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ソファーに寝そべりながら思ったこと。

前回のブログを書いてから ここ数日 最低限(と自分が思えること)のことをして なんとか日々をやり過ごしていた。

急にやる氣ない期がやってきて いったん自分って何しているんだろう?という氣もちになってしまうと 今までやってきた習慣もほとんど吹き飛んでしまうのであった。

かろうじて 毎日シーツと枕カバーを洗濯して綺麗にするという習慣は生き残ったが ソファーの上で寝る日もあったので 洗濯はしていないけど綺麗なシーツで寝ているという習慣は生きているということにしている。

そもそも 何故このように落ち込み期がやってきているかと言うと(たぶん)自分のことを責めるという習慣が止めれていないからだろう。

別になにかしなければいけないことなんて無いのに あたまの中で『なにかしないと』という声(実際には聞こえてないけど)がして 宿題が差し迫った夏休みの最終日のような氣分になる。

そもそも宿題に限らず やらなかったところでどうとでもなるのに 自分が過去 両親に怒られたことや悲しませた想い出を かれこれ30年以上引きずっているように感じる。

もういい加減 過去の出来事(傷ついたこと)を手放して 自分自身の人生を生き始めたい。

最近はソファーでゴロゴロしながら 久しぶりに心屋仁之助さんの本を読み直したり YouTubeの動画を観て過ごしている。うちのパートナーは心屋のイベントにも参加したことがあり そのことが自分が好きなことを始める前に役に立ったと言っていた。

今日はパートナーとご飯を食べていてストーカーのことが話題になったのでパートナーに対して「あなたも俺のストーカーみたいなもんやもんな」となんの氣なく言ってみた。

するとパートナーは特に怒ることも悲しそうにするでもなく「たしかにそうかもね〜」とうなづいていた。

わたしはこういう時にパートナーのことを凄い奴っちゃな〜と思うのだ。自分はパートナー(他人)に対してストーカー呼ばわりしておきながら 自分が同じように言われると 俺の氣もちをストーカー扱いするなんて!悲しいとか怒ったりしそうだ。

こういうのを何と呼ぶのだろう?自分に自信があると言うのか 自分のことを自分でよく分かっていると言うのか。他人が自分のことをどう定義するのかどうかによって 自分の感情が揺さぶられない状態のことを。

今のわたしはわりと簡単に揺さぶられちゃうのだけど パートナーのようになりたいなぁ〜とソファーの上でゴロゴロしながら思うのである。

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