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戦争概論:極私的読後感(30)

歩くというのは、脳に適度な酸素が行くようで(感覚的に)色々なことが解題されて思索が深まっていく。その頭の整理の流れでジョミニの『戦争概論(中公文庫版)』を再読する。

とかく”戦略論”と言うとクラウゼヴィッツを挙げる人が多く、私も彼を挙げるのにやぶさかではないが、ジョミニもかなりの重要人物であると思うのだが余り知名度は(一般には)無い。

それは、クラウゼヴィッツとジョミニの立脚点の違いにあると思われる。ジョミニは『戦争概論(中公文庫版)』序章の冒頭でこう書く。

戦いの術(art of war)というものは時代の如何を問わず存在していた。中でも戦略は、シーザーの時代でもナポレオンの時代でもそれほど変わりはなかった。

しかし、クラウゼヴィッツは、”戦略”というものは現実的なもので、精緻な理論はそぐわない、と言う。

個人的な感覚としては、大局を掴むという点ではクラウゼヴィッツかもしれないが、目標(戦争でいう「戦略正面」)が定まったところでは、ジョミニの考え方も充分に適応できるように思っている。非常の大雑把であり、誤解を恐れずに云えば、クラウゼヴィッツは「経営者向き」で、ジョミニは「指揮官向き」であると云えるのではないだろうか。

又、ジョミニが戦略を論じる際に、ロジスティック(軍事で云う兵站)を同時/並列に述べている事は、この本を理解しやすいものにしている。この本は皮肉なことに先に海軍で翻訳されたという(1903年に海軍大学校で出版された『兵術精髄』に適訳が盛り込まれている)。

クラウゼヴィッツが状況を『動的』に表現するのに比べて、ジョミニは『幾何学的』に表現する。こういう考え方は艦隊対艦隊による決戦が中心であった当時の海軍には極めて親和性が高かったと推察できる。

クラウゼヴィッツについて述べ始めると長くなってしまうので別の機会にするとして、ジョミニの理論は、未開拓市場への進出を考えるときに、直接参考になることはない(そもそも"戦争"をしているわけではない)が、数多くの示唆を与えてくれるのは間違いない。

ジョミニが戦略をどのように位置づけているか?というと、「戦略」、「戦術」、「兵站」を、一つの近代戦争のシステムとして認識していた。つまり、ジョミニにとって戦略は、近代的な戦争術を構成する要素の一つに過ぎない、と考えていたようだ。

これは「戦略はどこで行動するかを決定し、兵站は部隊をこの地点に動かし、大戦術はその部隊の要領と展開を決定する」という彼の言葉からも分かる。

戦争を指導する際にまず問題となるのは戦略の決定だが、それに基づいて部隊を移動させる兵站が機能しなければ、あるいは戦術に不備があれば、戦略それ自体も意味をなさない。

ジョミニの説は、とても常識的でわかりやすいし、建て付けが強固だ。もう少し知られてもいいし、一般にも読まれるべきではないか、などと勝手に思ったりするのだが・・・。

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