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人民の戦争・人民の軍隊:極私的読後感(32)

ヴェトナムは、その軍隊の精強さで知られる。まだ仏領からの独立の戦い、インドシナ戦争(1946-1954)ではフランス軍に勝利して独立を勝ち取り、東南アジアの共産化ドミノを恐れたアメリカと戦ったヴェトナム戦争(1955-1975)にも勝ち、それに続き、カンボジア・ヴェトナム戦争(1975-1977)、中国との中越戦争(1979)にも勝利している。

本書の著者、ヴォー・グエン・ザップ(1911-2013 : Vo Nguyen Giap / 武元甲)将軍は、ヴェトナム軍の草創期からヴェトナム戦争に至るまでヴェトナム軍を総司令官として率いてきた名将で、敵からは”赤いナポレオン”と恐れられつつも、国民からは102歳で世を去るまで、救国の英雄として広く敬愛を集めた。

ザップ将軍は、元々はハノイの高校(リセ)でフランス史を教えていた教師で、ホー・チ・ミンと出会って側近となってから軍事方面を担当することになったため、専門的な軍事教育は受けていない。彼は「薮の軍事学校に通った」いわば実地と独学でその知略を得て、後年は優れた軍事戦略家としての評価を得ることとなった。

無論、全く軍事方面に興味がなかったわけではなく、『彼は孫子を尊敬し、ナポレオン・ボナパルトのリーダーシップについて研究し、トーマス・エドワード・ロレンスの「知恵の七柱」に感銘を受けた。これは後年、彼の指揮官としての能力を発揮させる大きなきっかけとなった。(Wikipedia:ヴォー・グエン・ザップより引用)』とある。

さて、この本『人民の戦争・人民の軍隊』は、前半(1~4章)ではヴェトナム共産党の(日本敗戦後の独立闘争からインドシナ戦争~ヴェトナム戦争までの)戦争指導の経緯や意図そして意義を、共産党の無謬(むびゅう:理論や判断に誤りが無い)を前提とした麗々しい筆致で、そして後半(5,6章)ではインドシナ戦争でフランスの敗北を決定的にしたディエンビエンフーの戦いについて各作戦レベルまで細かく記述されている。

敵の弱点は、その戦争の不正義な性格にあった。それによって敵は隊伍内の分裂を起こしたり、人民の指示や世界の世論の参道を得ることができなかったりしたのである。(p.81)

何故、冒頭挙げたように、ヴェトナムの軍は精強なのか?それは、上の引用にある敵側に内在する問題、そしてその裏返しでもある「ヴェトナム軍は、”人民の軍隊”であり、その戦いは”人民の戦争”」だったからではないだろうか?

表面上の兵力や装備、兵站維持能力はヴェトナムに遥かに優る国に対して、ヴェトナム軍は勝利してきている。しかも、第二次世界大戦後のいわゆる”現代の戦争”においては、最新技術を取り込んだ兵器がふんだんに投入される、彼我(仏米等とヴェトナムと)の兵器の性能差が格段に大きい戦争において、である。

(本筋を外れるが)これは、仏米ができるだけ兵士の死傷を減らすことが世論からも強く要請される(あまりに戦死者が多いと、反戦世論が高まり戦争継続が難しくなる)のに対し、ヴェトナムにとっては”人民の戦争”、即ち自国や自宅、家族を守る為の戦争であり、それを拒否するという選択肢が無い、という、いわば”士気”の差が大きいと言えるのではないだろうか?このことを鑑みるに、今後、昔のような領土侵略戦争というのは”割りに合わない”戦争であり、かつ、少子化が進む先進国にとっては、戦死者を厭わない敵との戦争は忌むべきもので、かつ政治家が、(湧き上がるであろう)反戦世論に抗しきれないのではないか?と思う。

閑話休題

ザップ将軍の優れた戦略眼が発揮された事例は、やはりディエンビエンフーの戦いだ。

それは、それまで重視していた「速戦速勝」の、いわばゲリラ戦から、重砲陣地を厚く構築しての包囲戦で敵を殲滅する「漸進的攻撃」に戦術転換したことであろう。

フランスが構築したディエンビエンフー要塞の周囲の高地に105mm砲20門、75mm砲18門、12.7mm対空機銃100丁、迫撃砲多数とその膨大な数の銃砲弾を人力で担ぎ上げ、フランス軍が想定していない規模の火力での包囲網を形成し、56日間にわたる包囲戦の末、1954年5月7日に要塞は陥落させた。

この戦いでの戦死者は、フランス軍2,200人に対して、ヴェトナム軍は8,000人だった。

ザップ将軍の、この戦術転換というのは、口でいうほど容易くない。日本軍の事例で言えば、栗林中将による硫黄島守備の戦術転換がある。

・・・簡単に言えば、当時、大本営が指導していた戦術は海岸線に陣地を構え、敵が上陸してきた場合、敵を水際でたたき打つという、元寇以来の伝統的な「水際配置・水際撃滅作戦」であった。
(中略)
・・・栗林は、着任後まもない6月20日に、大胆にも大本営指導の戦術に反して「縦深配備・持久作戦」、つまり敵の上陸を前提とし、洞窟陣地を基礎として組織的に火力を用い敵を攻撃する、徹底的な持久作戦を企て、これを支隊に指示した。
(中略)
 このような硫黄島での栗林の戦術変更は、本来、中央集権型組織としての伝統的な軍事組織論的観点からすれば、明らかに反組織的行動であった。
(中略)
・・・しかし、栗林も牛島(第32軍司令官)も、ともに本土決戦を遅らせるという共通の組織戦略に従っていたという点で、彼らの行動は必ずしも反組織的行動とみなすことはできない。
菊澤研宗「組織は合理的に失敗する」第7章より筆者抜粋

このように、”従来やってきたやり方”に馴染んだ組織にとっての戦術転換は、組織全体が持つであろう正常性バイアスによって指揮の徹底が難しくなる。

ここでヴェトナムのような一党独裁で、無謬の共産党からの指導には絶対服従を躾けられている組織は、このような戦術転換にも柔軟に対応が出来る、というパラドキシカルな状況が現出する。

このメカニズムは、コロナ対応の中国でも現出したことは記憶に新しい。

本書は、このようにいろんな視点で読み込むことが出来る本であり、何より、普段はあまり馴染みのないヴェトナムという国の、そう遠くない過去の出来事について思いを致す良い機会になると思うのだ。

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