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「村の肖像」を見てきた感想

 新潟県立歴史博物館にて3月21日まで開催されている
 にいがたMALUI連携事業 ”村の肖像 山と川から見た「にいがた」
 とても良い展示であり、活動報告でもありました。

 この冊子が無料配布…太っ腹すぎます。なくなり次第終了とのこと。

 ”さて、「MALUI連携」という言葉をご存知でしょうか。たとえば、本来まとまって一緒にあるべき資料が、異なったいくつかの機関や場所に所蔵されていることがあります。こうした資料を所蔵する博物館(M)・文書館(A)・図書館(L)・大学(U)・産業界(I)などが連携して、デジタル化したものを統合し、一元的に管理公開するシステムを構築することができれば、資料は文化資源として共有化され、効率的・多角的な活用が可能となります。このような連携を、略称で「MALUI連携」と呼んでいます。”

(地域映像アーカイブによるにいがたMALUI連携プロジェクト村の肖像山と川から見た「にいがた」4Pより)

 各公共機関に散らばっている、いわゆるヴァナキュラー写真や当時の新聞、地域にある帳簿、名簿、民藝品、農具などをまとめて村や地域の歴史や風習を文化資源として残していく活動のようです。私自身も生まれた町の歴史を調べているのでこういう活動はとても参考になります。個人的にやっているので手の回らないところが多々ありはしますけれど(汗)。
 「村の肖像」では写真、絵葉書、新聞、民具などが展示されていました。
 

私が行った3月10日にはトークイベントもあり、
村で映像を発掘、蓄積、展示することをめぐって 」と言う題で写真家の榎本千賀子さん、大阪市立大学の石田佐恵子さん、東北大学の高倉浩樹さんが登壇されていました。司会は新潟大学の原田健一さんでした。


 高倉さんはご自身の展示も踏まえて「旅する写真展示と協働の意義」のお話をされていました。撮影した地域においての展示では地元の方と展示作業を行いました。手伝ってくれた方々の写真に写り込んだものに対しての印象が「自分」とは違うことにとても強い関心を示したそうでそれが面白かったともおっしゃっていました。何に違和感を持つかは観覧者によって違う。また時間を経るとその写真の意味が変わってくると指摘されていました。歴史を示している、と。

 榎本さんは新潟と福島の県境にある金山町に移住してその町の歴史を残そうとしているようです。断片的な物事をどのように扱うか、と言うお話でした。金山町以外の中山間地区との関連、川で結ばれる「にいがた」、学問領域・芸術実践者の解釈、それらを資料としてデジタル化し、教育、文化事業、町づくり、観光、課題解決、研究に役立てようと奮闘されています。

 石田さんは今回の展示を「現在が近代化していっている」という証明だと指摘されていました。ちょっと目からうろこでした。写るもの⇔写らないものの関係性、映像を通して「写らないもの」をどう伝えるか。

 個人的に印象に残っている言葉として「真白の中にも地図がある」というものでした。これは高倉さんがトナカイを追って吹雪の中を行動しているとき、案内の人は迷っている様子もなく目的地に連れて行ってくれた話の中で出てきた言葉でした。目の前の出来事は見る人によって解釈が異なる、ということでもあります。この話から榎本さんが金山町の人に写真を見せたとき、写っている山の形で撮影された場所が判明したというエピソードも出てきました。

 当日は舞踏家の堀川久子さんの踊りも披露されていました。小学生とのWSでの体験から、写真に写っているヒトモノコトになりきっていたとのことでした。展示のチラシに「写真と動画による記憶のへの旅、あの日、あの時、私たちはこんなに自由だった。」とあります。堀川さんは写っている人の表情がとても豊かで多様性があったと指摘されていました。今、カメラを向けると大体の人が笑顔で写る、映えを気にする、と。展示では木に登って写っている写真が多いのですが、金山町では、なんとなく気に登る人がいるんだそうです。それは今でもそういう人がいて、外を歩いていると遭遇することもあるんだとか。ちょっと面白かったです。

 なんとなく撮られた写真にも、歴史を経れば、見る人が見たら、懐かしいものにも学術的なものにも歴史的なものにもなるのだなと再認識できた展示でした。


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