊まることもまたいい経験でもあると思った。


今まで一人一人とそれぞれ1Dayデートくらいはしていたけれど、お泊りとなるとできなかった私。



子どもの誰かを預けて誰かと行く。そんな選択が私にはできなかった。母と子の関わりは平等にしないといけない?誰かを特別連れて行ったり、誰かを留守番させたりするのはよくないこと?どこかでやっぱり思い込んでいた。



夫が不規則な仕事で、突如呼ばれることもあったし、長期的な出張もあったので「絶対、この日は何かあってもお願いね」のリクエストができなかった。


いつ仕事で呼び出されるかも分からない人に、子を泊まりで預けることをしたいとも、今までは思っていなかった。私の予定に祖父母まで頼りたくなかった。


結局、今までの私は3人の子とずっと一緒に居たかったんだ。そうだ。


言い訳はいらない。
私は3人の子と、一緒に居たかった。
そして、それは叶っていた。


育児は自由が制限されて疲れる。自由になりたい。そう思っていたけど、私は自らそれを選択していたのも事実なんだ。


だけど今回は、三女はお留守番。
私は自分のために行動する。


子育ても、仕事も、パートナーシップも全部丸っと、前に進みたかったから。

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合宿で会うのは、全員がリアルでは初めまして。オンラインで何度も話している方もいたけれど、顔だけ知っている人、そもそも顔も名前も知らない人も沢山いた。


だけど、何故か気負わなかった。初対面で話はできても、肝心なことは人に話さない私でも。  


合宿への想いは感じるがままだった。そのまんまの私だった。


私はかっこ悪くてもいい。
子育てに見栄とか必要ない。
できてなくても、全然いい。



綺麗ごとばかりのどこかの誰かの教えや、耳障りのいい整って見えるSNS育児の発信にも疲れていた。(整って見えているだけだと思うけど


かっこ悪くても私は私だし、憧れられるように魅せなくても私はそのまんまでいいと思ってくれる人と過ごしたい。私は私がいいと思う表現をしたいし、そんな私で安心したい。



子ども3人に手一杯で、泣いたり怒ったりもするし、できないことも多いけど愛はある。今まで沢山経験してきたこともあるし、今でもできてることは沢山ある。


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リアルに感じたもの。その収穫は大きかった。


私は私の山を登りながら、家族と共に歩みたい。そして、他のサロンメンバーとも成長し合って進みたい。目指すのは、誰も一人にしない孤育てにしないこと。


過去の私のように孤育てではち切れそうな気持ちをそのままにしないこと。誰かに助けを求められること。


そう思った合宿だった。
行って良かった。それに尽きる。


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これまでだったらSNSでもリアルでも楽しそうな人達の一部分を見て、私には無理だ。できない。仲間内で盛り上がってて、そりゃ私とは違う世界だからね。って思ってた。


私はグループが苦手で集団に合わせることがしんどい。私の気持ちなんて理解されない。とか勝手にいじけてたりしてたけどね。つい、最近まではね。


そう思っていたんだけれど。



そんなことなかった。
そのまんまでよかった。
私も子どもたちもね。

そのまんまの私でも何かの役に立てるはずだって、そう思えた。


今まで人から言われてても認めなかったけど。そのままでやればいいって、言われても言われて自分が認めなかっただけなんだ。


私も誰かの豊かさの一助になれる。


そんな助け合い支えあえる環境を、私の小さな目の前から創っていきたい。


まずは、我が家から。そして手の届く人から。この人見知りで不器用な、主流秩序に悩み続けた私でもね。



初めての私と子だけの新幹線

この2日間でお世話になった方々。

【主催】おにぎりえこさん
おにぎりサロン
yocatoco3期
【夕飯ケータリング】やまきまきさん
【ホロソフィー&おんなのこぼん】柴田星子さん
【キャンドルヨガ】かおりさん
【呼吸ワーク】なおさん
【メイク】ゆいさん
【写真】あいこさん
【お昼ケータリング】PEACE倉庫
【宮崎/アスリート助産師】よねぴー
【兵庫/腸活講師】もぐさん
【長崎/ひとはだ助産師】みおさん
【福岡/ままてセラピスト】あいりさん
【鹿児島/押し花ナース】わたし

みなさん、素敵な空間をありがとう!


気が向きましたら、遊びに来てね!
結局、宣伝かい♡

Instagramアカウント

買わせるとか煽るとかじゃなくて
いいものはいいって私は本音で叫びたい!誰がどう見ても行きたい合宿でした。

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まとまった言葉でなくていい。
とりとめないまま、ホッとする。

私がいつも書いている文言。
この記事もそのものだな。
とりとめないまま、ホッとするを体現してますね。

最後まで読んでくれて、ありがとう。

花より。


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