轟洋介が頭にならないことが、轟洋介という存在をありのまま認めることなのではないか

10/4に「HiGH&LOW THE WORST」が公開されてから、早一か月以上が経った。足繫く映画館に通い、演者の方のインタビュー、そして日々みかける轟洋介の考察など色んなものを見て、咀嚼したそれらを今一度、自分の中からアウトプットをしたい、と思いこの記事を書くことにした。あくまでも一介の轟洋介オタクの超個人的感想および考察なので、枕詞にすべて「私個人としては」がつくということを念頭に置いて読んでほしいと思う。


最初に、鬼邪高校というチームについて、語りたいと思う。SWORDの各チームをみたときに、鬼邪高校は、少し特異だと思う。まず卒業がある。そして、なにより他のチームは目的のために拳を振るうが、鬼邪高は、拳が目的、というような節がある。山王ならば街を仲間を守るために、ラスカルズならば女子供を守るため、ルードは家族を守るため、達磨は復讐のため。他チームは目的があり、その目的のために拳を振るっているが、鬼邪高校は、拳の強さの証明ために拳を振るう、そんな者たちが集まってできている。目的:拳 手段:拳。定時のほうは、よりよい(ヤクザからの)スカウトのため、という目的があげられるかもしれないが、これは村山が頭になり、HiGH&LOWのシリーズが進むにつれ、その要素は薄れていっていると思う。現に、就職先である九龍を潰し、鬼邪高で一番強い村山は、ヤクザへの道には進まずに卒業をしていく。じゃあ、スカウトのためでないならば、何のために力を求め、拳を振るうのか。他チームに比べると拳を振るう目的があいまいだからこそ、シリーズを通して、鬼邪高ではしばしば拳を振るう目的とは何か、ということが「拳が強いだけじゃ駄目」という言葉で、問われているのではないのだろうか。それが描かれているのが、「HiGH&LOW ~THE STORY OF S.W.O.R.D.~シーズン2」 EP7、8であり、今回の「HiGH&LOW THE WORST」である。そして、それぞれ定時の頭である村山、全日の頭である轟を通して描かれているのだ。

一体、なぜ拳を振るうのだ。村山は、轟とのタイマンを通して、仲間のためだと気づいた。じゃあ、轟は、「HiGH&LOW THE WORST」を経て、「拳が強いだけじゃ駄目」という言葉に、答えを出せたのか。


轟洋介という男は、かつて虐げられていた男だ。彼は、「このままだといつまで経ってもなにも変わらないと。やるしかねぇだろ」といじめられている現状を変えるために鍛え、力を手に入れ、そしていつしか形だけの不良を狩ることに快感を覚えるようになった。そんな男が、「HiGH&LOW ~THE STORY OF S.W.O.R.D.~シーズン2 」のEP7で鬼邪高校にやってくる。これが、轟がHiGH&LOWの世界の登場のシーンでもある。

「HiGH&LOW THE MOVIE2 / END OF SKY2」の琥珀の台詞で、こんなものがある。「変化を望むなら自分で進まなきゃ駄目だ」そして、EP8で村山の轟への独白で「でもよ、仲間がいるだけじゃ駄目なんだよ。てめぇが変わんなきゃどうやら世界も変わんねぇみてぇだわ。轟、そのうちおめぇにも分かるよ」という。

変化を願うのなら、自ら進もうしなければならない。そして、自らが変われば、世界も変わる。これは、HiGH&LOW で大事とされる精神のひとつである。この「変化を望むなら自分でやらないといけない」ということを、すでに経てからHiGH&LOWの世界にやってくるのが轟洋介だ。轟洋介は、奪われる側から、奪う側へと回想のなかで一度、変化を経ている。そして、HiGH&LOWの世界にやってきて、村山とのタイマンを経て、轟は再度、「てめぇが変わらなきゃ世界も変わらねぇ」と変化を求められるのだ。

轟洋介がこの二度目の変化を経る過程を、「HiGH&LOW THE WORST EPISODE.0」「HiGH&LOW THE WORST」を通して描かれていく。

「HiGH&LOW THE WORST EPISODE.0」で描かれる轟洋介は、村山とのタイマンで言われた「拳が強いだけじゃ駄目なんだよ」という言葉の答えを模索し、もう一度、勉強をしている姿にみえる。君主論を読むシーンなど、まさにそうだろう。けれど、定時を含めて鬼邪高だという轟は、全日の頭になるという他の全日の一派を格下だと言って相手をしないで、村山から与えられた言葉、村山という自分より強い存在に執着をしている。そして、最終的に村山を倒せばすべてが解決する、と村山にタイマンを申し込むが、「今のお前はつまんないからしない」とはっきりと否定をされる。弱いから存在を否定され続けたから、一人で強さを手に入れて、拳でその存在を証明した轟は、ここにきてまた、その存在を否定されるのだ。思えば、轟の人生とは、否定をされ続け、世界に自らの存在を証明するために拳をふるってきたようなものなのかもしれない。

そして、「HiGH&LOW THE WORST EPISODE.0」で描かれる轟洋介の姿は、「HiGH&LOW ~THE STORY OF S.W.O.R.D.~シーズン2」 EP7、8の村山の姿と重なる。「ガキとはやんないよ」という村山は、格下である全日の轟を相手にしようとしないし、「じゃあ関が頭でいいよ」と頭であることを簡単に譲る。同じように轟も「格下には興味がねぇ」と全日の生徒を相手にしないし、「お前、全日の頭になりたいのか?じゃあやるよ」と全日の頭の座を泰志と清史に譲る。村山はそのあと、轟のタイマンを経て、過去の自分と対峙することで成長をし、名実ともに鬼邪高と頭として成長するが、轟はそうではない。「HiGH&LOW THE WORST EPISODE.0」では、轟は拳が強いだけじゃ駄目の答えを出せず、現状を維持していく。これは、「HiGH&LOW THE WORST」で花岡楓士雄に出会うまで続いていく。轟洋介自らが変わらないから、世界も変わらないのだ。

そんな轟に、村山は言う。「お前に足りないものをあいつは持っているかもな」と。村山は、おそらく轟に気づいて欲しいのだろう。そして、足りないものを手にいれて、轟が成長して頭になれば、自分は安心して卒業ができると思っている。だから、頭で考えすぎて間違えた答えを出す轟に、鬼邪高らしく拳で語れ。今のお前には足りないものがある。おれを倒してもみんながついてくるとは限らない、と、拳が強いだけじゃ駄目の答えのヒントを伝えようとする。その村山の言葉を受けて、轟は、出会い頭にハイキックを受け止めて轟の視界に入りはじめていた楓士雄という存在に、向き合あうとしたのかもしれない。「HiGH&LOW THE WORST」での村山とのタイマンで片目を負傷した轟が、それが治る間、何を考えていたのか、何をしていたのか、描写がないから私たちには分からない。けれど、この間に、轟はきっと何かを考えていたに違いないのだ。そして、それは成長の息吹となっていく。再び開かれた轟の視界に、一番に映るのは、楓士雄なのだ。

楓士雄は言葉を持っている人間だ。轟に力を貸してほしいと素直に言うことができて、新太にも、お前は本当にこんなことで母親を助けていいと思っているのか、と拳よりもまず言葉で問うことができる。そんな楓士雄は、自分に足りないものが分かっていて、素直に他人に頼ることができる人間だ。一方、轟は、なんでも自分一人でやることしか知らない人間だ。いじめられていることを助けてほしいと頼る他人はおらず、一人で力を手に入れた。そして、八木高にも一人でカチコミに行こうとする。拳が強いだけじゃ駄目の答えを、一人で頭で出そうとする。この一人でやるしかないと思っていて、それに後ろめたさもない轟のことを、演者の前田公輝さんは、轟の闇と表現をしているのでないのだろうか。そんな轟の後ろにいつもいて、ついてきてくれる辻と芝マンの存在は、どれほどの幸いだったのだろうか。轟一派の尊さも語りたいが、そこまで書いているとまとまらなくなるので、(すでにまとまりは失っているかもしれないが)ここでは割愛する。

轟は楓士雄に問う。「お前、鬼邪高の頭になりたいんだろ。そんなヤツが俺に頼みにくるのか」それに対して、楓士雄は言う。「馬鹿なオレでも、周りが動揺してれば、鳳仙が相当ヤバいってことは分かる」(台詞が間違っているかもしれませんが、こういうニュアンス)。このとき、楓士雄は轟の力そのものを貸して欲しい、とその強さを認めていると同時に、今の自分では足りないものを分かっていて素直に他人に力を借りる、ということを轟に向けて行う。この瞬間、轟は今までずっと正解の出せていなかったものに対する答えのようなものを目の当たりにしたのではないだろか。楓士雄は、このシーンで轟洋介の力と存在を認め、そして何ごとも一人でやる必要はない、ということを示してみせたのだ。

このあと轟は、楓士雄の頼みを聞き入れて、鳳仙戦でも団地戦でも、自らが手に入れた力を存分に発揮をしていく。そして、最後には楓士雄に肩を貸して、「頭はいったん預かる」「勝ってもらわなきゃ困るんだよ」と言い、笑顔で他人と語らう男に成長をしている。このとき、轟は、村山に言われた「足りないもの」を手に入れたのだろうか。私は、轟自身が手に入れたわけではないと思う。なぜなら、轟が「足りないもの」を手に入れているのなら、轟は全日の頭にならないといけない。作中では、この「足りないもの」を人望という言葉で表現し、轟には人望が足りないと言われているからだ。つまり、人望さえあれば、轟は誰もが認める頭になれるのだろう。けれど、「HiGH&LOW THE WORST」で、結果的に轟洋介は、頭になるのではなく、頭を”預かる”というところに落ち着く。この”預かる”という表現がまたなんとも上手いと思うのだ。

轟に足りないものを、楓士雄が持っている。なんでも自分一人でやるしかないと思っていた轟は、自分の足りないものを、自分で補う必要はなく、誰かに補ってもらえばいいと気が付くことができたのだ。だから、全日の頭を”預かる”のだ。そして、それは他者を頼ることを知らなかった轟が成長した証であり、視界が開けたということだ。

最近聞いた曲で、amazarashi の『未来になれなかったあの夜に』という曲がある。その歌詞にこんなフレーズがある。

「足りない君が馬鹿にされたなら 足りないままで幸福になって」

これほどまでに、「HiGH&LOW THE WORST」の轟洋介を表した言葉はないな、と聞いた瞬間に思った。ないものねだりという言葉があるが、自分にないものを手に入れたいと渇望することは、ときにひどく辛く苦しいことだってある。とくに、轟はそういう自分にないものに苦しめられてきた人間なのではないのだろうか。欠落を埋めることだけが成長ではないのだ。欠落を抱えたまま人は成長できる。轟洋介は、足りないものを分かって、それを自分一人で補う必要はないと気が付けた。それは、今まで他者を必要として来ず、一人でなんでもやるしかないと思っていた轟洋介の成長に他ならない。轟洋介が欠けたままの存在で成長をし、頭にならない選択を尊重されたことこそが、轟洋介という存在をHiGH&LOWという世界が認めたことなのだ。

轟は、「HiGH&LOW THE WORST」を経て、曖昧模糊だった「拳が強いだけじゃ駄目」という言葉を理解できたのだろう。そして、自分に足りないものに気が付くことができた。その上で、駄目だと言われた拳が強い自分を認めることができ、なにも自分ひとりですべてをこなす必要はない、と答えを出せた。それは、他者のいなかった轟の世界が変わったということだ。

村山はかつて独白で轟にいった。「でもよ、仲間がいるだけじゃ駄目なんだよ。てめぇが変わんなきゃどうやら世界も変わんねぇみてぇだわ。轟、そのうちおめぇにも分かるよ」と。この「そのうち」が「HiGH&LOW THE WORST」だったのだ。

村山は、「HiGH&LOW ~THE STORY OF S.W.O.R.D.~シーズン2」の轟のタイマンのあとも、シリーズを通してより魅力的に、より成長をしていった。ならば、轟の成長もまた、まだまだこれからなのだろう。轟洋介の道は続いていく。轟洋介はまだまだ強くなれるのだ。伸びしろしかないと思わせるこの男を、できるならば、もっと見たい。

一介の轟洋介のオタクとして、こんなにも恵まれた映画はない。そう思える映画が、「HiGH&LOW THE WORST」だ。本当に、こんなに素敵なものを作ってくれて、見せてくれてありがとうという感謝の言葉しかない。

私は、轟洋介が、そしてなによりHiGH&LOWが大好きだ。願わくば、三度の轟洋介の成長が見れる日が来ますように。

本当にありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?