TRPGシナリオ製作術 【謎解き苦手系PLは1万人居る説】

前置きなしです。本記事も誰かのTRPGシナリオ制作の一助となればと思い書きます。


?謎は2種類だが、謎解きは1種類

物語の謎はストーリーの問題を解決するための『謎』とテーマ選択の判断材料に関わる『謎』の2種類があります。

例えば、天空の城ラピュタはそもそもラピュタがあるかどうかが謎でした。パズーは存在が謎の天空の城を見付けるという目標を持っていますが、そんな時に空から女の子が降ってきて、しかも悪い大人に捕まりそうだから助けて欲しいと言われ、間もなく謎の男達もやってきて、パズーはシータの逃走を助けることにします。
ラピュタを見つけるという将来の目標はありましたが、シータを助けるという目的が新しく生まれて、そのために現れる問題を解決するためにパズーが頑張って行動していくのがストーリーの原動力となっていきます。
しかし、ラピュタを見つける過程のストーリーはテーマと直結していませんし、どちらかといえばラピュタが存在するかどうかの謎よりも、シータが身元不明の大人たちに狙われる理由の方がはるかに読者を物語に引き込む謎として存在し続けます。
身元不明だった大人たちの正体が軍に所属する兵士たちや空賊だったことは逃走の果てに判明しますが、今度はラピュタの存在の謎から、軍を行使できる立場のムスカ大佐がどうしてラピュタを探しているのかという謎にシフトしていく展開になってます。

その後は兵士たちからシータを救うため空賊の手助けも借りて、飛行石に導かれる兵士たちとの戦いと逃走の果て、パズーはラピュタを見つけるという目標を達成することが出来ます。
この話の展開は、脚本のコントロールによって『ラピュタが存在するかどうかの謎ではなく、ラピュタの存在理由という謎にさり気なくシフトさせている』と言えるでしょう。
ラピュタが存在するかどうかの謎を引っ張るのであれば、ある意味トレジャーハント的なお約束のシーンを描写する必要があるため、パズーが考古学的な勉強をするシーンだとか歴史を学ぶシーンだとかが必要なんですが、そういったシーンは天空の城ラピュタにはほぼ存在しません。なぜなら、ムスカ大佐が画面外ですでに自身の歴史や考古学的な研究をしていて、天空の城ラピュタが存在していることを確信しているからです。パズー視点では不必要なシーンですが、天空の城ラピュタを見つけることが出来る人間が物語に必要なので、ムスカ大佐はラピュタに詳しいのです。

ラピュタの存在理由の謎について迫っていくようにさり気なくシフトするこのストーリー展開は、後に提示されるテーマに関係しています。シータとパズーとムスカ大佐の関わりのシーンにこそ、テーマが存在します。
というのも、ラピュタのテーマは『暴力のアンチテーゼ』と『エリートによる選民思想』がミックスされたテーマであって、ラピュタの持つ異常な攻撃性に魅入られ、人類を掌握しようと企むエリートのムスカ大佐vs危険なラピュタを終わらせたい真の王族でありラピュタ継承者のシータ&困っている女の子を助けたい、ただの少年(大佐からすると自分に必要の無い少年)のパズーという対立でもってクライマックスが描かれています。

物語の後半はテーマの解決、つまり過剰な暴力を手に入れたい大佐と、嫌がっているシータを助けたいパズーの戦いという原動力で物語は前に進んでいきます。存在が謎だったラピュタが見付かったのは良いとして、ラピュタって結局何なのかという存在理由の謎については、ムスカ大佐が実演までしてくれます。それは、地面に大穴を開けるエネルギー砲と、大量の戦闘用ロボット、つまりラピュタは戦闘用の巨大な空中兵器であるということです。地上に居る人々や一緒にやってきた兵士たちもムスカ大佐は殺してしまいます。
ムスカ大佐にとっては利用する価値があった過去の人類であり、もういらなくなったので"まさしくゴミのように"高高度から地面に向けて捨ててしまいます。

この実演はまさしく、ラピュタの存在理由の謎であると同時にテーマに対するムスカ大佐の答えです。過剰ともいえる暴力に高笑いして喜び、必要無い人間は切り捨てるわけです。兵士たちの何人かは恐怖によってムスカ大佐の仲間になってくれそうですが、全員キッパリと殺してしまいます。
大佐という立場の人間が天空の城なんていう眉唾なお城を本気で探していた理由は、強大な暴力でもって愚かな人類をエリートが掌握するという考えがあったからでした。
そんなムスカ大佐に抵抗してラピュタを終わらせようとするシータは、滅びの言葉という不穏な呪文も代々伝えられていました。そうして、滅びの呪文を教えられたパズーは、ほとんど考えること無く覚悟が決まった顔で唱えてしまいます。このあと地上真っ逆さまに落ちてしまってもおかしくない呪文なのに、二人は唱えてしまうのです。
主人公と悪役がテーマについて意見が衝突し、戦うことになるという展開はほぼ全ての物語の王道展開ですし、エリートで人類を支配する側だと自負しているムスカ大佐には『目的のために自分の命を投げ捨てる』という、ただの少年が選べる選択肢の中にあった『捨て身アタック』なんて選択肢があるとは夢にも思わないでしょう。ムスカ大佐だったら一生出てこない選択肢だろうというのもまた、対比が効いています。

・謎解きという遊びは『古代文明のときから楽しい』

ではラピュタの例を一旦置いといて、謎解きについて考えてみましょう。
謎と謎解きとは一体なんでしょうか。まずは最も単純な謎解きであるクイズやなぞなぞといった遊びから、謎解きの魅力についてヒントを得ていきます。

クイズという遊びもなぞなぞという遊びも、謎解きという工程があって正解を考えるゲームです。コレは人類の知識欲や好奇心をめちゃくちゃに刺激します。
クイズやなぞなぞはちゃんと正解にたどり着くとスッキリしますし、楽しいと感じます。もし分からない場合、答えが気になって仕方がなくなります。そして、答えを知ると、なるほどなぁと感心出来ます。つまり、答えを見つけるだけでなく、知るだけでも楽しいのです。知識欲と好奇心が満たされるからですね。
逆に、答えを教えてもらってもモヤモヤしてしまう時は、クイズやなぞなぞのクオリティが低くて想定されていない正解が複数ある問題だったり、あまりにも専門的な問題で難しすぎる場合、答えに納得できないからモヤモヤします。
度々他の記事でも書いてますが、納得は全てに優先します。

謎解きというエンタメは、お題の謎を考えるのが既に『楽しい』ですし、自分の答えが正解したりするとまた『楽しい』んです。つまり、クイズやなぞなぞは『楽しいから楽しいという感情に最短距離で反復横跳びし続けるエンタメ』なんです。一番効率的に子供も大人も楽しめる人類の遊びかもしれません。
これが太古の昔から謎解きがゲームとして遊ばれていた理由です。原始人の時代から「どうして◯◯なんだと思う?」と年長者が若者に質問し、若者の答えが集まったところで「正解は◯◯だからだよ」と技術の伝承をしてきました。そうして人類は謎解きというか、自分なりに考えて正解を導き出すのが娯楽でしたし、楽しい日常会話だったんです。
淡々と「これはこうでこれはこうだから……」と説明されるより、クイズ形式のほうが楽しいと太古の人類は気づいたので、大昔から存在する諺や格言にもクイズ形式のものや、一見するとなぞなぞのような伝聞が散見されます。知識欲と好奇心はこの時代から人間に備わっているからです。
聖書や伝説や古文に登場する年長者や神様は、相手に質問しがちですよね。

・脈々と受け継がれてきた知識欲と好奇心

現代で考えてみましょう。
最近のZ世代と呼ばれる人々は、考えるより先に正解を知りたいから検索したり、答えを直接聞いてくるから、考える力が無くなったと言われていますが、知識欲と好奇心があるから正解を知りたいのは変わりません。考える工程をすっとばして知りたいという欲求の方が勝っているという状態なんでしょう。
ですが、実は検索して手に入る知識と、検索する過程で得た経験が集まることによって、Z世代の人々も眼の前の問題を解消するために検索ワードを工夫したりなどして考えてたりします。考えることを放棄しただとかと煽られるZ世代ですが、世代が変わって情報という環境が変わったことで、考える対象と方法、アプローチが変化したに過ぎません。

余談ですが、彼らZ世代はなんなら日々の情報のアップデートも欠かさなくなり、既知の出来事は自身の知識であるといわんばかりに情報を収集し、検索しても答えが分からない未知の問題に向き合っています。特に、検索だけでは手に入らない"経験"を取得するために四苦八苦していることでしょう。
しかし、知識がかなりある少年少女もいます。現代において、情報の波を上手く乗りこなしているネットサーファーはZ世代にこそ多いかもしれません。

さすがにZ世代の人も、謎解き中にはインターネットで調べることはズルいと思って自粛するでしょうが、謎解きという遊びには答えを導き出す思考の力が必要な時と、そもそも正解を知っているかどうかの知識の力が必要な時とに分かれますので、日々考えるよりもまず検索して情報を収集しているZ世代の人々も、謎解きを十分に楽しめるわけです。

・日本最古の物語『竹取物語』も、謎解きストーリーテクニックを採用

つまり謎解きは、老弱男女のとんでもない層から支持されやすい『楽しい遊び』だということです。
「謎解き苦手なんですよね」というTRPGプレイヤーはたくさんいると思いますが、実はストーリーという物が付随するTRPGなら誰もが謎解きをさせられているし、謎が解明していく過程を楽しんでもらっているはずなんですが、その自覚が無いだけなのかもしれません。
そう、実はストーリーに謎解きは含まれるようになって久しいのです。神話ぐらい古いと『主は◯◯と言った』みたいに断定的な事実を述べるだけのようなストーリーであることが多いですが、童話や昔話ぐらいになると話の中にある『とある謎』を解明するストーリーが現れ始めます。
ぱっと思いつく昔話だと『かぐや姫』、つまり竹取物語でしょうか。『かぐや姫は、求婚してくる男達に無理難題をふっかけます。ですがその理由は、実は月のお姫様で人間と住む世界が違うから、人間と結婚すると面倒なことになる』という話の展開は、読者の前に謎が現れ、それが解明されていくストーリーです。
竹取物語は日本最古の物語だと言われていますが、日本最古の物語ですらストーリーに謎が現れてそれが解明されていくストーリーなのは凄くないですか。

・エンターテイメントたちですら魅了された謎そのものの魅力

謎解きという要素一本で勝負しているエンタメの"クイズ"や"なぞなぞ"という遊びが、一般に広く受け入れられている面白いエンタメであるということは証明されました。では次に他のエンタメ作品である脚本やゲームにも謎解き要素を追加してより面白いエンタメ作品を作ろうと考えるのは、人類として当然の考え方というものだったのです。
ついでに、一時期テレビ番組にクイズ番組が増えた理由でもあります。

あくまで筆者目線で恐縮ですが、小説だとシャーロックホームズや明智小五郎と怪人二十面相、ドラマだと相棒シリーズ、TRICKシリーズ、漫画だと名探偵コナンに金田一少年の事件簿、ゲームには逆転裁判シリーズ、レイトン教授シリーズ、ダンガンロンパシリーズ、神宮寺三郎シリーズなどなど、謎解きが含まれている小説や漫画、ドラマや映画やゲームは"推理モノ"というジャンルとして強烈に支持されています。
謎が解明されていくストーリーにプラスして、読者も謎解きにある程度参加出来るのが推理モノの面白さですよね。

・推理モノ、探偵モノというジャンルの、謎解きテクニックに対するスマートなアプローチ

ところで、今更ですが脚本には『テーマを選択する』というテクニックがあります。1つの命題や哲学に対して、キャラクターがその事について悩み抜き、なんらかの答えを選ばなければならないというシーンを用意します。感情移入している読者もまた、同時に考えることになります。そして、キャラクターが選んだ選択によって世界は変化し、変化した世界の結末がエンディングとなります。それに一喜一憂するキャラクターと一緒に、読者にも一喜一憂してもらうのが狙いです。
キャラクターの葛藤と選択、そして結末を読者に楽しんでもらう脚本のテクニックが『テーマを選択する』ということです。

ここでドラマの相棒シリーズを例に上げます。実は、ドラマの相棒シリーズはかなりシステマチックに謎解きとテーマを組み合わせています。

まず、犯人はどうしようもない窮地に立たされています。犯人はまさしく命題や哲学的な問題にぶち当たり、その問題に自分なりの解決策を見出し、自分でも望んでいなかった犯罪や、自分の信念を曲げきれずに犯罪を犯してしまったり、犯罪に加担してしまったりします。ここが相棒シリーズのミソとなる部分で、窮地に立たされた犯人が目の前の問題を通して『テーマの選択』をした結果、犯罪が発生するんです。主人公の右京さんがテーマを選択するストーリーではないんです。
相棒シリーズの探偵役である特殊刑事課の右京さんは、事件の謎を徐々に解明していきます。犯人がどのようにして犯行を行ったのかが明らかになっていきます。そして、犯行の動機も解明したとき、『実は犯人は勘違いや決めつけによって、本来なら犯罪を侵さなくても良かったのに犯罪に手を染めてしまった』事が判明します。
犯人は右京さんからそのことを聞いて、膝から崩れ落ちます。大体その後は「そうか、そういうことだったのか。俺はなんて間違いを犯してしまったんだ……」という流れになってエンディングです。たまに「確かに犯罪は犯したが、必要なことだったんだ」と、信念を貫き通した結果の犯罪だったことを後悔しない犯人もいたりします。

相棒シリーズにおける『テーマを選択する』テクニックが使われるのは、主人公の右京さんではなく、犯人なのです。
そして、犯人は難しい問題を解決するために選択を迫られて、手段よりも結果を尊重して犯罪に手を染めてしまいます。問題に対する判断材料が犯人目線で不足しているときもありますし、犯人とは別に義理や人情で犯行に加担してしまう人物がいたことで事件が複雑化したりする展開もあります。
法を犯したという点に関して右京さんは容赦なく犯人に指摘はするものの、犯人が選んでしまった選択に同情するシーンもあったりします。しかし、警察として犯人を逮捕しないといけないため、犯人を問い詰めるエンディングが待っています。

この相棒シリーズのストーリー展開は、水戸黄門のストーリー展開の応用編ともいえますが、相棒シリーズはこういう話になるように徹底して脚本を作っているように見受けられます。

犯行とテーマを結びつけておいて、犯罪を暴くというストーリー展開的な謎解きと、犯人によるテーマ選択の誤りを指摘するという手法でテーマ側の謎解きも同時に回収するという脚本はかなり理にかなった脚本です。
しかも、同時に2種類の謎を解決するカタルシスに更に追加の要素として、問題の解決策を間違って犯罪を犯してしまった犯人に対して、視聴者の同情を誘い『切なさ』や『やるせなさ』といったタイプの感情をエンディングにもってきています。

これらをクライマックスとエンディングで同時多発的に発生させることを『狙ってやっている』という脚本だと言えるでしょう。
実は名探偵コナンも犯人が犯行を行う動機に『テーマ選択の間違い』をテクニックとして使っていますし、推理モノ、探偵モノと呼ばれるエンタメ作品では常套手段かもしれません。
それにしても、クライマックスとエンディングに2種類の謎解きのカタルシスを同時にシステマチックに持ってこれる展開を作れるのは、流石の推理モノといえるでしょう。『謎解き』というテクニックと真っ向から向かい合えるジャンルの強みですよね。

・推理モノ以外にバトル漫画にも恋愛漫画にもなんでもかんでも謎解きテクニックが使われている

では、ラブコメやバトル漫画などでは、ストーリーの謎とテーマの謎、選択に対する判断材料をどう処理していくのでしょうか。
これが気になる方は手近なバトル漫画や少女漫画が近くにあると思うので、手にとって確認してみましょう。スポーツ漫画でも大丈夫です。なんなら大抵の漫画は同じ展開になるよう調整されています。
世の中で評価された数々の名作漫画……そのシーンたちを眺めていると、ストーリーの謎関連のシーンなのか、テーマの選択に関するシーンなのか、どちらかに分かれていることが見えてくるはずです。
読者が読み進める原動力になるのは『ストーリーの謎』と、『キャラクターの選択』です。そのため、作者はどちらかの原動力を常に発動し続け、物語を前進させようと展開しています。キャラクターたちは目の前にある謎をどのように謎解き、答えを出すのか、そこに焦点を当てて作者がストーリーを展開させているということに注目して下さい。
キャラクターが選択を迫られたとき用の判断材料は謎として登場せず、判断材料としてそのまま出てくることもあります。謎にする必要が無い場合は謎として出てきません。テーマが十分に重たいテーマで、キャラクターの葛藤に注目して欲しい時こそ、読者に判断材料をたくさん見せておき、キャラクターの葛藤と一緒になって悩んでもらったほうが面白くなるため、逆に謎を解くシーンは不要とする場合もあります。

そうやって溜まった判断材料という描写を読者は読んできましたが、キャラクターはそれらの判断材料からどういう選択をするのかが"そのストーリーの見もの"になるように脚本が調整されているはずです。
バトル漫画の戦いのシーンも、好きな男の子とデートする少女漫画のシーンも、どんどん増えていく謎を、キャラクターたちがどうにか少しずつ解決していく過程で、大きなテーマ性のある問題に巻き込まれ、葛藤していくというストーリー展開になっているはずです。

・バトル漫画に含まれている"謎解き"を分析すると、あるある展開のオンパレード

バトル漫画でよくある展開『こんな強い敵をどうやって倒すのか』は、バトル漫画の王道展開でありながら、ストーリーの謎解きと言い換える事ができます。
強過ぎて倒す方法が分からない、つまり謎として現れると、読者は考えてしまうわけです。主人公の能力でどうやってこの敵を倒すのか想像し、それでもギリギリ倒せなさそうなんですが、そんな読者の予想を裏切る形で主人公は敵を倒します。要するに、謎への解答を示され、読者はなるほどなぁと感心するのです。しかも、ちゃんと気づかぬ間に伏線が貼られていたことを読み返して気付くこともあるでしょう。

そうして倒した敵と、次の敵と戦うことになるまでのシーンに、物語のテーマに関わるシーンが挿入されたりします。主人公や主人公の仲間、場合によっては敵が、そのタイミングでテーマ的な問題に対して何らかの選択を取ってから次の敵との戦闘が始まります。
テーマを選択した側は、闘いの中で葛藤します。自分の選択は正しかったのか、間違っていたのか。感情移入している読者もまた、テーマ的な選択をしたキャラクターとは別に、自分なりの選択をしていることでしょう。
そうして闘いの佳境のシーンで、選択が合っていたのか間違っていたのか結果が分かり、キャラクターと一緒に読者も一喜一憂します。

もしその戦いがラスボス相手なんだとしたら、戦う前に選んだ選択は、物語を通してのテーマの選択である場合が多いことでしょう。そして戦いを通して自分の今までの選択の総決算を主人公は知ることになり、今までの戦いは何だったのかと、エンディングで問われて終わることになります。

つまり、バトル漫画でもクライマックスに合わせて『勝てなさそうな敵をどう倒すのか』という謎と『テーマ選択による結果』を同時に描写して、読者が盛り上がるようにストーリーが調整されているわけです。名作のバトル漫画であればあるほど、敵のボスはとんでもなく強いですよね。そんなボスをどうやって倒すのかという解答に感動するのがバトル漫画の見どころであり、ボスと主人公は同じテーマで違う選択をした者同士という王道展開も当たり前のように描写されます。
"主人公と悪役がテーマについて意見が衝突し、戦うことになるのはほぼ全ての物語の王道展開です"。ラピュタの時もそうでした。

主人公とテーマについて相反する悪役のことを『シャドウ』という役割で呼ぶ脚本用語がありますが、まさしくピッタリな役割の名前です。つまり、主人公の影のように、テーマに対して対存在になるキャラクターとして悪役が扱われるからです。

主人公と悪役のテーマの選択が違うというのを例にするならば、『世界を救うために弱者に味方した主人公と、世界を救うために弱者を排除しようとした悪役』といった構図になるようなストーリー展開だったりでしょうか。
悪役が明らかに間違った選択をしていると、主人公が気持ちよく悪役をぶっ飛ばせるストーリーになりますし、悪役側にも一理あると読者は悪役にも同情してちょっと切なくなります。『俺達(主人公と悪役)がもっと早く出会ってたら、こんな結末じゃなかったかもしれねぇな……』みたいな主人公のセリフもあるあるですよね。

バトル漫画における"謎解きというテクニック"について考察すると、ここまで"あるある展開"が現れるのはなぜでしょうか。それは『物語から謎解きは切っても切り離せないテクニックだから』であり、『謎解きとテーマの選択をクライマックスでかち合わせると強力なカタルシスを生むから』と言わざるを得ません。多くの作品に見られるテクニックです。
クライマックスにストーリー的な謎解きとテーマ選択に必要な判断材料を解明させていき、謎解きの解答と、誰かのキャラクターのテーマ選択のタイミングを合致させる……これは推理モノというジャンルの垣根を超えて、ほぼ全てのジャンルの作品に該当します。バトル漫画だけでなく、少女漫画も同じ展開になっているはずです。

・少女漫画における謎解き

では次に少女漫画で考えてみましょう。
『恋愛相手とは積極的に会話せずとも共に居るだけで心地良い仲であれば良いとするのか、楽しく会話できない相手は恋愛相手としてダメなのか』というテーマに対して、一緒に居るだけで心地良ければ良いと選択する結末になるような物語を書こうとした時、始まりは結末と真反対からスタートするのが楽ですし、シャドウという役割のキャラクターが登場して主人公の前で『会話できない相手はダメなんじゃないの』とテーマを提示するような事を言ってくるキャラクターを用意すると、この時点でプロットがそこそこ固まるはずです。
例えば、普通の女の子と男の子が初デートするとなったとき、お互いに目茶苦茶緊張しているところから物語をスタートさせて、主人公の女の子の友達にも母親にも「そんなにガチガチに緊張して楽しく話せるの?」と煽られるシーンを用意しましょう。デート中は案の定、お互い緊張してぎこちなく、会話も続かず、主人公と男の子はお互いどうにか緊張を解そうと躍起になり、盛大に空回りして周囲の人々からも初々しいデートだと思われ生暖かい視線に晒され、『もう恥ずかしすぎてムリ!』となった時、主人公の心の中で葛藤が生まれます。
「このまま、まともに会話もできない相手は恋愛相手として違うのではないか」
「友達の女の子は彼氏ともっと自然体で話をしていたじゃないか」
「リードしてくれる男の子のほうが私に合ってるんじゃないか」
この葛藤シーンは『心の中で主人公の分身がシャドウとして登場する』という、よくある奴です。今までの主人公と男の子のぎこちない初デートのやり取りを見ていた読者は、この葛藤のシーンでやきもきすることになるでしょう。
そんな『緊張してデートどころじゃない問題』の解決方法は謎ですが、この謎を解くのが主人公である女の子だとバトル漫画系譜になります。しかし、今回は少女漫画です。なので、少女漫画らしく主人公の相手の男の子が解決してくれる展開を考えてみましょう。

男の子も緊張してガチガチなんですが、それでも意を決したかのように真剣な面持ちで「手を繋ぐのが今日のデートの目標だったんだ」と告白してきて、主人公が思わず右手を差し出すと、男の子も右手を出して握手みたいな手繋ぎになってしまって、お互い面白くなって笑いだしてしまうシーンを描写し、お互いの緊張も読者の緊張も一旦緩和します。
そこからは右手と左手につなぎ直し、お互い無言で公園のベンチに座っているシーンに変わって、主人公が心の中で
「会話だけがスキンシップじゃないもんね」
「初デートだからって焦って楽しい思い出にしようと無理屋頑張っちゃったかな」
と納得するクライマックスを迎えるというのはどうでしょうか。
エピローグで主人公の友達や母親にデートの内容を報告して、「聞いてるこっちが恥ずかしい!」なんて茶化されて、主人公が怒ってエンディングで第一話終了みたいな感じでしょうか。

少女漫画の場合、相手の男の子に見せ場を作ってあげるのが定番なので、テーマに対して主人公は葛藤しますが、問題解決のキッカケ作りをするのは男の子の方というのがあるある展開です。
更に言えば、問題を起こしてしまうキャラクターは嫌われる可能性があるので、少女漫画において主人公や男の子が直接トラブルを持ち込む展開はかなり排除されているはずです。少女漫画をたくさん持っている人は、改めて読んで確認してみて下さい。問題を起こすのは男の子でも主人公でもなく、その周りのキャラクターたちがキッカケになっているはずです。
逆に言えば、クライマックス付近ではストーリーを盛り上げる必要があり、なおかつエンディングを迎えてストーリーを終わらせることが出来るため、主人公や相手の男の子自身がトラブルを発生させて大ピンチ! という展開もよくあります。

逆に男子向けの漫画は主人公がじゃんじゃん問題を発生させてますが、それは最後に主人公自らが解決してチャラにしているから大丈夫です。読者心理としても、自分で持ってきた問題を自分で解決するのは、人としてケジメを付けている感じが気持ち良いですよね。

アメコミのスーパーヒーローは周りが持ち込んできたトラブルを主人公が解決しまくるものごたりですが、これは無償の愛や奉仕こそ最高峰の正義であるというイデオロギーが関わっていそうです。

冒頭で例に出した『天空の城ラピュタ』は、バトル漫画的な展開と少女漫画的な展開がミックスされています。スタジオジブリは"王道に一捻りいれてる"ということです。
制作しているのがアニメ映画なので、ターゲットが少年少女だったわけですから当然の選択なのかもしれませんが、少年少女の心を掴む必要があるからといってそのバランスを上手く取って、30代40代の人たちにとっての思い出深い映画にしてしまうのが凄いですよね。本来なら性別を絞ってターゲットを決めたほうが良いはずです。

?ギミックという用語と化したTRPG界隈の謎解き事情

そろそろTRPGの話題として謎解き要素に触れていきます。
まず謎解きという要素の中に『ギミック』というゲームプラン的なテクニックが存在します。ギミックとは、英語でからくりや仕掛けといった意味の言葉ですが、ゲーム界隈では何らかの"からくり"や仕掛けについて使われる用語として認知されていることでしょう。
ゲームプランは難易度に携わる部分も含まれます。ギミックはそれ自体にゲーム的な難易度があるデザインとして現れますが、ギミックをクリアした報酬次第では、シナリオ全体の難易度にも関わります。

当たり前ですが、ギミックという要素は謎解きがセットで必要です。仕掛けをクリアしないと手に入れられない情報、特定のワードで説得したら仲間になる敵NPCなど、現状を打開するヒントがダイスロールでもなく、確定で手に入る情報でもなく、PL側が頭を捻らないといけないのがギミックという謎解きの特徴です。

・ギミックは謎解きを楽しませるテクニックであり、謎解きテクニックに内包された技術

そのため、まずはギミックという言葉と謎解きという言葉を分離して考えて下さい。謎解きという脚本制作におけるテクニックの中に、ギミックというゲームプランテクニックがあると思って下さい。

謎を解くのに必要な情報をPLに与えていくのが物語の原動力になると前述していましたが、TRPGには主に3種類の方法でPLに情報を渡しています。
描写として情報そのものを渡す方法
・ダイスロールの結果で情報を渡す方法
・今までの情報をPLが考えて処理した結果導き出される情報
上記の3種類です。これらの方法でPLにPCが置かれている状況を説明して、PLは与えられた情報をもとにして行動宣言をしていきます。
そして、3つ目の情報の出し方である情報処理の応用として、ギミックというテクニックがあります。仕掛けを解くように頭を使わせるのがギミックです。

目の前に何らかの仕掛けをだすことで、ここは頭使うところですよとPLにアピールできるのがギミックのメリットですが、このメリットをあえて放棄したギミックも存在しており、ギミックなんだけど表に出てこないタイプもあります。
逆に、PLが手に入れた情報を整理しようとしたときに、情報同士が線で繋がっていく段階は、まだギミックと呼ばれるものではなく情報処理の範囲内です。
情報処理という段階そのものは、PLが情報整理していく過程でどんどん謎の真相に近付いていく感触がメリットであり、隠されたものを見つけ出していくワクワク感、つまり知識欲と好奇心をバチバチに刺激します。
ダイスロールで手に入る情報と、描写上確定で手に入る情報にも、それぞれメリットはあります。しかし、この2種類は謎解きをしている実感は弱く、情報を集めているという感覚です。これらについては後述します。

重要なことですが、ギミックのクオリティがちゃんとしていれば、罠のようにギミックが隠してあってPLが気付かないままシナリオが終わってしまっても、『実はこういうギミックがあって』と感想戦しているときに『なるほど、そんなギミックがあったのか!』という感動を与えます。
ギミックがちゃんとしていれば、人は感動するのです。

TRPGにおいても、謎が目の前に現れたら、人間は本能で答えを探し始めます。これは本能です。意識しないと止められません。そのため、謎を登場させるとプレイヤーは本能的に謎を解こうと行動し、謎を推理し始めます。
今はまだ自分には関係のない違和感程度の謎だったとしても、後々必要かもしれないと思って記憶しておこうとします。

例えば『窓の外を見ると、流れている雲が見えた。そして、太陽が2つ輝いているように見える。ここはどこだろう』という文章で思わず注目するのは、太陽が2つという描写→ここはどこだろうという問題提示→熟練のプレイヤーなら窓から雲が見えていることを記憶する……といった具合に描写を頭の中で情報処理します。描写の謎の強調され具合によっては、描写の順番通りに情報を処理しません。
熟練プレイヤーにしろ初心者プレイヤーにしろ、大抵のプレイヤーは『ここはどこだろう』という問題提示の描写から、PCの目的を察してくれます。まずは自分のPCがどこにいるのか、何をすべきか把握するべきなんだろうなと思い、行動してくれるでしょう。
しかし、つまりそれが謎を解こうとする本能であり、ストーリーの原動力です。
太陽が2つある時点で地球ではなさそうですが、窓から見える景色は雲以外になにがあるのか、窓ということは自分は今屋内にいるのだろうか。部屋のような場所なのか、廊下のような場所なのか、自分以外に生き物はいるのかなどなど、自分の居場所を知るという問題解決の前には大量の謎が発生し、1つの1つ確認していく必要があります。
これだけでもストーリー上には謎が溢れかえりますが、ここにテーマという問題提起と、それを判断する判断材料を情報として追加し、時には謎を追う過程でテーマ側の謎とストーリー側の謎が混ざり合っていき、両方の謎解きをしていくのが脚本のテクニックであるならば、それらのヒント情報やお助けアイテム、助っ人NPCなど、PLが有利になるような情報や存在を『ギミック』を解くことによって得られるようにする流れを作るのが丁度いいギミックの塩梅といえるでしょう。
あくまで、ヒントや手助けになる程度のものにするのがゲーム難易度として無難ですが、いわゆる『白い部屋系シナリオ』というジャンルの中には、ギミックを解くことそのものが問題解決の手順に含まれたりする場合もあります。つまり、ギミックを解くのに失敗するとPCが死ぬようなシナリオもあるということです。

ギミックはPL自身が考えて解くことによって報酬を得られる展開がベストです。ダイスロールはあくまで運で報酬を得られる方法ですので、ダイスロールとは区別して使い分ける必要があります。
例えば、PLがどんなに考えてもギミックの答えが分からない時用にダイスロールで解決出来るようにしてあるギミックは『自分(PL)で答えを導き出した楽しさ』をトレードオフにして、PCにギミックを解かせたことにする妥協案であり、クイズでいうところの『残念、正解は◯◯でした!』と言われることと同義です。
正解を教えられた時、納得のいく答えならば「なるほど!」と感心できますが、納得のいく答えをPL自身が見つけ出した時のカタルシスの方が遥かに気持ちよく楽しいのが謎解きでありギミックというものです。このカタルシスは膨大なので、手に入る報酬がヒントやお助けアイテムや助っ人NPCという報酬が少なくてもおつりが来るほどPLは嬉しいのです。
逆に納得いかない答えだった場合は最悪です。雑なギミックで正解が複数あったり、力押しできてしまえるギミックだったり、専門知識が前提にあるような難易度が高すぎるギミックは、PLを一生モヤモヤさせます。このモヤモヤは一生モヤモヤするので、シナリオ終了後にもモヤモヤしますし、『あのシナリオのあのギミックが未だに納得いかんねん』とシナリオイメージに固着してしまいます。
仮に大団円で終わったシナリオだったとしても、ダイスロールに成功してギミックをクリア扱いにしてもらった挙げ句に、得られた報酬がかなり良いアイテムだったとしても、PLの印象に一番残ってしまうのは『納得いかない答えだったギミック』という事になりかねません。

このような結果になってしまうぐらいなら、ギミックという存在は必要ありません。ギミックをシナリオに登場させる以上は、答えに辿り着かなくてもスッキリ納得のいく答えでなければエンタメになりません。
TRPGで「謎解きが苦手なんですよね」と言っている9割のPLは上記の『納得いかないギミック』を経験しています。ギミックや謎解きで嫌な思い出があるということです。
正解出来なくてもポジティブに悔しいと思えるようなギミックを心掛けましょう。

ギミックも含めて、謎解きに正解した時のカタルシスは複雑で膨大な感情のまとまりなので、ヒントをたくさん貰ってほぼ自分が考えたわけじゃない状態で答えに辿り着いても、納得のいく答えのギミックだったら『スッキリ』という快感は残ります。
ギミックさえちゃんとしていれば、シナリオに組みこむだけで何らかの快感を提供できます。とはいえ、答えに辿り着く方がより快感を得られやすいので、直接答えを教えるようなヒントは流石に冷めてしまいますが、ヒントは必ず用意しましょう。
更に、ギミックのヒント情報をダイスロールの結果で渡すようにデザインするのか、確定情報で渡すのか、これまた小規模なギミックにするのかはシナリオ作者のセンスが問われます。逆もまた然りなわけですので、ストーリー上の謎やテーマの判断材料のヒントを得るためにギミック的な謎解きをクリアするデザインにしても良いわけです。
これは流派の違いがあると思いますので、シナリオ作者の腕の見せ所です。
しかし、どんな謎解きも出来ることなら全員が正解出来るのが難易度として最低限であるということを常に意識しましょう。TRPGはクイズやなぞなぞやギミックをクリアするためだけに遊んでいるわけではありません。複合的なエンタメ作品であり、謎解き要素もあるよーぐらいのシナリオを書くのか、ガッツリ謎解きシナリオを書くのかでも適切な難易度は変わります。
ギミックを解くのに失敗すると死ぬとか、難易度が高すぎて一割ぐらいしか正解出来ないギミックを出すとか、そのような難易度の場合は、正解出来なかったPLはかなりストレスになりますので、それを考慮して下さい。

・ダイスロールvsギミック

TRPGは結局ダイスロールで決めるゲームでしょという考え方は確かにシンプルで良い考え方です。クソ難易度のギミック『作者の脳内当てゲーム』をやらされた挙げ句に不正解して、PCたちが全滅し、ギミックの解答にも納得いかないシナリオがあったとします。
このようなシナリオを経験すると、『勝つのも負けるのも運否天賦、ダイスの女神が選んだ道を進むぜ』という遊び方になるのも無理はありません。つまり、ギミックから離れようとするプレイングになるでしょうし、謎解きと銘打たれたシナリオを遊ぼうとしなくなるでしょう。

それとは逆に、『今後起きる問題』を情報を精査することで予見し、そのためのアイテムを準備してNPCも仲間に引き入れて準備万端、完璧です! という状況なのに、ダイスロールに失敗してPCたちが全滅していくシナリオがあったとします。
このようなシナリオを経験すると『ダイスなんて降ったら負け。固体値しか勝たん!』という遊び方になってしまうかもしれません。
どうにかこうにか、あの手この手でダイスを振らずに情報を集めようとして、ゴネまくるPLが誕生してしまうかもしれません。

でも、後者のシナリオはギミックが面白かったらプレイ後の感想もポジティブなものになるでしょう。
『PCが世界に干渉できる部分はすべて完璧に対応したけども、ダイス運だけはどうしようもないからな』
というゲーム体験と、
『ギミックが何一つ分からな過ぎた上にヒントもなかった中で作者の脳内にしかない答えを当てられるわけないやん!』
というゲーム体験のどちらが楽しかったのかは比べるまでもないのです。

・確定情報vsギミック

確定情報のメリットは、確定で情報をPLに渡せることです。裏を返せば、ダイスロールするほどPCは努力せずとも手に入る情報だともいえます。
テーブルをくまなく探し回ったわけでも、本棚の本を一冊一冊確認したわけでも、遠くから聞こえてくる音に気付いたわけでも、消された痕跡を探し当てたわけでもありません。
目の前にある光景を描写する過程で手に入る情報が確定情報です。

確定情報の玄人な取り扱い方として、『木を隠すなら森の中』理論というものを応用することができます。謎の中に謎を隠す、つまりダイスロールやギミックといった処理をしている傍らの確定情報に謎を忍ばせるのも大事なテクニックです。
目に見えて分かる謎ばかりではなく、PLが記憶を遡って「今考えると、さっきの部屋の描写って実はおかしかったんじゃない?」という気付きを与えられるのは、描写する内容の違和感によるものです。
時間差で謎をジワリと発揮できるのは確定情報だけです。ダイスロールもギミックも、ここに謎がありますと脚本側で宣言してしまう行為です。
更に、情報と情報が合わさることによって推測できる新たな情報は、情報処理という段階を経て現れる新情報です。この情報処理はギミックというテクニックが派手過ぎて影に隠れがちですが、とんでもなくスマートな謎の解決方法、または謎の出現方法でもあります。
情報処理した結果、新たな謎が生まれ、その謎を解決するために情報を探して、集まった情報を総合的に判断した結果、問題解決方法に思い当たる……という、脚本における基本的な流れが疎かになっていないかチェックして下さい。ギミックはあくまでゲームプラン的なテクニックであり、シナリオの難易度に関わるテクニックです。シナリオのストーリーを面白くしたいのなら、脚本テクニックが使用できる情報処理の部分にこだわるべきでしょう。
小説や映画にはダイスロールもギミックもありませんが、謎解きの面白さは取り入れられています。そのため、小説や映画に使われている脚本的なテクニックをフル動員して謎解きを取り扱えるのは、確定情報の良いところです。

・まとめ

半端なギミックは出すだけで損します。
そもそもストーリー上の謎を推理し、テーマの選択に頭を悩ませているはずです。そんなタイミングでギミックまで出現してしまうと、考えることが増えてしまって、PLも最大のパフォーマンスを発揮できません。
緊張と緩和というテクニックが重要であるという話は他記事に渡って永遠としていますが、ギミックの登場は大抵の場合ストレスです。つまり、ストレスは解消されなければいけません。ギミックのストレスが解消されるのは、自分の答えが正解だった時と、不正化だけど納得のいく解答だったときのみです。逆に正解しようがしまいが、納得のいかない解答のギミックはストレスが解消されないどころかより強力なストレスを発生させて一生モヤモヤします。
ただでさえ情報処理やPCのRPにも頭を使っているPLたちにギミックをぶつける必要があるのか考え直して下さい。

逆にギミックの登場だけでテンションが上がる謎解きたい勢というTRPG勢力がいることにも注目してみましょう。自分の考えたギミックを万人向けに調整するか、謎解き好きな人々に刺さる難易度に調整するかは、シナリオ作者の選択です。

?おわりに

謎が現れると謎を解きたくなるのが人間の本分です。小説や漫画、ドラマや映画にもストーリーには謎があって、それを解明していくのがストーリーの流れになります。
解明していくということは、謎解きしているのと同じです。謎解きが面白いという構図は老弱男女のDNAに刻み込まれています。なので物語は謎を解いていくストーリーの流れになっています。

その中でTRPGシナリオ執筆に謎解きという要素を組み込む場合、脚本でありゲームでもあるシナリオには最大限の注意を払って下さい。
ストーリーの面白さは謎の面白さと言っても過言ではありません。その謎は、想定したターゲットのPLが解けるようになっていますか?
謎解き好きでも苦戦する難易度の謎解きを、万人向けという宣伝をしたシナリオで出した結果どうなるかは、目も当てられません。「そんなん分からないPLが悪いんじゃ」と作者が開き直るのはエンタメ提供者として恥ずべき行為です。十ニ分にヒントを出しましょう。それでもわからないPLにはほぼ答えみたいなヒントでも良いんです。重要なのは、その謎の答えに納得がいくかどうかであって、極論を言うと謎解きの難易度なんてぶっちゃけどうでもいいんです。

納得は全てに優先します。
真に最強の謎というものは、解くのが最強に難しいのではなく、解いた時に感動してしまうほど納得のいく答えが出てくる謎です。

この記事がシナリオ制作の一助となれば幸いです。

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