恋心の呪縛

今私には好きな人がいる。
と言っても、その思いの先に希望はない。
いわゆる「脈なし」というやつだ。

私が初めて彼のことを好きだと自覚してからかれこれ3年ほどたっているが、それは一途な片思いなどではなく「諦めるきっかけを見失った」という方が正しい。
長く一人の人を好きだからといって、その感情が美しく尊いものだとは限らない。
むしろドロドロとまとわりついて引き離そうとしても剥がれない、厄介なもの。
身から切り離せるのなら今すぐにでも手放したいもの。

彼を諦められないのは、きっと彼の言動にも問題がある。
気がないならLINEなんて最初から返すべきでないし、会おうという誘いにものるべきでないし、会った時に緊張してるような素振りは見せるべきでない。
魔力的な「人たらし性」でいたずらに誰かの気持ちを留めるようなことをしてはいけないし、そういう悲劇を生み出さないための保険は予めそちらがうってしかるべきだ。

それなのに。

事前の対処を怠っておいて、怠ったゆえに生まれたこの感情へのケアも放棄するとは、無責任にも程があるのではないか?
責任をとるのが、人としての務めではないか?
罠をかけたのはそもそもそちらではないか?

……まぁ、勝手に可能性を感じたのは「私」という話を持ち出されると何も言えないのだけど。

好きだという思いとそれが叶うことはないという現実が交錯すると、「悔しさ」が増幅する。いまだ私の心を掴んで離さない彼のことを憎く思うし、それでいて嫌いになれない苦しさに苛まれる。
どうしたら振り向いてくれるだろうかとまだ考えているし、何か、今までやったことのない突飛な行動をとれば、あわせて、突飛な結末が棚ぼた的に舞い込んでくるんじゃないかとも思う。

でも同時に、これらの思惑は全て「意味を成さない」か、むしろより傷を深いものにするだろうこともどこかで予想出来ている。
そしてその葛藤こそが彼への恋心を物語る決定的証拠だということも理解している。
その度に「まだ」諦められないという絶望を強く感じているのは他でもない私自身なのだ。

私の好きな人はずっと「好きな人」のまま変わらず私の中に居座り続ける。どこからどうみても気がないことは明白で何度も諦めようと思うのに、時間が経つとどこかにチャンスが眠ってるんじゃないかと考えてしまう。
私が「気がない」と思い込んでいるだけで、もしかしたら勘違いなんじゃないかと見当違いな期待を抱いてしまう。
いつになったら、何が起きたら、変わるのだろう。

恋に一途なのは必ずしも美徳ではない。
一種の呪いにかかっているだけだ。
本人の意思でかかりにいったつもりはないし、解き方さえわかればと思うこともある。

こんな呪いはさっさと消えてなくなるべきだ。
早く解けてしまえばいい。

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