経過観察・造影CT結果(術後55ヶ月)/ひらひら揺れる主治医の手

3日前から夫が微熱気味で気がかりだったが、今朝は高めの平熱といったところ。
ついでに私も検温すると37.1度。高めの時期なので順当な数字。
長雨続きだったのがここ数日暑くなり、湿度も高いのでふつうに体調を崩しやすい時期のはずだ。新型コロナウィルスの流行による夫の在宅勤務は4ヶ月を超え、そろそろ疲れが出てもおかしくない。変わらぬ機嫌で働いていて感心する。
世の中の多くの人たちがそれぞれの持ち場で役割を果たしているのだと思うと、頭が下がる。自分もまたよくやっていると思う。

先週撮影した頭頸部と胸部の造影CTの結果を聞きに、朝イチで大学病院へ。
先月の診察に遅刻したので、今日は間に合うように行こうと思っていたが、家を出るのが10分近く遅れた。気が緩んでいる。
家から最寄駅まで歩いていると、保育園児くらいの姉妹と、彼女たちを登園させる途中らしい母親の3人連れと行き合う。姉が駆け出し、交差点に行き当たると止まって振り返る。母親は足取りのおぼつかない妹の歩みに合わせて進む合間に、先を行く姉に「はやいねー」「止まってえらいねー」と声をかける。
妹のよちよちした足取りに「かわいすぎますね」と声をかけると、母親は笑っていた。先を行く姉は、相変わらずいちいち交差点で止まっては振り返る。母親にとっては既に頼もしい存在なんじゃないだろうか、と思わせる雰囲気。

地下鉄を降りて駅から歩き出した途端、ねっとりとした汗がしみだしてきて不快。湿度が高すぎる。車通勤になって4ヶ月弱だが、電車通勤ができない体になってしまった。「人は易きに流れる」を体現している。とはいえ、戻らざるを得なくなればまた慣れるのだが。

病院敷地内の大規模な工事は続く。ざっと数えられるだけで30人くらいの人が働いている。この高温多湿の中で働くのはどれだけくたびれることだろう。私だったらすぐにケガをしそうだ。

受付を済ませるとじきに名前を呼ばれる。
診察室に入ると、久しぶりに主治医の姿が席に見えた。思わず「あ、先生」と声がもれる。
主治医がこちらを見る前にぶつぶつ言いながらカルテを繰っている。聞き取れず「え?」と聞き返した直後、失礼な聞き方だったと反省する。ああいう時ってどう聞き返すと失礼じゃないんだろうか。

造影CTの結果は異常なし。
秋で術後5年となり、次回の診察を最後に来なくてよいとのこと。10年は通わないといけないと思っていたので驚く。
かつては一生、近年は10年通ってくれとしていたが、ものによっては(病期とか経過とかいう意味だろうか)5年でよいことに変わったとのこと。けっこう最近変わったということか。
もともと5年通えばいいのだと思い込んでたのを10年と言われてがっくりきていたので、思わぬ吉報に「やったー」「やったー」と繰り返す。
最後の診察となる12月の予約を別の医師にとってもらって帰ろうとすると、主治医が手をひらひらと振っていた。なんともない顔をしておかしなことを言うタイプの人ではあるが、私が浮かれたのにつられたのだろうか。

何も食べずに家を出てきたので、病院近くのベーカリーカフェでモーニングを注文。
最初にこの病院に来て生検用に舌の患部を切り取った後も、この店に入ったのだった。麻酔が切れ始めた頃で、パンをコーヒーでなんとか流し込み、処方された鎮痛剤を飲んで仕事に行ったのだった。しばらく痛かったっけな。
あの日はあまり深刻な心づもりはなかったものの、初めて行った大病院の診察フロアにまったく別ルートの知り合いの医師が3人もいることがわかり、もしかしてここにお世話になることになるのかも…という思いがよぎりもしたのだった。

近くの大型書店で散財。夫から頼まれていた演芸本のほかに、小説、土づくり、父の病気に関係する本を買う。仕事の関係で気になっていたトピックの本も何冊か見てみたが、極端すぎるものしかなくやめた。
雑貨コーナーで気になっていたハッカ油も購入。今日は何を買ってもいいような気になっている。

冬までほとんど来なさそうなので、好きだった古い喫茶店にも寄る。薄いカフェオレ、久しぶりだな。

昼休み前の夫から連絡。家近くで一緒に昼食を取ることにする。
地下鉄の駅構内で、おやつに小さなタルトを買う。完全に気が大きくなっている。

昼食は洋食屋のカレー。ここの店主とはあんまり仲良くなれる気がしないけど、店主の作る味は好きだ。
バイトの女性が私たちのテーブルの横を通る時に「あっ」と小さく声をあげる。何かこぼれでもしたのかと思ったら、夫が読んでいる演芸本に反応したのだった。好きな落語家の本だという。

帰宅して、洗濯機を回しながら昼寝。寝具も洗う。夜大雨の予報だったのを忘れていた。扇風機とクーラーを駆使して干す。
夫が仕事を終えたタイミングで、買ってきたタルトとコーヒーで一服。

「今日はお祝い」という体で、ふだん行列で入れない焼肉屋に行ってみることにする。経過観察の度に「今日はお祝い」という体で外で食べている。経過観察日が外食する口実になっている。

目当ての焼肉屋はシャッターが閉まっていた。
失意の中、次の行き先を探す。
近くのエリアの焼肉屋を食べログで検索し、「古くからある地元の焼肉屋」とあったその店に電話。予約が取れた。
店に着くと座敷はグループ客でいっぱい。3名以上の外食には3月以降行ってないので、怖さを覚える。
数量限定のタンすじ、黒毛和牛のタンがあると聞き、迷わず注文。「これは舌が生えてくる旨さだ」などと言いながら次々と焼いては食べる。いいお肉ばかりだった。
キムチとナムルの味付けが絶妙。

食事の途中、母から電話。
父の妄想が出始め、母に「暴言」を向けたとのこと。2日前に飲んだ頓服薬の反動と思われる。
こういう時に毎回電話がかかってくる。私に話したところで事態は何も変わらないのに、と思うのだが、私に話して気が済むようなところがあるのだろう。なので、毎回聞くことは聞いているが、本当に「聞いている」とは呼べない態度の時もある。
父の病気に対して母が見せる「弱さ」のようなものを、認めることができない気持ちがある。
父の妄想や暴言をいちいち真に受けないでほしいし、そういう時に父を怖がる母の態度を受け入れることもできない。こんな風に考えること自体は傲慢だと思っているけれど。
長年連れ添い、頼りに思っていた伴侶が壊れていくことは怖いだろうし、寂しいだろうし、母自身も年老いているので、一つ一つのできごとに揺れるのも当然だとも思う。
頭で考えることと気持ちがちぐはぐなこともある。

風呂に入って、新調した枕で寝た。

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