見出し画像

留学直後、「?」を感じた日本語の表現について

少し苦手で、自分からはあまり使わない日本語の表現がある。
「〜じゃないけど」だ。
InstagramでフォローしているKevin's English Roomでこちらについての投稿があって、noteに書こうと思った。

使われ方は、話の中でAを具体例として出したいときに、「Aじゃないけど、〜」のような形で使われる。
具体例がAなのだから、「Aみたいに、〜」で良いはずだ。
なんで、仮に「Aじゃない」なら、Aの話を出すんだろう?

これを最初に思ったのは、大学の授業に、約1年のアメリカでの留学を終えて初めて参加したときのことだった。
ある学生が発表をするときにこの表現を用いていた。

留学当時のことを思うと、「この表現を英語で伝えたい」と、ひたすら頭の中で言葉並びを考えて、話していた気がする。言語だからそんなに気にしなくてもいいよと言われそうだけど、それでも間違った表現はしたくない。なんでかな、義務教育でgrammer mistakesは失点につながるという考え方が染みついてしまっているのかも。とにかく「外国人」としてアメリカで過ごす自分はなめられてはいけないと思って、知らないうちに気を張ってたな。

そのせいもあって、帰国直後は日本語に対して何個か「よくわからない」と思うことがあった。それまでconfidentに使えていた敬語があまり出てこなくなったり(そもそもその必要性がよくわからなかった)、「〜を」「〜が」などの助詞を正しく使えないことがあったり。もっとも助詞は、今でも会議中とか、考えながら話す時はとんちんかんになってしまうことがある。

こちらの方の記事を読んで、とても共感した。
やっぱりこの根底にあるのは、confidentであることを「よくない」とする考え方なんだろうか。
私には、その考え方がよくわからない。なんでconfidentでいたらいけんの。

具体例を出すくらい、誰も損にはならないし。むしろ具体例を出してあげて、聞き手の理解度が上がるならとても親切じゃないか。だから、むしろ感謝されるべきなのだ。

わたしはこれからも「〜じゃないけど」は使わないようにしたいと思う。
「じゃないけど。」じゃないなら、じゃあ何なの?
じゃあ何なのか、教えて欲しい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?