極私的読後感(5) 劣化国家

手に入れたのは2013年。なぜ今、この本を再読したかというと、GW中にNHKで「BS1スペシャル シリーズコロナ危機 グローバル経済 複雑性への挑戦」を見て、ニーアル・ファーガソンがなかなかシビアな事を言っていて、この本のことを思い出した次第。

この本の原題は『The Great Degeneration(大いなる衰退)』で、書中では「民主主義」「資本主義」「法の支配」、そして「市民社会」の4つそれぞれの「衰退」について解題されている。

詳細は是非落手して一読願いたいが、これら4つの要素は、西洋文明を構成する要素として挙げられるものだが、これらそれぞれが制度疲労を起こしていて、西洋文明、特に自由主義国家が衰退への途を歩み始めている、というのがおおざっぱなアブストラクトである。

2013年にこの本を読んで最初に思ったのは、1984年から1986年までの間、週刊現代で連載され、のちに単行本となった、村上龍の『愛と幻想のファシズム』だ。

『愛と幻想のファシズム』においては、混迷する日本を取り巻く国際社会に対して、ファシストの主人公が「狩猟社会」を標榜して上記に挙げた4つの要素(民主主義、資本主義、法の支配、市民社会)に戦いを挑んでいく話だ。余談だが、この本を今映画化すると、非常に危険なことが起きそうな気がするが、観てみたい気もする。

一般に言われるのは”民主的手続きは効率が悪い”ということである。『劣化国家』においても(大陸法とコモンローの制度面・効率の違いが述べられているが)、中国の制度面の違いについても興味深い論考が加えられている。

”公平”や”公正”を担保する”法の支配”は、それを追求することによって、制度が複雑化してゆき、斯かる手続きを冗長化させ、ひいては”公平”や”公正”を担保するのに時間や労力が必要となり、結果、本当に”法の支配”が必要な人に”公平”や”公正”を担保出来ない、というマヌケな結果を招くことがある。

これを”官僚的”という言葉で片付けることは、たやすい。しかして、ではこのような制度や手続き無しに、どのように”公平”や”公正”を担保できるのか?ということが、今問われているのだ、と思う。

今、ポスト・コロナ/ウィズ・コロナを考えるとき、個人情報(個人の移動情報など)を政府が活用し、コロナに対して効率的な打ち手を繰り出した国家群(中国、シンガポール、韓国、台湾)に対して、まさに『劣化国家』において指摘されている4つの要素(民主主義、資本主義、法の支配、市民社会)が衰退してきた自由主義国家群との対比を想うと、自由の概念を再定義すべき時期に来ているのではないか?

そしてそれは、あまり楽しくないだろうが、受け入れざるを得ない何かなのだと想うのだ。

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